島研発足1年前の島朗五段(当時)

将棋世界1984年11月号、大野八一雄四段(当時)の「関東若手棋士地獄めぐり」より。

 この欄を書いているうちに大変なことを知ってしまった。編集部より過激にとばかり言われていたため、それが頭にこびりつき肝心なことに目を向けるのを忘れてしまっていた。

 まだ2回しか書いていないのに若手棋士達は、私のことは書かないでくれとか、書くのだったら原稿を提出する前に見せてくれとか……。又は、大野さんの前では何もできないとか、言えないとか……。ひどいのになると私が現れると逃げるのである。

 今まで、築いてきた信用がすっかりくずれてしまったようだ。(そんなものあったっけ)

 ある人は「あいつは今までいい子ぶりっ子をしていた。文章を見ろ。ああまで書くやつなんだから、どういった性格なのか分かるだろう」

 よく言ってくれた。えらい。もう私は弁解などしない。完全に開き直ることにした。若手棋士諸君よ覚悟してくれたまえ。

(中略)

 島朗五段。B型。私の周りにいる棋士の中で光って明るい性格の男だ。考え方がすごくユニークで、自分で言葉を造って流行らしたりする。

 ぞんがい、どつぼ、人間ジャーナルなど、その一例である。ぞんがいとは、ありえないと言うことらしい。これは分かる。どつぼ、これも最悪のことなんだなぁと何とか分かる。

 では、人間ジャーナル。これはどういう意味なのか分からないが、ドジをした人間に対し、使うことが多いようだ。興味がおありの方は直接、氏に聞いていただきたい。

(中略)

 では、私も清水の舞台から飛び降りたつもりで、島君の沖縄での行動を書いてしまおう。言っときますけど、これは本当に命がけのことなんですよ。

 沖縄の話を書く前にこれを言っとかなくちゃ。旅行前のことである。どうしても島君はアイスクリームが食べたくなったらしい。そして買いに行った。すると店番をしていた娘がものすごく可愛かった。

 日頃、内気(当時はそう思っていた)な彼は自分の電話番号と名前を書いた紙を渡して、良かったら連絡してくださいと赤面して置いてきたと言う。

 数日後連絡があり、デートの約束をしたと言う。だが、運悪く旅行の日に重なってしまった。沖縄に着くまで島君の頭の中は、その娘のことでいっぱいで、帰ったらどこへ連れていこうかなどと、飛行機の中でブツブツつぶやいていた。

 目的地につくと、そこのホテルからの眺めは何とも素晴らしい。別世界のような所であった。

 島君は「ホテルは一流、海も一流」そして、何を血迷ったのか「勝ちしかない」と言いだした。そして早速着替え、女の子に声をかけに飛びだしていった。素早い。

 飛びだして行ってから、数十分後には早くも、女の子と友達になれたようで、彼女達のホテル名と名前を聞きだしてきた。ホテルに帰ってから、まことに嬉しそうであった。

 ところが夕方電話をしたところ、そっけない返事。たちまち島は暗く落ちこんでいき、日頃あまり飲まない酒を後輩に買いに行かせ、女なんかと叫んで、ふて寝してしまった。

 そして翌朝、心配して島君の部屋に行くと、「いい朝だ。大野さん、今日は勝ちしかありませんねえ」と言い、顔がはつらつとしているではないか!昨日の落ちこみはどこに行ってしまったのか?

 私が不思議そうな顔をしていると、「昨日のことなんか忘れて、楽しくやりましょう。大野さん」と言うのである。

 本当に心配して損したなぁもう。

 2日目は、昨日の名誉挽回とばかりにすさまじい勢いであった。3人の女の子と仲良くなり、夜の酒場の約束をし、私達がポカンと見ていると、「ツモ」と言って「さあ次だ」。

 今度は4人連れの側に行き、これまた数十分後に「ツモ」となる。それでもまだ納得できないのか、2人連れの大阪から来た女の子と所へ行き、これまた「ツモ」。やるもんである。

 行く前によく声をかけるとは聞いていたが、これほどとは!小生は「まいりました」完全に脱帽である。

 これで終わってしまえば、まだいい。難問があるのですぞ。お分かりかな?氏は3グループに声をかけてきたのである。しかし、島という男はこの世に一人しかいないのですぞ!

 ホテルに帰ると島は、「どうしよう」とどのグループとつき合うべきか悩んでいる。(いや、この時点では心は決めていて、後のグループをどうしようかと悩んでいると言った方がいいであろう)

 すると突然手をたたき「わかった」。我々に向かって「会って、遊んできてくれませんか」と言うのである。

 この発想、あきれた。「そんなことできる訳ないだろう」と怒ると、「やはりダメですか」と肩を落としてしまう。

「いい性格しているよ。あんたは大物だ」

 結局2人連れを誘い、バーで酒を飲み11時頃部屋に戻ってきた。これが沖縄での大ざっぱな出来事である。

 帰りの飛行機の中で、「関西に近いうちに対局がつくといいなぁ。そうすれば電話して会えるのになぁ」とか、「対局はつかなくても、来月大阪に行くぞ」と一人でタメ息をついたり、ニヤニヤしている。

「勝手にしろ。バカモノ!」

 私に言わせると、まだここで話が終わればいい(許せる)。島一行は1日おいて伊豆七島の式根島へ、又も旅立つのである。

(中略)

 これはT田五段より耳に入った情報(証言)である。

「式根島まで島さんは、いつ大阪に行こうかと悩んでいました。ところが、島に着くやいなや、又しても女の子のグループと仲よくなってしまい、その中の一人をとても気にいってしまったそうです。その時の島さんと言ったら、とても幸せそうでした」

「な、なんと!許せるか、皆さん」

 私は、直接本人に聞いてみた。

大野「大阪の娘にはいつ連絡とるの」

島「何ですか、それは?」

大野「沖縄での娘だよ」

島「もう忘れました」

大野「節操がないねぇ、君は」

島「私にはそのような物、最初から持ちあわせていません」

 あきれました、本当に。

 ただここで断っておきますが、この文章を読まれた方は、島五段は無類の女好きで節操のない、女を泣かせる人間だと思うでしょうが(無理もないか)決してそのような男ではありません。

 彼はものすごくナイーブな心の持ち主で恋をしたら真剣に悩むのです。

 それでは前の行動はなんだ、とお叱りを受けるかもしれませんが、あれは旅先で声をかけて、ただ話をかわしたぐらいに受け取って欲しいのです。

 われわれの仲間内では、名前と住所を聞いて、張り合うということは日常茶飯事のことですから。

 こんなことにも将棋指しは勝負したがるんですよ。

 前に私の所にやって来て、「大野さん好きな女性ができました。一人では会いに行けません。一緒に来てもらえませんか?」

 このような男が女性を弄ぶことなど、できる訳がありません。

(中略)

 性格は若者らしく明るい。先輩に好かれる彼は、幹事のような仕事を結構まかされている。

 たとえば研修会の幹事、これはいいかげんな者では勤まりませんよ。信用がなくては。また仲間内の旅行の時などは彼がすべて計画して、リーダーとしてやっている。

 とにかく1日たてば落ち込んだことなど忘れてしまうたちだから。付き合っていると、とまどうこともあるが、根アカなのがとても気持ちのいい男だ。

(以下略)

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私も女性に声をかけまくっていた男性を何人か知っているが、彼らの目的はほとんど即日的かつフィジカルなもので、中長期的視点に立ったものではなかった。将棋で言えば、序盤と中盤がほとんどなく、終盤のみを楽しむパターン。

その点、島朗五段(当時)は、そのようなスタンスではなく、メンタル重視型で会話中心、序盤から中盤の入り口を楽しむようなパターンだ。

女性を弄ぶつもりだったら、3人組の女性、4人組の女性、2人組の女性、それぞれをキープするはずだが、将棋の次の一手を考えるように、もっと良い手が思い浮かべば今までの読みを捨ててしまうような流れ。

大野八一雄四段(当時)が書いている通り、いかに多くの約束を取り付けるかを競い合っていたと考えられる。

昨日の記事にあるように、沖縄でのメンバーは脇健二六段、中村修六段、塚田泰明五段、小野修一五段、大野八一雄四段。(段位は当時)

当時の若手イケメン最強の軍団だったと言われている。

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島朗五段は、この翌年、森内俊之二段(当時)、佐藤康光二段と研究会を始める。そして、この二人の奨励会員が四段になってから羽生善治四段(当時)も研究会に参加するようになる。

これが、伝説の島研だ。

島朗五段の、明るく、ナイーブで、信用があって、落ち込んだことも翌日には忘れる気持ちの良い奔放さが、島研が大成功した理由の一つだったのかもしれない。

やはり、「よく学びよく遊べ」は正しい言葉だと思う。