花村元司九段の涙が出るような激励

近代将棋1986年3月号、武者野勝巳五段(当時)の「駒と青春 師匠となって」より。

 編集部より突然「来月号の”駒と青春”を書いてください」と依頼があった。7年ぶりのことなので、「なぜ、この時期に」と戸惑っていたら、続いて「お弟子さんが奨励会に入ったでしょう。題は”師匠となって”とでもしてはいかがですか」とのこと。

 なるほど、子を持って知る親のなんとやら。師匠となってから、若干私のなかの奨励会観が変わっていたので、それも面白いかなあと筆を執ることにした。私事と楽屋裏の話ばかりになりそうで恐縮だが、しばらくお付き合い頂ければ幸いである。

 59年の9月、ある日曜日の朝にチャイムが鳴った。「どちらさんですか?」と問うと「斉藤です」とのこと。奨励会の斉藤君かとドア開けると意外全く見知らぬ少年で、聞けば「埼玉県上尾市から来ました斉藤、13歳です。弟子にして頂きたくやってきましたと言う。何を好き好んで四段の弟子にと思ったが、師匠の花村九段を紹介すれば良いやと考え、平手を2局指してみた。

 アマチュアの三段強というところだが、意気が良く将棋が素直で、加えて「将棋を覚えて1年半位」という上達の速さが気に入って、「11月の奨励会入会試験を受けられるようにしてあげるから、今度は両親と一緒に来なさい」と答えた。

(中略)

 当時花村先生は3人の新弟子を毎土曜日に稽古つけてあげていた。その3人が惜しいところで奨励会入試に2年続けて失敗していたので、「3人と同じように面倒見てあげるけど、本人の希望どおり君が師匠ということになってあげなさい」と言われた。

 そこで両親には、花村先生がいつもするように、プロの卵達の競争がとても厳しいこと、家族の理解と協力がなかったら正しい修行ができないこと、棋士になっても四段クラスでは中卒女子以下の給料であること、などを私の口から話し、「奨励会6級入会にはアマ五段の実力が必要ですから、今年の試験はまず受からないと思います」と付け加えた。

(中略)

 その年の奨励会入試は2勝3敗で一次試験にて失格。これはある程度予想されたことで、むしろ2勝は望外だった。

 この頃に奨励会の予備軍的存在である研修会ができたので入会し、毎土曜日は花村先生の稽古、第二第四日曜は研修会と、斉藤君の本格的な将棋の修行が始まった。平日は学校から帰ると地元の将棋道場に直行なので、こうなると学業の成績も急降下、両親の不安が伝わってきてこちらも辛い。

 それでも将棋を勝てば本人は救われるのだが、急に豪の者の集団に入ったので、ブラックホールのように多少の棋力アップは吸収されて白星へと結びつかないのだ。

 私は新任の理事職が忙しく、研修会での棋譜を並べて「確実に実力アップはしている。後は自信を持って盤に向かうこと」などと声援を送るだけだった。

(中略)

 そんな訳で次の奨励会入試、惜しくも合格できなかった。花村先生も実力アップより自信喪失のマイナスの方が大きいといつも心に掛けて下さり、道場の新年会の席上、大勢のお客さんに「奨励会を目指している斉藤君です。この間は惜しくも不合格だったが、今年の試験は絶対受かる。花村が百万円賭けてもよろしい」と紹介してくれたそうだ。この頃から研修会での成績も急速に上向き、CⅡ級からCⅠ級、BⅡ級、BⅠ級と驚くほど順調に昇級を続けた。やはり力が溜まっていたのだろう。

 途中花村先生の突然の逝去でしばらく精神的に乱れ、AⅡ昇級即ち奨励会へ編入の一局を5番も負けるという珍記録を作ってしまったが、研修会幹事だった田丸七段から「奨励会試験は絶対受かるよ。こういうタイプの方が上に行って勝負強くなるもんさ」と私が励まされたりもした。

(中略)

 研修会BⅠ級なので今回の奨励会試験は一次試験免除。二次試験、これは現役奨励会員と3局指すのである。安全圏は2勝1敗で、1勝では面接と筆記の成績によって落ちる可能性がある。

 当日見回すといるいる。勝浦九段、石田八段、佐瀬八段、剱持七段ら高段棋士が愛弟子の戦いぶりやいかにと心配顔で記者室に待機している。

 勝浦九段の弟子は北海道の出身で、合格したら早速アパート探しにとりかかるそうだし、佐瀬八段は多くを内弟子として自宅で修行させた苦労を語る。剱持七段は弟子の住まいとして新宿にマンションを購入し、そこで教室を開講している話だ。

 そんな間に斉藤君は1勝1敗、そっと3局目をのぞいてみるともう1分将棋、相手玉は必至がかかっているが、自玉もかなり危険。豊富な持ち駒の相手が数十分の大長考中で、私は席に戻って考えても何が何だかさっぱり分からない。詰まないとも思えるのだが、手が広いだけに好手順がありそうでもある。結局は勝ち切るのだが、あんなにフルエたのは生まれて初めてで、自分の入会試験を見に来た花村先生の気持ちが今にして分かったものである。

(中略)

 将棋界では「師匠は弟子に将棋を教えない」ものとされてきた。技は自分で得るものとの判断からだが、同時に内弟子全盛の頃には兄弟子や訪問棋士が代わりに稽古をつけてあげたからだろう。その意味で、内弟子制度のなくなった今では師弟の関係は様々に変化している。

 昨年より花村先生の遺児となった窪田5級、深浦5級を交えて都内の道場にて研究会を催している。先生の稽古会を場所を変えて継続したもので、せめてもの恩返しのつもりなのである。

 師匠1年生の現在は何をしたら良いのか分からず、「若いうちは居飛車でなくちゃイカン」「穴熊などもっての外」という先輩の声に揺れたり、「盤上は人生の縮図、全てを経験して清濁併せ飲む器量に育てなくちゃイカン」という別の先輩の声に揺れたりする毎日だ。

(以下略)

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「奨励会を目指している斉藤君です。この間は惜しくも不合格だったが、今年の試験は絶対受かる。花村が百万円賭けてもよろしい」

人生の酸いも甘いも噛み分けた花村元司九段ならではの、涙が出るような激励。

若い頃は賭け将棋などで修羅場をくぐってきた花村九段が賭ける、というのは他の人が賭けるよりも非常に大きな説得力を持つ。

これほど勇気づけられる激励はなかなかないと思う。

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「当日見回すといるいる。勝浦九段、石田八段、佐瀬八段、剱持七段ら高段棋士が愛弟子の戦いぶりやいかにと心配顔で記者室に待機している」

この時の奨励会試験では、勝浦修九段門下で野月浩貴少年、金沢孝史少年、佐瀬勇次名誉九段門下で木村一基少年、五十嵐豊一九段門下で屋敷伸之少年などが合格している。

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「昨年より花村先生の遺児となった窪田5級、深浦5級を交えて都内の道場にて研究会を催している」

花村九段が亡くなった時に花村門下だった奨励会員は窪田義行5級と深浦康市5級だけだった。

武者野勝巳五段(当時)が後を引き継ぐ形となっている。

花村一門物語

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