初代の頃の研修会員

将棋世界1984年6月号、「関東研修会レポ」より。

 関東研修会56名。これだけの人数の有望少年・少女たちが奨励会の予備軍として控えていることになったのだから将棋界の前途に、大きな明かりが灯ったといってもよいだろう。

 ちょっと見渡したところでも、脇田栄一君(千葉王将)、斎田純一君・窪田義行君(小学生名人)、山田久美さん(女流初段)、大庭美夏さんと大庭美樹さん(女流育成会)、高群佐知子さん(女流育成会)、鈴木大介君(本誌でもお馴染みのイラストレーター鈴木康彦氏の長男)など、多士済々の顔ぶれがそろっている。

 これだけの少年少女たちが、プロ棋士を目指しているという事実だけでも大いに話題にするに足りるだろう。

 この研修生というのは、奨励会と違って、将棋連盟に直属するものではない。したがって、研修生の身分はアマチュアであり、各種アマ大会への参加は認められている。

 4月8日に行われた小学生名人戦で、窪田義行君が優勝したことなども、そのよい例といえるだろう。

 研修生たちのレベルはかなり高い。B1がアマ五段クラスで、以下B2=四段、C1=三段といった感じ。B1の脇田君などは、立派な県代表の力をもっている。

 現プロ五段の塚田泰明はアマ名人戦で準優勝してから奨励会の4級に入会したが、これからはひよっとしたら、研修生の中からアマ名人が誕生なんてことが起こるかもしれない。

 小学生名人の斎田君や窪田君など、力だめしの意味でも、どんどんアマ大会に出場してみてほしいものである。もちろん他の研修生にも期待している。

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研修会制度は1983年12月4日からスタートした。

A2クラス=奨励会6級と設定され、第1期は奨励会試験で最高の成績者(2次試験で不合格となった中で)がB2クラスと位置付けられた。

1984年4月頃の、後に棋士となる研修会員は次の通り。

関東研修会

B1…丸山忠久少年(13歳)

B2…窪田義行少年(11歳)

C1…山田久美女流初段(17歳)

D2…鈴木大介少年(9歳)、大庭美夏女流育成会員(14歳)、大庭美樹女流育成会員(13歳)、高群佐知子女流育成会員(12歳)

関西研修会

C2…畠山鎮少年(14歳)

D1…増田裕司少年(13歳)

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研修会担当理事が武者野勝巳理事(当時)、幹事が田中寅彦七段(当時)、泉正樹四段(当時)、島朗四段(当時)で研修会の運営が開始された。

後の将棋界の流れを見れば、研修会制度が絶妙手であったことがわかる。

研修会を作った棋士