伝説の名人戦「八番勝負」最終局

名人戦第1局の立会人は大内延介九段だった。

大内延介九段、名人戦というキーワードから思い出されるのは、中原誠名人と死闘を繰り広げた1975年の名人戦。

この年の名人戦は、第4局で千日手、第7局が持将棋(大内八段が▲7一角を悔やんだ一局)だったので、最終戦は正式には第8局、実質的には第9局ともいえる。

2勝2敗でむかえた第5局、振飛車穴熊を得意とする大内八段が、裏芸の矢倉で勝って、名人まであと1勝としていた。

そして、第7局の終盤の必勝の局面で大内八段に緩手が出て、持将棋になってしまった後の第8局。

第8局の観戦記担当は東公平さん。

先週の名人戦第1局の最終盤で、三浦弘行八段は「ショーッ」と叫びに近い声を出していたという。

私の推測に過ぎないが、これはチャンスを逃がした▲3四桂前後の自分自身に対して「チクショーッ」と言っていたのではないだろうか。

もしそうなら、とても人間的だし最高に素敵なことだと思う。

名人戦第1局の立会人の大内延介八段は、終盤比較的早い段階から対局室に戻った。

引退まであと一局、自分自身の名人戦を振り返りながら、大内九段は何を思っていたのだろう。そして三浦八段の「ショーッ」を間近で見た大内九段の胸に去来するものは何だったのだろうか。

ゴルフの世界で「オーガスタには魔物がいる」という言葉があるが、「名人戦には魔物がいる」と言ってもいいのかもしれない。 

名人に挑戦した棋士でなければわからないことがあると思う。

1975年7月3日~4日、名人戦第8局、中原誠名人(先)-大内延介八段戦。東公平さんの「名人は幻を見た」、伝説の九番勝負より。

(太字が東公平さんの文章)

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朝食の時はいっしょになって雑談に興じていた二人が、いまはまったく別人のように、表情をかたくして向き合っている。

(中略)

昼食の注文は二人ともウナギだった。一階下の部屋で私たちと一緒に食べた。

(中略)

一瞬、中原の表情が変わった。私は何かに驚いたのだと思ったが、前記の感想でわかる通り<助かった>という表情だったのだ。

(中略)

1 (2)

▲8七歩と中原が打ったのは午後二時十五分ごろだった。

ただの「桂取り」である。だが二人の、ただならぬ気配で私にも察しがついて来た。

好手なのだ。

大内のこめかみがふるえるように動いていた。中原はあぐらで、うんと平たくすわって、じっとしていた。顔色はやや赤い。大内のほうは血の気がない。まぶたが厚ぼったく見え、視線はほとんど真下。<能面の翁のようだ>と思った。

(中略)

中原が立って窓際へ行ったのをシオに、控室へ行ってみた。

(中略)

まるでお通夜だ。やはり<終わった>のだと思った。すぐに対局室へ戻ると中原は次の間のイスに伸びて居眠りのような目をしていた。大内は、さっきと同じ、うつろな目で盤を見続けていた。

「何か菓子をください」と中原が注文した。

「かしこまりました。大内先生は?」

「スイカはありませんか。スイカが食べたいんだ」

菓子が二人分運ばれてきて、女中さんが「申しわけありません。スイカが今ございませんで」という。「じゃ、いいです。コーヒーを、砂糖ヌキのをください」

コーヒーを飲む前に大内は、扇子を立てて杖にして、顔を”百面相”のように動かした。

五十九分で、△8八銀と打った。

△8八銀は形づくりだが、一手誤れば逆転もある。特に大内が「△8八銀と打たずに投げようか」と考えていたことで中原に気のゆるみが生じていたに違いないのだが、読みは正確で、あざやかに受け切ってしまった。

(中略)

△1九とを見て手洗いに立った中原は、戻ると、低い声で残り時間をたずね「よし」というふうにうなずいて▲4二龍。

大内は左に首をかしげ、くちびるをとがらせて盤を見ていた。ふと窓の外に視線を投げ、二度三度こっくりして、△8二香。

最後の抵抗△2二飛を、中原が二秒か三秒の早さで▲2四桂と打って押さえた。

「うん、負けました」

そういって大きくこっくりをした大内は、コマ台の歩をひとつつまんで、パチパチとカラたたきをしていた。残念、残念……。

(以下略)

2 (2)

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ここからは、当時の観戦記には書かれていないことだが、「名人は幻を見た」で増補されていたコメント。

気合や勢いを重視するタイプの大内にとって、痛恨の負けは第7局だった。観戦記は龍記者で、私は本社に詰めていたから現場の様子は知らなかったが、一日目に中原にミスがあり、封じ手の段階で「大内必勝」の予想が出ていた。寄せの段階で大内は▲7一角と飛車取りに打った。手順前後の大失着である。角を打ってから大内は「ばかな、しまった」とうめいたそうだ。また、立会いの塚田正夫九段に向って「歩を突けば(▲4五歩で)勝ちだったですよね?」と問いかけたそうである。

(中略)

打ち上げの宴会ではまずい酒を飲んだであろう大内は、深夜になっても寝つかれず、記録係(当時は二人)の菊地常夫四段と飯野健二三段の寝ていた部屋に入り込んで「将棋指そうよ」と言った。隣室にいた私が見に行くと「おお、東さんも指しませんか」と言う。小額の金を懸けていて「負け抜け」の約束だったが、大内は一番も負けない。私は大内に二局負けたので退散した。三人で明け方までやっていたらしい。

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大内延介九段には、三浦弘行八段が「ショーッ」と叫んだ気持ちが、痛いほどわかっていたのではないだろうか。