羽生善治六冠(当時)「自分の将棋が将来、どう評価されるだろうかというのは、けっこう考えますね」

将棋世界1995年12月号、池崎和記さんの「昨日の夢、明日の夢」(羽生善治竜王・名人)より。

将棋マガジン1995年12月号より、撮影は弦巻勝さん。

結果より「棋譜」が問題

 羽生は趣味でチェスを指す。当然、世界のチェス界のことにも詳しい。これは佐藤康光もそうである。

 トップ棋士がチェス界に関心を持っているのは、いいことだと思う。チェス界の動向を知ることは、将棋界の将来を考えることと同じだと思うからだ。

―来年2月、カスパロフ(世界チャンピオン)とIBM製のコンピュータが六番勝負をやります。勝ったほうが約4,000万、負けたほうが1,000万という勝負です。チェス界では人間とコンピュータの試合がよく行われていますが、羽生さんはそう思いますか。

 歴史の差ですね。将棋界はプロの世界が成り立ってから短いですけど、チェスはもう……。だから、そういうコンピュータが出てきて、人間のチャンピオンと対戦するのは自然なことだと思います。将棋界でも将来、起こり得ることだし、また、それは自然なことだと思います。

―もし将棋の強いコンピュータが出てきたら、羽生さんはやりますか。

 やります。でも、いまのレベルは……。

―いまのコンピュータは論外です。

 いやいや、そういう意味じゃなくて、いまの人間のレベルが大したことがないと思いますので(笑)。

―すごいことを言いますね。

 いまの人間のレベルが2%ぐらいでは、コンピュータに凌駕される可能性もあると思います。人間のレベルをもっと高めないとダメですよ。

―カスパロフは日常的な体力のトレーニングはもちろんですが、それ以外にロシアの前衛詩人の詩を読んだりして、芸術的なセンスも磨いているようです。チェスが強くなるためには、チェスだけをやっていたらダメなんだと……。もともと、お母さんがすすめたらしいですが。

 やっぱりその世界がどんどん発展していけば、最終的にそうなると思いますよ。チェスだって、その世界をどうとらえるかでしょう。どうとらえるかというのは習慣的なもので、例えば20代でやって、それでいいやと言うんだったらテニスみたいな世界になるし、カスパロフのように30代、40代になっても続けようと思えば、そういうトータル的なことを考えて設計していく、ということになるから……。

―カルポフ(前世界チャンピオン)は「チェスは自分の全生活の一部に過ぎない」と言ってますね。羽生さんの考え方も、これに近いですね。

 私も将棋と生活は別だと思っています。

―フィッシャー(元世界チャンピオン)はそうじゃない。彼にとっては「チェスは我が命だ」と。チェス界にもいろんな人がいるから面白いです。

 私、「対局する言葉」でも言いましたけど、将棋だけの世界に入ってると、そこは狂気の世界なんですよ。だからフィッシャーみたいな考え方になるのも、自然な気がしますけどね。特に一つのことに打ち込んでいる人ほど……。

―狂気の世界なら、そこに閉じこもっていたら危ないですね。

 いや、閉じこもったら、出口はない。狂気の世界には、入り口はあっても出口はないんですよ。

―羽生さんはそこまでは行ってない。

 私は残念ながら、そこまで行く勇気もないです。でも狂気を原動力にする人もいるんですよね。フィッシャーもたぶん、そういう人だと思うんですけど。

―フィッシャーはそうでしょうね。しかし将棋界で、そこまで入りこんだ人はいないでしょう。

 いませんね。昔もいません。

―しかし将棋にも怖いところがある。

 ありますよ。人生が千年あっても続けられるというような感じですから。

―羽生さんがそう感じるのは、周りを見てですか。それとも自分の経験からですか。

 自分でやってて、考えてて……。例えば1年なり2年なり、ずーっと毎日にようにやってたら、だんだん頭がおかしくなるのがわかりますよ。

―それがわかるから、手前で止めてるわけですね。

 入り口は見えるけど、一応、入らんとこうと思って(笑)。

―最後の質問です。羽生さんの現在の目標は何ですか。

 自分自身が納得できる将棋を数多く指すことですね。これが一番の目標です。

―棋譜は後世に残る。これは後世の人たちに内容を検証される、ということです。その一方で、勝ち負けという結果があります。羽生さんの気持ちの中では、この二つの比重はどうなってますか。

 比重はわからないですけど、自分の将棋が将来、どう評価されるだろうかというのは、けっこう考えますね。やっぱり平成の初期から何年かは技術が盛んに伸びた時代だった、と言われるような時代にしたいですから。でも、なかなかね。

―しかし羽生さんが100%の将棋を指しても、相手が90%の将棋しか指さなかったら、納得のいく棋譜はできないでしょう。

 その心配は要らないと思いますよ。長い目で見れば、どんな人でも結局、歴史の中のほんの一部だった、ということにしかならないと思うんです。最後は。でも歴史の一部でも、なれればいいですよ。後世の人たちに「話にもならない」と言われたら、つらいじゃないですか(笑)。

―羽生さんはそうはならないでしょう。短い年数で、これだけのことをやれたというのは、すごいことです。

 でも私は、結果ではなく、棋譜で判断されると思ってますんですね。棋譜が問題なんです。

 

 羽生の会話を聞いていると、周囲が「羽生の全冠制覇は成るか、成らないか」と騒いでいることが、なんだか、コップの中の出来事のように思えてくる。

 一度はついえた全冠制覇の夢を、羽生は再び引き寄せようとしている。もし夢が実現したら、どうなるか。

 羽生は「勝負に対するこだわりが消えて、いまよりもっともっと自由に将棋が指せるような気がします」と言った。

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「いまの人間のレベルが2%ぐらいでは、コンピュータに凌駕される可能性もあると思います」は、人間は本来の能力の2%しか発揮できていない、という意味。

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「対局する言葉」は、1995年に刊行された羽生善治六冠(当時)と 英文学者の柳瀬 尚紀さんの対談。

しかし、2004年に羽生善治名人は、その対談で話したこと(狂気の世界の部分)は全く覚えていない、と話している。

羽生善治名人「体力は森内君にかないませんよ」

この記事の時にも書いているが、良い意味での変節、それが羽生名人の強さの原動力の一つ。

反面、「自分の将棋が将来、どう評価されるだろうかというのは、けっこう考えますね」のような根本の部分は、昔から変わっていないと思う。