留置場の中で役に立った内藤國雄九段の随筆

近代将棋1989年10月号、団鬼六さんの「鬼六面白巷談 関西びいき」より。

 それと関西人の持つアイロニーの面白さが私の関西びいきの一つになっている。先月号に書いたと思うが、美空ひばりは将棋が強い、と私に教えてくれた関西系の暴力団員は将棋も二段で私の棋友の一人であり、そして、内藤九段のファンであった。こいつは少し前に傷害事件を起こして留置場にほうりこまれたが、その時、内藤九段の随筆を読んでいた事が大いに役立った、と、釈放されてから私の所へやって来て告げた。なんで内藤先生の随筆が留置場の中で役立ったのか、と、私は奇怪な事をいい出したこの若いやくざに質問した。内藤九段のその随筆というのを私は読んでいなかったのでくわしい事はわからないが彼のたどたどしい説明によると、碁というのは盤上の戦いが終わってからも碁石は黒と白、敵味方に別れて別々の場所に収納されるが、将棋の駒は戦いが終われば一つ箱におさまり、敵も味方も仲良く共同の生活に入る。棋士というものはその駒箱の中の駒みたいに戦う時以外は仲良くつき合いたいもの、という内容のものらしい。それが留置場の生活にどう役に立つのかとたずねると、ぶちこまれた雑居房の中に敵対している組のチンピラを見つけたと彼はいった。普段から虫の好かねえ野郎で看守の眼をかすめてぶんなぐってやろうと思ったが、その時、ふと内藤先生の随筆を思い出したと彼はいうのだ。こうして箱の中に入れられた時は駒箱の中の将棋駒みたいに仲良くし、そのかわり、一旦、表へ出たならば足腰の立てなくなる程、ぶんなぐってやる、と決意したというのだが、聞いていて、こいつ少し、馬鹿か、と思うのだけれど、内藤九段の随筆にある駒箱を留置場の箱に置きかえて思考するというこのアイロニーが関西のやくざ的に実におかしくなってくる。こういう突拍子もない発想なんかも関西的なのだ。

 この将棋好きの若いやくざは大分、以前に内縁の女房に浮気された事がある。普通、こういう場合、関東のやくざなら、まず浮気した自分の女房を激しく折檻し、それから相手の男をおどしに行くが、関西のやくざは相手の男には落とし前をつけさせるが、自分の女房をなぐったりはしない。自分の持ち物には理由はどうあれ、傷をつけさせたくはないというわけで、こういう所に大阪のケチがある。彼の場合その女房と浮気した男とその後、親しくつき合うようになって、時々、将棋も指すような間柄になったようだが、それは相手が思ったより金持ちで、この御縁を大切にし、下手に出て親しく御交際をお願いし、どうです、儲かりまっか、と世間話などしながら末長くたかっていこうという魂胆なのだ。こういう所はやくざだって大阪の場合、商人的になってしまうのである。

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この内藤國雄九段の随筆は、以前の記事で取り上げたことがある。

「将棋の駒はね、戦いがすむと敵も味方も全部一つの箱におさまる

たしかに、留置場という非常に特殊な場所を駒箱として考えると、一旦、表へ出たならば敵味方に別れてとことん戦う、という考え方も理屈の上では成り立つ。

二日制のタイトル戦の一日目夜から二日目朝にかけての駒箱は、留置場に似た位置付けとも言える。

しかし、将棋の場合は、駒箱から出されて盤面に並べられる時に、昨日は敵陣にいた駒が味方陣に配置されることもあり、現実の世界とは違って、出所後にそれぞれ所属している組に戻れるとは限らない。

それどころか、組長(王将、玉将)以外の組員は、抗争で殺されたら敵の組に所属させられるという掟。ヒットマンとして送り込んだ組員は必ず相手の組員として復活してくる。

そう考えると将棋は、現実の抗争や戦争を超越した、あるいは現実の抗争や戦争を更に過激にした世界と言えるのかもしれない。