中川大輔六段(当時)「このほうが中川大輔らしい」

将棋世界1995年5月号、昇級者喜びの声C級2組→C級1組、中川大輔六段(当時)の「落ち着きのなかに」より。

将棋世界同じ号より。

 勝負を争う上で大切なことのひとつに、自分らしさを失わないということがある。自分の長短所を知り、良いところを出してゆく。最善の手を指し続けるのが一番だが、それが出来るのは将棋の神様以外にない。

 図は△3一桂と受けた局面。駒があれば玉頭へぶち込んで終わる。第一感何かある。

中川

 ▲5五歩が浮かぶ。△同銀に▲5六銀右△2八歩▲同飛△6九飛成▲5五銀……一手勝てそうだ。もう一度読むが、やはりいける。

 しかし結局、私は▲5五歩を選ばなかった。

 前に出るばかりが将棋ではない。と思い、私は▲6八金と寄った。

 遊びそうな金をじぃっと寄せ、相手に手を渡す。このほうが中川大輔らしい。

 ここで落ちついて金を寄れたのが、本局の勝因と思う。落ちつきのなかに勝負のアヤがあった……。

 今までの順位戦の戦いを振り返ってみると、勝ちたい、昇級したいという気持ちが強過ぎたように思う。

 勝ちたいという気持ちのみが前に出てしまっては長い将棋は指せない。ギクシャクした駒さばきになってしまっていた。

 今期私は、勝つも良し、負けるも良し、自分の持っているものを全部出しきろうと思っていた。

 やるだけやってみるよりない。それで勝てなければしょうがない。という開き直りというか、あきらめみたいなものが心の中にあった。それが良かったようだ。

 そしてもうひとつ。将棋以外から、何かプラスになるものはないか、とアンテナをはり続けた。将棋界以外の人たちとの接触から得ることが多かった。そういった意味で、この1年は自分にとって有意義な1年となった。

 最後に、応援して下さった方々にお礼申し上げます。

 ありがとうございました。

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手厚い右玉で、なおかつ4筋の位を取っていて、図から▲6八金と寄る、本当に中川大輔八段らしい将棋だ。

たしかに、▲2三銀を打ち込めればいいが、その前に△2四銀と銀を捨てられ2筋を清算されると、後手は一息つくことができる。

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まだ髭を生やしてなく、日焼けした顔にもなっていない頃の中川大輔六段(当時)。

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「自分の長短所を知り、良いところを出してゆく。最善の手を指し続けるのが一番だが、それが出来るのは将棋の神様以外にない」

「勝つも良し、負けるも良し、自分の持っているものを全部出しきろうと思っていた」

「やるだけやってみるよりない。それで勝てなければしょうがない。という開き直りというか、あきらめみたいなものが心の中にあった。それが良かったようだ」

本当にいい言葉だと思う。

このようなところも中川大輔八段らしい。