将棋世界1999年5月号、木村一基五段(当時)の「昇級者喜びの声(C級2組→C級1組)より。
快勝3局、大逆転5局。かくして昇級の一番を迎えた。
とはいっても負ければ4番手、そうなれば自分の昇級の目はほとんどなくなる。
組み合わせ表を見た時から漠然とだが9局目、対杉本五段戦が自分にとって、また場合によっては自分以外の人にとっても大一番になるな、と感じていた。
そして、自分が想像した通りの状況で、2月9日、その日が来た。
相手は四間飛車の大家。奨励会時代に一番指していて自信があったから、急戦で行こうと前から決めていた。もちろん勝ちたい。が、それとは別に、いい内容にしたい、といった思いもあった。
杉本さんに疑問手が出て、夕休くらいから優勢になり、ようやく勝ちが見えてくる。11時を過ぎて「これくらいで勝ちだろう」と思って指す前に、とんでもないトン死筋をうっかりしているのに気づく。慌てないでしっかりと読み切った。
図は「これではっきり勝った」と思った局面。会心の将棋が指せた。
別にこれで気が緩んだ訳ではないのだが、最終局の対近藤四段戦はいいところがなく撤退につぐ撤退で散った。相手にとってとても大事な一戦なのにだらしない。これで密かに狙っていた勝率1位もパーとなった。
奨励会に入った頃は「俺は名人になる」と思っていても、どこかで伸び悩むうちに「俺は◯段くらいまでしか行けないだろう」と段々悟るようになる。僕も「この辺かな」と思う所はあるけれど、今回の嬉しい誤算で少しだけ、前が見えてきたような気がする。
「努力しても伸びるとは限らない。しかし伸びている人はみな、その人なりに努力している」と或る人が言った。
棋士になってから伸びているのは遊ぶ時間と酒の量くらいになった僕だけれど、その言葉を信じてまた少しでも上に行けるよう、頑張りたいと思う。
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「努力しても伸びるとは限らない。しかし伸びている人はみな、その人なりに努力している」
は、たしかにそうだと思う。
目標に向かって努力しなければ何も始まらない、ということだ。
この言葉を調べてみると、ベートーベンが、
「努力した者が成功するとは限らない。しかし、成功する者は皆努力している」
と言っており、最もこの言葉に近い。
ヨーロッパ的な厳しさに溢れた雰囲気だ。
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升田幸三実力制第四代名人は、
「踏まれても叩かれても、努力さえしつづけていれば、必ずいつかは実を結ぶ」
と言っている。
ベートーベンよりも救いがある。
ドラゴンクエストシリーズは努力さえしていれば必ずクリアできるゲームだったが、そのことを思い出す。
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王貞治さんは、
「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」
と言っている。
ベートーベンと升田幸三実力制第四代名人の言葉を合体させてバージョンアップしたような内容だ。
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三つの言葉、それぞれに非常に味がある。
これから何かを始めようと思った時には王さんの言葉、
辛いことがあったり挫けそうになった時には升田実力制第四代名人の言葉、
努力の成果が少し見えてきたような時、気を引き締める意味でベートーベンの言葉、
を思い出すと良いのかもしれない。
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とはいえ、1年以内にタイムマシンを作りたい、今年中に火星に行きたい、などのような非常に高い目標を立てた人に対しては、升田流の言葉も王流の言葉も正しくは当てはまらず、ベートーベンの言葉のみが当てはまることになる。
そのような意味では、
「努力しても伸びるとは限らない。しかし伸びている人はみな、その人なりに努力している」
「努力した者が成功するとは限らない。しかし、成功する者は皆努力している」
は、あらゆる場合に当てはまる、汎用性のある言葉と言えるだろう。
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私も一つ作ってみた。
「宝くじを買っても当たるとは限らない。しかし当たった人はみな、宝くじを買っている」
不思議とモチベーションの上がらない言葉だ…