将棋世界1984年3月号、信濃桂さんの「東京だより」より。
年末から年始にかけてヨーロッパ旅行をしたという大内八段。聞けば交響楽団に同行したとかで、ユニークといおうか、こんな旅はちょっとない。本誌に登場したこともある小林研一郎氏が名古屋市民オーケストラを率いてハンガリーに行くことになり、「一緒に行きましょう」という話になったのである。
棋士とクラシック音楽―およそかけ離れたイメージだが、存外かくれたファンは多く、大内八段もその一人。
有名なのは中原十段だ。モーツァルトを中心に所蔵するクラシックのレコードはざっと500枚。加藤前名人も愛好者だが、カトリック信者の前名人としては宗教音楽を聞くことも多いだろうから、クラシックファンというのもうなずける。
中原十段の弟デシの大島四段はラテン音楽のファンだが、クラシックも決して嫌いな方じゃない。将棋会館の程近い大島四段のアパートに泊めてもらった時だ。翌朝、モーツアルトのピアノ協奏曲のたおやかな音に目覚め、少時してコーヒーの香り。久々に朝らしい朝をむかえて一日中いい気分だった。
「モーツアルトは朝聴くのがいいね」
と中原十段も言っている。
そういえば青野八段もマニアといっていいだろう。私が編集者時代、取材で青野八段のマンションへ行った折に自慢のステレオとレコードを見せてもらったことがある。
「マーラーの交響曲などが好きだなあ」
という青野八段の言葉を覚えている。
ざっとこんな按配で、棋士はけっこう音楽好きなのだ。さて大内八段のハンガリー旅行だが、
「すごい体験をした。感動した」
と大内八段。ドナウ川の風光もさることながら、初めてリハーサルに立ち合い、その凄まじさにすっかりうたれてしまったのだという。
将棋に序・中・終盤があるのは誰でも知っていることだが、音楽もまた同じ。演奏会というのは実は終盤の最後のところだそうだ。つまり形が整い、指揮者も演奏者もわかりきっているのが演奏会。
「本当に凄いのは序・中盤、つまりリハーサルなんだ。音楽というのも指揮者とオーケストラの戦いであってね、その葛藤が何だが出るほど感動的なんだよ」
指揮者とオーケストラが反発したり折り合いをつけたりしながら次第に同化していき、最後に指揮棒のところでピッタリ合う。その過程を目のあたりにして、全く別な音楽を体験したと大内八段はいう。対局者同士が戦いの中で一局の棋譜すなわち作品を作り上げていく過程によく似ている。
(中略)
そういう戦いを最も切実に体験しているのは、やはり棋士だろう。習慣化して余暇もまた勝負事に身を置こうとする。
ブタペストの大内八段も、
「連夜、カジノへ足を運んだ。小バクチだけどね」
東欧のハンガリーにもカジノがあるとは初耳だった。
カジノといえば森八段の名がすぐ浮かぶ。
「最近はあまり行かない。昔は億も儲けてやろうと出かけたものだけど―。今は負けてもいいと思って時々するだけだ。つまり勝負勘を養うためだね」
王将戦開幕の直前に森八段と話す機会えお得たが、話がギャンブルに及んだ時、森八段はそんなことをいっていた。
「最近の若手は堅すぎてギャンブルも出来ない。囲碁をやる若手もいないんだからなあ」
と少々立腹気味なのは真部七段だ。型にはまったような若手が多く、面白くないという。
「将棋に幅が出ないよ」
というのが真部七段の苦言の因だ。
「そうはいいますけど、若手が囲碁を打たなくなったのは、真部先生にことごとく負かされて、皆いやになっちゃったんですよ」
大野四段が若手の弁護。
真部七段は「将棋指したるもの、大いに酒を飲み、大いに遊べ。ハメをはずせ」という”真部教”を提唱し、教祖になるために頭をまるめた。(これが坊主頭の真相だ)
誤解のないように。それぐらいの大きな気持がなければ、将棋は強くならないし、将棋界自体も小さくまとまってしまうと憂いているのだ。
その気持大いにわかる。ところで教祖の真部七段、音楽の方はさっぱりだそうで、
「耳から入るものは美しいのかきたないのか、皆目わからん」
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たしかに棋士にはクラシック音楽ファンが多いような印象がある。
最近では佐藤天彦八段がそうだし、観戦記者の大川慎太郎さんもそうだ。
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しかし、森雞二九段や故・真部一男九段の二人は、クラシック音楽とは対極の世界のイメージ。
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「将棋指したるもの、大いに酒を飲み、大いに遊べ。ハメをはずせ」の真部教。
将棋指しを別の職業に置き換えても正しい場合があると思う。
私などは、若い頃から真部教を実践してきたようなものだ。
それにしても、真部一男七段(当時)なら神秘的な雰囲気を持った美男子棋士だったので、坊主にならなくとも十分に教祖に見えたと思うのだが。
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しかし、よくよく考えてみると、中村太地六段や斉藤慎太郎六段のような現代の美男子棋士を教祖っぽく見せようとしたら、坊主になるのが手っ取り早いわけで、やはりそれしか方法はなかったのかもしれない。
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真部一男九段は、数年後にも新しい真部教を作っている。
→真部一男八段(当時)「この世に仕合わせはない。あの世にも仕合わせはない」