木村一基四段(当時)「ああ、やっと上がった」

将棋世界1997年5月号、木村一基四段(当時)の四段昇段の記「やっと」より。

将棋世界同じ号より。

 前期上がれなかったのは悔しかった。愚かなことに開幕5連勝してもう昇段も同然、と思ってしまった。恥ずかしいことにのぼせ上がっていた。

 僕の子分であるN月君(仮名)がそれまで不調で「まだまだこれからじゃん、頑張ろうぜ」なんて余裕のあることを言っていた。自分が後半大崩れしてまさかこの男に頭ハネを喰らわされてしまうとはこの時夢にも思わなかった。

 残念だったね、と慰めてくれている沼師匠の前で溢れ出てくる涙を抑えることができなかった。あの恥ずかしく悔しい思いは、今も忘れることができない。

 さて今期、開幕4連勝した。前記のことがあったので油断することもなく、4番負けたものの全体的にまあ満足できる内容だった。

 図は昇段を決めた対松本三段戦の投了図。ふるえちゃうかもしれないなあ、と思っていたけれど最終日は自分でもびっくりするほど落ち着いて指せた。

 ああ、やっと上がった。

 奨励会に入ったのが昭和60年、それから11年と数ヵ月。6級から2年半で二段になったまでは良かった。がそこから三段になるまで2年半、そこからさらに6年半もかかってしまった。長く、そして苦しい奨励会生活であった。

 奨励会、もっと端的に言ってしまえば三段リーグを指すようになってからの苦しみ、伸び悩んで棋士になれないかもしれないと思う不安感は原稿用紙が何枚あっても書ききれないくらいだ。

 でも、四段になって、自分が長年目指してきたことが達成できて、本当に良かった。

 とは言ってもまだ棋士としてのスタートラインに立ったばかりだ。少しでも上位に行けるように、努力を続けて頑張っていきたいと思う。

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「僕の子分であるN月君(仮名)がそれまで不調で「まだまだこれからじゃん、頑張ろうぜ」なんて余裕のあることを言っていた。自分が後半大崩れしてまさかこの男に頭ハネを喰らわされてしまうとはこの時夢にも思わなかった」

この前期の三段リーグ、木村一基三段(4位)も野月浩貴三段(2位)も11勝7敗。

最終局で木村三段が勝っていれば、木村三段が昇段できていたという展開だった。

将棋世界1996年11月号、野月浩貴四段(当時)の四段昇段の記「南柯の夢」より。

 1996年3月7日、前期の三段リーグの最終日、僕は”W杯ドーハの悲劇”級の精神的ショックを受けた。自力の二番手だったのが、通称「死に馬キック」を食らい、昇段を逃したからだ。

 それから数日間、打ちのめされ、涙に濡れる日々を送った。だが、「これを乗り切れたら自分は今以上に大きくなれるはず」と自分に言い聞かせて、次のリーグ戦が始まるまでの50日間を前向きに過ごし、4月23日の今期の開幕戦に臨んだ。

 だが、そう簡単には壊れた将棋は元に戻らず、ズルズルと1勝3敗になる。

 ここから4連勝してやや持ち直したかに見えたが、前期の最終戦で不覚を取った小池三段に、また負かされてしまう。

 ここまで5勝4敗。今期はもうダメだと諦めかけた時に、木村一基(かずき)三段から「まだまだこれからじゃん。頑張ろうぜ」と励まされた。この言葉で、僕は勇気づけられ、最終日を残して10勝6敗と、盛り返す事ができた。

 かずきとは、小学4年の冬、札幌で知りあって以来のライバルであり、同期入会で、この世界では数少ない本音で物の言える、そして尊敬できる大親友だ。

(中略)

 まだ四段になった実感は湧かないけれど、一つだけ実現したい夢がある。

 それは……それはいつの日か、かずきと二人でタイトル戦で戦う事である。

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野月三段が5勝4敗の時、木村三段は7勝2敗だった。

木村四段の四段昇段の記では「まだまだこれからじゃん、頑張ろうぜ」、

野月四段の四段昇段の記では「まだまだこれからじゃん。頑張ろうぜ」

「、」と「。」の違いはあるが、言葉が一致している。

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南柯の夢とは、はかない夢のこと。

中国の唐の時代、淳于棼という男が酔って古い槐の木の下で眠り、大槐安国の王の娘と結婚して南柯群の太守となり繁栄と衰退を経験しながら二十年の歳月を過ごす夢を見たという、唐代の小説「南柯記」の故事から。

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「残念だったね、と慰めてくれている沼師匠の前で溢れ出てくる涙を抑えることができなかった。あの恥ずかしく悔しい思いは、今も忘れることができない」とあるのは、前期三段リーグ最終日のことと思われる。

佐瀬勇次名誉九段が亡くなって以来、沼春雄六段(当時)が木村一基三段の師匠代わりだった。

1996年三段リーグ最終局

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「奨励会、もっと端的に言ってしまえば三段リーグを指すようになってからの苦しみ、伸び悩んで棋士になれないかもしれないと思う不安感は原稿用紙が何枚あっても書ききれないくらいだ」

「とは言ってもまだ棋士としてのスタートラインに立ったばかりだ。少しでも上位に行けるように、努力を続けて頑張っていきたいと思う」

木村一基四段は、三段リーグで溜めた力と思いを一気に放つかのように、、四段昇段後から猛烈に勝ち続け、『高勝率男』と呼ばれるようになる。