将棋界の、すぐには信じられない話

将棋世界1984年2月号のコラムより。

物忘れの天才

 振飛車対策に急戦の新機軸をうち出す青野八段。「現代に生きる山田流」はこれからが佳境です。ところで青野八段が棋界でも1、2を争う”物忘れの名人”なのをご存知でしょうか?つい先日も将棋会館の中をあっちへ行ったり、こっちへ行ったりウロウロキョロキョロ。どうしたんですか?とたずねると、「いやコートをね…」と口をモゴモゴ。

 小1時間ほどしてコートを手に3階の編集室に現れた青野八段。「またですか、センセ」と女性職員にからかわれたご本人。

「いや、これなんかまだいい方だよ。実はこの前テレビの解説をやったんだ。終わってね、次の対局の二上先生がやってきて『さっきの将棋はどんな将棋?』って聞かれたら、これがもうわからない。さっきやったばかりなのにね。いくら考えてもわからない。対局者を思い出せば将棋の内容も思い出すだろうと考えて、思い出したんだ、対局者の顔を。でも、顔だけで将棋の内容はすっかり忘れてる。隣りにいた人に助け舟を出してもらって、ようやく思い出したんだけど…。これには我ながら呆れたね。ハハハハ…」と、かくの如し。

 青野八段が去ったあと、誰からともなく出た「聞きしにまさる×××でげすな」の言葉に、ただうなずくのみ。

 その青野八段、しばらくして表情をこわばらせながらまた編集部に現われ、

「ねえ、ボクのコート知らない?」

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青野照市九段といえば、鷺宮定跡を生み出し、棒銀は詰みまでを研究していたというほどの研究家。また将棋連盟の理事を長く務め、現在はNo.2の立場の専務理事。バランス感覚に優れる将棋界の紳士。

その青野照市九段が、これほどの物忘れの名人だったとは…

将棋ペンクラブ大賞の最終選考委員も務めていただいたが、その時にもそのような雰囲気は全くなかった。

自分の身の回りのことに関してだけ物忘れをする、という傾向だったのだろう。あるいは結婚をしてから変わったのか。

「人は見かけによらない」という典型的な事例だ。

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次の話も、にわかには信じ難い出来事。

将棋世界1983年12月号、編集後記より。

 先日、一所懸命?仕事をしているとき一人の男が現われました。バックスキンのブーツ、コットンパンツ、トレーナーにブルゾン、そして、ポルシェのサングラスといういでたち。映画の主人公のようにサングラスをはずしたその人は青野八段。一瞬、目を疑うような大変身にびっくり。これは心理学的にはあせりの兆候だそうです。

 誰か青野八段をもらってあげて下さい。

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同じ頃、真部一男七段(当時)は坊主頭にしていたという。

風水学的に、千駄ヶ谷の磁場が揺れ動いていた時期だったのだろうか。

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将棋世界1983年12月号、田辺忠幸さんの「浪速だより」より。

 10月4日(火)

 大山康晴十五世名人が世話人となって、大阪・堂島の梅田新道ビル地下1階に高級クラブが開設の運びとなり、午後6時からオープニングパーティー。お招きにあずかったのでもちろん出席した。

 こう書けば将棋クラブの話に決まっていると思いきや、それが大間違い。実は美女がはべり、おいしい、おいしい洋酒を飲ませてくれる会員制のクラブなのである。

 屋号は「ロイヤルアルテンス」。アルテンスはどういう意味か知らないし、覚えにくいので拙者は「アデランス」と称することにした。

 といっても、入会金や月々の会費は相当なもので、しがない観戦記者では手合い違いもはなはだしい。二度と足を踏み入れる機会はないだろうと思いつつ、グラスを口へ運んだ。

 超満員の中を、大山世話人はくるくる。拙者にも「関西の将棋記者の中で、今度の将棋の日(11月17日)に表彰しなければいけない人はいませんかねえ」と、日本将棋連盟会長としての”御下問”があった。

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大山康晴十五世名人の後援者、あるいは関西将棋会館建設の際に多額の寄付をした企業がオープンした高級クラブなのだろうが、大山十五世名人のストイックさとは対極にあるような店のオープニングパーティーの世話人を大山十五世名人が務めているというところが、非常に新鮮だ。

入会金、月会費があることから、ロイヤルアルテンスは銀座や六本木や北新地にあるような昔ながらのクラブではなく、エスカイヤクラブのようなシステムだったと考えられる。

梅田新道ビルがオフィスビルであることからしても、その可能性は高い。

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昔は、銀座ガスホールの地下にクラブがあったり、赤坂東急ホテル(現・赤坂エクセルホテル東急)の地下にナイトクラブがあったりした時代もあり、意外な場所に意外な店があったのが昭和だったと言える。

 

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