谷川浩司王位(当時)の、月間対局数12・対局日数14・移動日13・移動距離7,000キロだった月

将棋世界1990年11月号、青島たつひこ(鈴木宏彦)さんの「駒ゴマスクランブル」より。

 暑い。いや、本誌が皆さんのお手元に届く頃には、いくらなんでももう日本中が涼しくなっていることだろう。だが、とにかく今年の夏は暑かった。9月に入っても、残暑というのはあまりに厳しい暑さが続いた。

「ばてました」

 最近、将棋連盟で会ったときの羽生竜王。

「部屋にクーラーが入っていても、部屋を出て駅に行くまでにぐったりしちゃいますよ」

 その隣で先崎四段が「夏バテの上に、雨が降ると膝が痛くなる」なんて、老人みたいなことをいっている。

 若い彼らからしてこうなのだから、ばてていない人間なんていない…。と思ったら、一人やけに元気な人がいた。

 谷川王位。名人を取られた途端に、目が覚めたように勝ち始めたこの先生の勢いは、9月に入っても止まらない。王位戦で佐藤康光五段の挑戦を受けながら、王座戦の挑戦者になり、さらに竜王戦の挑戦者になった。

「谷川さんの日程はすごい」

 みんながいう。どのくらいすごいか、下の表をご覧いただこう。


谷川王位、9月のスケジュール

  • 1日 王位戦第5局翌日。徳島から神戸へ帰る。
  • 2日 大阪、全日本プロ、対畠山鎮線。勝ち。
  • 3日 神戸から東京へ。福田家入り。
  • 4日 王座戦第1局。対中原戦。勝ち。
  • 5日 赤坂のホテルにて原稿執筆。
  • 6日 東京、竜王戦挑戦者決定三番勝負第1局、対石田戦。勝ち。
  • 7日 東京から大阪へ。午前中、大阪の将棋連盟で仕事の打ち合わせ。
  • 8日 大阪、棋聖戦、対勝浦戦。負け。
  • 9日 神戸から小田原へ、陣屋入り。
  • 10日 王位戦第6局、対佐藤康光戦。
  • 11日 同上、負け。
  • 12日 小田原から神戸へ、一度自宅に寄り、すぐに有馬温泉、瑞苑入り。
  • 13日 王座戦第2局、対中原戦。負け。
  • 14日 有馬温泉から神戸へ。六甲のマンションに浦野夫妻や脇六段を招き、モノポリー大会。
  • 15日 神戸から高松へ、日本シリーズ前日祭出席。
  • 16日 高松、日本シリーズ、対高橋戦。勝ち。高松から神戸へ。
  • 17日 本誌自戦記原稿執筆。
  • 18日 大阪、竜王戦挑戦者決定三番勝負第2局、対石田戦。勝ち。
  • 19日 神戸から小田原へ、陣屋入り。
  • 20日 王位戦第7局、対佐藤康光戦。
  • 21日 同上、勝ち。
  • 22日 小田原から福岡へ、高校竜王戦前夜祭出席。
  • 23日 福岡、高校竜王戦審判。福岡から神戸へ。
  • 24日 神戸から天童へ、天童ホテル入り。
  • 25日 王座戦第3局、対中原戦。勝ち。
  • 26日 天童から神戸へ帰る。
  • 27日 未定
  • 28日 大阪、全日本プロ、対長沼戦。
  • 29日 未定
  • 30日 大阪、王将リーグ、対南戦。

 新聞社の囲碁・将棋担当記者の方に伺った話では、囲碁界では週に1局以上対局がつくと「過多」ということになり、週に2局ペースとなると「とんでもない」ということになるのだそうだ。

 ちなみに、谷川王位の9月の対局数は12。対局日数14。移動日13。移動距離、約7,000キロ。

 この日程、囲碁界の方ならどう表現されるのだろうか。

9月4日の谷川浩司王位。将棋マガジン1990年11月号、撮影は弦巻勝さん。

* * * * *

文字を打ち込んでいるだけでも息苦しくなってくるほどの、谷川浩司王位(当時)のものすごいスケジュール。

  1. 王位戦七番勝負
  2. 王座戦五番勝負
  3. 竜王戦挑戦者決定三番勝負

この全てを戦っていると、9月はこのような日程になるということになる。

この月はA級順位戦の対局が入っていなくてもこうなのだから、とにかくすごい。

* * * * *

このスケジュールを見ると、勝ち続けているなら、大変ではあっても順調かつ前向きに推移すると思うのだが、負けが多い場合は、大変さが数倍になって降りかかってきそうだ。

やはり、棋士は勝つのが一番の元気の素、ということを強く実感させられる。