「林葉なに子さん…」

近代将棋1990年1月号、林葉直子女流王将(当時)の「直子の将棋エアロビクス」より。

「ぼくは、いつも、直子、直子と、直子の名を呼んでいるんだよ!」

 ああ、なんという心ニクイお言葉…!

 私はどちらかというと感激派だから、こんな殺し文句を言われると、もうとたんにメロメロになってしまう。

 それがしかも、私が最高に憧れている方からのお言葉となると…。

 ああ、普段なら、この先をいちいち説明するまでもなく、私の感動ぶりを想像していただくことにするのだが、今回はそうもいかない。

 今からくどくど説明させていただくので、しばらくのおつき合いを…。

 突然話は変わるがテレビや新聞を見ない人はほとんどいないと思う。

 しかし、テレビや新聞が完全に事実を伝えているかどうかということについて、疑問を抱く人はそのうちの何パーセントだろうか。

 あまりいないのではないだろうか。

 たとえば、デモをする労働者と警官隊が衝突したとする。

 その場面を報道するとき、カメラマンが警官隊側にいて投石したり警官を袋叩きにしている場面を写し「デモ隊大暴れ警官を袋叩き」と報道すれば、それを読む者は「なんというデモなんだ。まるで暴徒ではないか」と思うだろうし、逆にデモ隊側にカメラマンがいて、警官隊に小突きまわされ引き立てられていく労働者が映し出され「警官隊側が暴行」という見出しをつければ、見る側は「でたらめな警官だちだ。まるで暴力団ではないか」などと思ったりする。

 この二つの報道は決して虚偽ではない。事実なのだが、報道されたことは正反対なのである。つまり、記者の目、カメラマンの目が、そのまま読者や視聴者の目になってしまうのである。

 ということは、部分的報道を見て全体を安易に推理してはいけない、という教訓をもたらす…。

 おっ、なんだ、なんだ……、

 林葉の奴、日頃の言動に似合わず、何をエラそうなことを言ってやがるんだ。

 さっきの話の続きはどうした?

 そうだよ、お前さんのことをいつもいつも呼び続けている憧れのひとのことよ。

 あはははは、ホラね…、もう誤解している…。

 私は冒頭に書いた「直子」のこと…、

 あれ、誰だって私のことだと思うでしょ。でも、私は決して私のこととは書いてないはず。(もう一度読み直してクダサイ)

 あの言葉は、まぎれもない事実だが…

 しかし、残念ながら、ある会話の中の一部分なのである。

 その一部分が、ああ、本当に私に向けられていたら…、なんて(こりゃ、ちょっと言い過ぎかしら…)浅はかな女心が、冒頭にあんな言葉をもって来させてしまった…、お許しを。

 憧れの方のために、そろそろ誤解を解かなければいけない(私は誤解されたままで一向に構わないのだが…)。

 時は11月12日。ところは堺市。将棋の日である。

 第一部は紅白に分かれてのリレー将棋。

 第二部は、谷川名人対南王将の将棋を見ながら、ファンの皆さんに次の一手をあてていただく次の一手名人戦。

 この解説に出たのが、私の憧れの人と小林八段である。

 もうジラすのはよそう。

 そう。私の、いえ、女流棋士全員の、いえいえ、男性棋士も含めて、棋界全員の”憧れの人”、その人の名は、中原誠王座!なのである。

 そのときの私の役どころは、次の一手を予想するということだった。

 事件は、局面が中盤にさしかかったときに起きた―

 中原先生がマイクを片手に持ち、私に向かっておっしゃった。

「それでは、次の手を、林葉なに子さん…、い、いえ失礼、えっと、林葉…さんに答えてもらいましょう」

 中原先生、私の名前をお忘れになったのだろうか、と一瞬ちょっぴり悲しくなったが、どうやらそうではないらしい。

「林葉直子さん、次はなにを…」とおっしゃるつもりが、つい「林葉なに…」となったのだろう。

 よくあることだ。頭で考えていることとまるっきり違う言葉が口を突いて出たりするのだ。私など、しょっ中それで失敗している。

 私も、すぐに、先生もそんな失敗をされたのだなと気づき、先生の小さなあわてぶりを内心かわいらしく思ったものだった。ところが、ところが―

 私にとってはこっちのほうが大事件…!

 この日の打ち上げパーティのときに、中原先生自らが私のところに足を運んでくださった、今日の失敗を詫びられたのだ。

「そ、そんなァ!!」

 私は手やら首やら振りまくって、すっかり恐縮してしまった。

 そのとき、先生がつぶやくようにおっしゃったのだ…、

「うちの娘も、直子といって同じ字なんで、いつも、直子、直子と、直子の名を呼んでいるんだけどね…」

 うふふ……。

 真相は、ま、こんなところ…。

 ちょっぴり、いや、大いに残念だったなァ―

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直子という名前の女性は、意外と多いようだ。

例えば、本名が直子の著名人は、

大谷直子さん(1950年生まれ・女優)
野沢直子さん(1963年生まれ・タレント)
飯島直子さん(1968年生まれ・女優)
網浜直子さん(1968年生まれ・女優)
山崎直子さん(1970年生まれ・宇宙飛行士)
山崎直子さん(1972年生まれ・女優)

明治安田生命の調査によると、「直子」という名は1970年生まれの女性では7番目に多いとされている。

林葉直子さんは1968年生まれなので、まさに「直子」と名付けられた女性の多かった時代に産まれている。

中原誠十六世名人は1971年に結婚をしているので、直子さんの誕生はその後。

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村上春樹さんの「ノルウェイの森」のヒロインの一人の名前も直子。

1949年生まれの設定となっている。

「ノルウェイの森」は1987年に出版され、私もリアルタイムで読んで、とても雰囲気のある素晴らしい小説だと思った。

その後すぐ、村上春樹さんの他の小説も読んでみたくなり、三冊ほど買ってきて読み始めた。しかし、どの本も馴染めず、それぞれ初めの10数ページで読むのをやめてしまった。

「ノルウェイの森」が村上春樹さんの作品の中では違った傾向のものだということをこの時に理解した。

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この記事を書くにあたり、非常に興味深いブログ記事を発見した。

村上春樹の「好き」「嫌い」はどこで分かれるのか? に関する一考察(チェコ好きの日記)

この記事には、

『ノルウェイの森』から入った人は、高確率でアンチになる

と書かれており、思わず吹き出してしまった。

まさしく私はその通り。

そうなる原因にも言及されており、非常に説得力がある論旨展開だ。

別に私はそこまで”アンチ村上春樹”ではないけれども、「ノルウェイの森」以外の村上春樹さんの作品の面白さは私は一生理解できないだろうなと更に確信が持てたような感じがする。

それにしても、「チェコ好きの日記」を書かれている方の文章が面白い。