先崎学七段(当時)「僕らの世代の将棋のタイプを端的にいうと、佐藤は野蛮、羽生は柔軟、郷田は筋が良くて華麗で、森内はターミネーター、丸山はエイリアンである」

将棋世界1999年8月号、先崎学七段(当時)の「第57期名人戦七番勝負 シリーズを振り返って 線の時代から点の時代へ」より。

 今回の名人戦は、一言でいうと、旬な闘いであった。食べ物にそれぞれ旬があるように、人にも旬がある。今の佐藤はまさにそれだ。旬の食べ物に栄養があり、歯応えが良いように、彼の将棋は、今とても豊潤で、川を逆流する鮭のごとく勢いに溢れ、指し手に躍動感がある。そして、脂の乗った鮭は、前期の名人戦からその片鱗を見せていた。

 去年の春、名人戦の第2局目に、谷川が陽動振り飛車に出て、桂馬を序盤にポーンと跳んで、佐藤の穴熊に攻め潰され完敗した時、僕は、ああ知らないんだな、と思った。佐藤のパンチ力の凄さをである。いや、谷川は知ってはいたのかもしれない。知ってはいたが、皮膚感覚の微細なところまで、しみ込んでいなかったのだろう。

 佐藤康光は、当代随一のパワーヒッターである。緻密流というニックネームがついているがとんでもない。彼の将棋の一大特徴は、堅い所を突き破る、野性味溢れるパンチ力である。それも一発でのすのではなく、何度も繰り返される連打。これが決まった時の破壊力は、棋界でも断突のナンバーワンで、まともにくったら羽生岩も谷川岩も、粉々に砕け散るしかない。連打ということは、駒が常に前に出るということである。それも、決して筋が良い綺麗なパンチではなく、どすどすと鈍い音のする連打だ。

 僕らの世代の将棋のタイプを端的にいうと、佐藤は野蛮、羽生は柔軟、郷田は筋が良くて華麗で、森内はターミネーター、丸山はエイリアンである。

 ともあれ、谷川は、前期の名人戦でパンチをもろにくらって負けた。そこには油断があったのかもしれない。いや、計算がちょっと狂ったというべきか。ともあれ、まともに打ち合っては、好調の時の佐藤に勝てる棋士はいないのである。

 そんなにパンチが強ければ、もっともっとタイトルを取れるのではないかと思われるだろうが、彼の短所は、意外に思われるかもしれないが、案外にミスが多いことである。その場で、手を考えるような所がある。ありていに言えば大雑把である。これが終盤で出ると命取りになる。あと、ひと度読みだすと、とことん深く読むタイプなのだが、広く手を探すことが出来ない。だから、第一感が狂い出すと、ちょっとした破綻が、とめどもなく広がってゆく。そういう時の佐藤将棋は必ず駒が勢いを失っている。

 前期の敗戦で骨身にしみた佐藤の強さを、谷川がいかにかわすか、僕の名人戦に対する興味はその一点だった。ただここで問題なのは、谷川もパンチが強く、当然、打ちたがりなのである。打ち合いを避ければ必然的に自身の長所を殺すことになる。だから、谷川としては、打ち合いながらも、ぎりぎりの線で、相手の懐に飛び込まないように細心の注意を払わなければならない。その点、佐藤は自分のスタイルを崩さなければ良い。おそらく、全局を通じて谷川の方が悩んだはずである。

(つづく)

——–

先崎学九段にしか書けない絶妙な文章。

特に、「僕らの世代の将棋のタイプを端的にいうと、佐藤は野蛮、羽生は柔軟、郷田は筋が良くて華麗で、森内はターミネーター、丸山はエイリアンである」が、あまりにも見事。

——–

先崎七段(当時)の言葉を借りれば、この翌年、野蛮な将棋の名人をエイリアンが襲い名人位を奪取する。そして、その2年後、ターミネーターがエイリアンを倒して名人位を獲得する。

——–

「エイリアン」は、私が生まれて初めて女性と二人で観た映画だ。

「ターミネーター」は、生まれて初めて勤務時間中に観た映画。(この時は上司と一緒だった)

これも何かの縁だと思いたい。