中田功奨励会員の下宿

近代将棋1997年6月号付録、「初めての棋戦優勝シリーズ 羽生善治四段初優勝編」、鈴木宏彦さんの1986年の第10回若獅子戦「羽生善治四段-中田功四段戦」の観戦記より。

 中田功四段。大山十五世名人門下、福岡県出身。昭和四十二年七月二十七日生まれ、十九歳。

 大山十五世名人は有吉九段のあと、ずっと弟子は取らなかったのだが、三十年ぶりに弟子を取ることになったのは、中田と中田のお父さんの熱心さに負けたということらしい。(ちなみに有吉九段と中田の誕生日は、七月二十七日で完璧に同じ)

 中田と大山十五世名人の仲介をしたのが、他ならぬ本誌社長の永井英明氏。その縁あって中田は奨励会時代ずっと、永井氏の実家(すなわち、本誌編集部があり、永井氏のお母さんが生まれている)に下宿していた。本誌編集部のNさんやKさんは、当然中田の奨励会時代の行状には詳しいわけだが、それによると「このくらい遊んでて、四段になれた男も珍しい」ということだ。

 もっとも本人は「あれは、うそ、ボクみたいに真面目な奨励会員はいませんでした」という。どっちが本当かは分からないが(本当は分かってるけど)、とにかく相当な才能の持ち主であるのは確かだろう。

(以下略)

—–

永井英明さんは大山康晴十五世名人からの信頼が非常に厚かった。

ここに出てくるNさんは中野隆義さん(後の近代将棋編集長)、Kさんは甲斐栄次さん(甲斐智美女流王位のお父さん)なのではないかと思う。

—–

下宿で思い出す話。

刺身も焼き魚も煮魚も食べられない(大嫌い)という人がいた。

この人は名古屋の出身で大学は北海道だった。

理由を聞くと「賄い付きの下宿で、毎日毎日4年間、魚料理ばかりが出てきて、魚は元々嫌いではなかったのですが、さすがに見るのもイヤになってしまいました」。

私はカレーライスが大好きだし、一週間カレーを食べ続けても大丈夫だが、4年間カレーライスが続いたら、さすがに人生観が変わってしまうだろう。

4年間、魚料理を出し続けた札幌の下宿、すごいと思った。