東北の桃太郎、行方尚史二段(当時)

近代将棋2000年12月号、故・団鬼六さんの「鬼六面白談義 本物贋物」より。

 先日、久しぶりにNHKの将棋講座を見ていたら、行方六段が講師になって解説していた。初めてで何しろ緊張していますので、と途中で彼は何度も自分で弁解していたが、たしかに彼はかなり緊張している感じだった。緊張するというより上がって固くなっている感じだった。

 行方六段が初めて私に将棋の指導するために横浜にあった私の家にやって来たのは今から10年ぐらい前で、彼は奨励会の二段、たしか16歳位の少年であった。連盟職員の中島さんに連れられてコチンコチンに固くなってやって来たように思う。青森県の弘前出身で、熟れ切らないリンゴのような頬の赤い、腹話術の正ちゃん人形みたいな少年であった。

 少年のくせに身体にぴったり合った上品な背広を着ていた。実は行方君の父君は弘前市の服屋さんであって息子のための訪問着を仕立てて持たせていたものらしい。大山名人の青森旅行に私はついて行き、この父君の車に乗って弘前市の観光をさせてもらった事がある。そのとき、うちの息子が大山先生の弟子をやっております、と聞かされ、連盟職員の中島さんに頼んで行方君を家に連れて来てもらったのだ。

 このとき、行方君に一番手直りの対局を所望した。最初は平手、それに負ければ香落ち、それにまた負ければ角落ち、次に飛車、それでも駄目なれば両駒落ち、ということはもしも私が平手で行方君に勝てば私がこのプロ棋士に香落ちで対局することになるのである。プロがアマに駒を落とされて対局するなど、プロとして世にこれ程、恥なことはない、と私は彼をおどした。しかも、当時、私は将棋ジャーナルの主宰であって、これを将棋雑誌の記事にする、というと彼は相当なプレッシャーを感じたらしく固くなってしまった。私としては16歳の奨励会員をからかっておびえさせるつもりだったのだが、しかし、私としてはひょっとすると相手が奨励会の少年なら平手でも勝てるかも知れない、という気持ちがあったのだ。

   

 第1局の平手番は熱気のこもった一戦になり、中盤までは私の方が優勢と思われるところがあった。結局は終盤に至って逆転負け、次は香落ちだが優勢の将棋をひっくり返された1局目で力をほとんど費消したのかいいところなく惨敗、2、3日たってから角落ち負け、そして飛車落ち負け。しばらく日を置いて最後の二枚落ちを負けてしまって、それから私は何日か寝込んでしまった。

 結果としていい勝負だったのは最初の平手番だけであって、あとは二枚落ちまで連敗を喫するなど、我が身の不甲斐なさを感じるというよりプロの底力というものを思い知った。特に最後の二枚落ちまで奨励会の二段に敗れるなど我ながら情けなく、というのもこれまで八段、九段のプロの先生方に二枚落ちの教授を受けたことはあったが、一度も負けたことはなく、考えればあれは先生方の私に対する一種のサービスであったのかと疑いたくもなった。

 いや、そんなことはない。その頃、うちへよく出入りしていた伊藤能や豊川まで私から行方二段に二枚落ちを負かされたと聞かされると、いくら何でもそりゃおかしい、といった。せいぜい飛車落ち位がいい勝負になるはずだというのである。

 私が主宰していた将棋ジャーナルが赤字続きでいささか脳に狂いが生じていたとしかいいようがない。最初の平手で好勝負だったことを行方が頭にきて、怒りを爆発させ、あと一気に私を押し潰しにかかったとしか思われないが、彼のその勢いにこちらがタジタジになったのだろう。

 この私の連敗記録をその頃の将棋ジャーナルに連載した。東北の桃太郎と題して、行方の強さを賞賛したことを覚えている。

 このあいだ、NHKテレビの将棋講座で行方六段が講師になっているのを見て10年前の横浜時代が懐かしく思い出されてきた。あの頃、横浜の我が家へちょくちょく遊びに来ていた棋士の中で本物の棋士、つまり、将来、タイトル戦に登場する棋士になるだろうと予想したのは行方と先崎であった。

 この二人は本物だという気がした。横浜時代には色々な人間と遭遇したがあいつは本物だと思った人間もいるなればあいつは贋物だと思った人間もいた。

(以下略)

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このあと、贋物刀剣鑑定家の話へと続く。

団鬼六さんは刀剣のコレクターだったが、贋物刀剣鑑定家のおかげでひどい目にあっている。

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行方尚史二段(当時)が”東北の桃太郎”とされたのは、桃太郎に似ていたからではなく、”鬼”を退治したから。

桃太郎に似ている人というのも、なかなかいないと思う。

というより、誰も見たことがない。

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”腹話術の正ちゃん人形”というものはどういうものかというと、昭和40年代以前の腹話術師が使っていた人形。

現代の腹話術人形では、当時の行方尚史少年に似た雰囲気のものは見当たらないようだ。

全日本あすなろ腹話術協会

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団鬼六さんは、行方尚史八段を、目に中に入れても痛くないくらいに可愛がった。

2008年、行方八段が順位戦A級から降級することが決まった直後の朝日杯将棋オープン戦での行方八段の優勝。この時の団鬼六さんの気持ちが当時の近代将棋に書かれている。

朝日杯将棋オープン戦

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