行方尚史四段(当時)「荒削りだった三浦君の十八番だったんですよ」

将棋世界1995年7月号、泉正樹六段(当時)の「公式棋戦の動き」より。

棋聖戦(産経)

 ベスト4入りを果たしたのは、谷川、森下、村山、三浦。挑戦権が目と鼻の先まで来たが、それ以上にデカイのは、次に負けても来期のリーグにシードを得た事。まあ、この4人なら、そんなセコイ考えは毛頭ないはずで、当然、タイトル奪取を目論んでいるに違いない。

 決定戦進出をかけての森下-村山戦は、森下得意の矢倉を外した村山の時たま用いる四間飛車。森下は必勝を期しての居飛穴だが、1図のような”ガチガチ”が棋風に向いているのか疑問は残る。

 △7四歩が「ア~ひどかった。敗着です」 局後、村山が死にそうに語った大悪手。森下にすかさず▲2四歩と突かれ、それまで2時間半以上も使って慎重に指していた苦労が水泡に帰した。

村山森下1

 △同角は▲同飛△同飛▲4六角!! △同飛も▲同飛△同角▲2一飛△2九飛▲2四飛成!で何れも「目から火の出る…」なのだ。

 村山は仕方なく恥を忍んで△2五歩だが、こう指すぐらいなら「投げてしまいたかった」とうつろな眼。どこまで本心かは解らない。

 片方の山の三浦-谷川戦は、先手三浦の三間飛車穴熊。この思い切った作戦に谷川は意表を突かれた。しかし、三浦の奨励会時代のライバルである行方は「三段ぐらいまではこればっかり。荒削りだった三浦君の十八番だったんですよ」と説明してくれた。

三浦谷川1

 図の△9五歩に、わずか2分で▲9六歩!谷川が当然の△同歩に28分。「だまされた」との想いを象徴している。手慣れた指し口で谷川に圧勝。森下には何を持ち出すのだろうか。

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村山聖八段(当時)の△7四歩は、△7三角と出るための一手だったのだろう。

△2五歩以下は、▲5五歩△4五銀▲2五桂△2四飛▲2六歩△5六銀▲1三桂成△同香▲2五歩△2一飛▲2四歩△同飛▲同飛△同角▲2六飛△2三歩▲5六飛△6四桂▲2六飛△7六桂▲5四歩と熱戦が繰り広げられている。

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三浦弘行九段の奨励会時代の得意戦法は振り飛車穴熊。四段になって以降も振り飛車を採用することが多かった。

▲9六歩以下、△同歩▲同香△同香▲同飛△9四歩▲7六飛△3三桂▲9七桂△5五歩▲同歩△5六香▲7七角△7九角成▲7四歩△同歩▲8五桂△6九馬▲5四香と進んでいる。

行方尚史四段(当時)の談話通り、この対局での三浦弘行五段(当時)の振り飛車穴熊は、細かいことは気にしない、日本刀で斬るというよりも青龍刀で斬るような力で押すようなイメージの怒涛の攻め。

三浦弘行九段は若い頃、「武蔵(たけぞう)」、「野武士」、「凄みのある素浪人」などと形容されたことがあるが、(振り飛車を指す時の)当時の棋風もまさにそのような形容詞がピッタリな感じがする。

三浦五段はこの後、挑戦者決定戦で勝ち、羽生善治六冠(当時)への挑戦を決める。

藤井猛少年と三浦弘行少年の「山賊ラーメン」「海賊ラーメン」