深夜の森雞二九段と郷田真隆棋聖(当時)

昨日の続き。

将棋世界1999年5月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。

 早いものでもう桜の季節となった。

 とはいっても相変わらず土中の虫のような暮らしをしている当方にとっては、世間の出来事のような感じだ。

 これでも10年程前までは人並みに花見に行ったりもしたのだが、随分と昔のような気もする。その時々の花を愛でる、鷺ノ宮の先生の風雅さを思えば、何とも殺風景な話である。我が陋屋の窓から神宮の杜の端っこが見えるには見えるのだが、大したこともない。

 こんな暗い書き出しで鬱のように思われるかもしれないが、さにあらず、機嫌が良いのである。順位戦の最終局を凌ぎ、助かったからである。終わってからいうのもそらぞらしいが、今期は9局目に西川七段に敗れた時点で肚が据わった。

 これまでも幾度となく降級がらみの勝負をしてきたが、A級の時は別として、どの勝負も他者の勝敗がこちらの結果に微妙に影響するといった状況であった。

 ところが今度ばかりは自分が勝てば助かり負ければ落ちる。まさに単純明快、一目瞭然の勝負であった。

 覚悟が決まっていたから勝敗は結果にしか過ぎないが、思いの外勝敗を心配してくれる後輩がいて、やはり勝てて良かったとしみじみと思った。

 そんな勝負が終わってから1週間後、寓居で楽しいメンバーと酒を呑みながらのクイズ大会で遊んでいると、深夜バックギャモンの下平氏より電話がかかり、今、森雞二、郷田真隆と一緒で、森さんがそちらに行きたがっている、とのことである。その日はB級1組順位戦の最終局で、森は降級、郷田は昇級がかかった大一番があったのだ。結果はご承知のように両者めでたしめでたしであった。そんなめでたい人達を断るはずがない。どうぞいらっしゃいと来ていただいた。

 モリ・ケージといえば古くは坊主頭の名人戦、また私生活でのカジノ好きはつとに知られたところである。あろうことか深夜のテレビ番組では、芸能人にギャンブル指南をしているほどの剛の者である。

 この御仁が加わっては、クイズなどという得体のしれない種目で場が収まるはずがない。私はこの日も覚悟せざるを得なかった。何しろ敵は強いのである(体力が)。勝つまで終わらせてくれないのだ。そこで私は牽制球のつもりで、むなしい言葉とは知りながらこう云った。

「森さん、僕はニコラス・ケージという俳優は好きだけど、あなたはニクラシ・ケージです」。これで少しは酔いが醒めるかと思いきや「君は頭がいいね、どうしてそういううまいことを云うの」と益々ごきげんになってしまったのだ。

 考えてみれば、それはそうだろう。大阪で戦っていたライバルが負けたお蔭で助かったのである。機嫌の悪かろうはずがない。郷田の方は淡々としていたが、遂に最終ステップまで昇りつめたのだから気分は良いに違いない。

 そうして、水の方円の器に従うが如く、ごく自然にサイコロは振られ、夜は更けていったのであった。

 追記。この夜珍しくモリ・ケージはワガママも云わずニコヤカ・ケージに変身して、お賽銭を置いて成仏してくれたのであった。

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”ニクラシ・ケージ”、本当にうまい言葉だ。

真部一男九段は、以前からニクラシ・ケージという言葉を思いついていたのだろうか、あるいはこの場で思いついたのか。どちらにしても凄い。

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今回は順位戦で対局日が一緒だったということもあるが、森雞二九段は弟弟子の郷田真隆王将の若い頃の重要な対局の日には、対局場に顔を出すことが多かった。

四段昇段が決まった日→1990年3月、郷田真隆四段誕生の日

1992年棋聖戦五番勝負→真部一男八段(当時)「将棋のことを聞いてもいいか」

1992年王位獲得の時→郷田真隆棋王誕生

さりげなくいるところが、森雞二九段らしいところ。

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良い意味での昔の不良っぽい魅力を持っている森雞二九段と真部一男九段。

この二人の組み合わせのエピソードも多い。

先崎学五段(当時)を飲みに誘った羽生善治棋王(当時)

真部一男八段(当時)が語る森雞二九段

 

 

 

 

順位戦最終局のどっきりカメラ的な光景

B級1組順位戦最終局の日の出来事。

将棋世界1999年5月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

 南九段と田丸八段が負け、田中九段と森九段の、昇級と残留が決定してしまった。さっきまで控え室で遊んでいた森九段も、夜戦になると顔を見せなくなった。大阪の結果を知るのが怖かったのだろう。

(中略)

 いつの間にか控え室には、佐藤名人、羽生四冠、森内八段と、時の人がそろっていた。しかしくり返すが、期待した波乱はなく、さっぱり盛り上がらない。まだ10時前なのにちょっと疲れた。そこで例のエレベータ脇の老人シートに行き、一息つけていると、対局室から田中九段が出て来た。将棋がわるいから、悲痛きわまりない顔だ。よっぽど大阪の結果を教えようと思ったが、それはしない方がよいのだろう。仕方ないから眼をそらした。田中九段は無言でエレベータに乗り、お茶かんを3つかかえて戻って来た。時間一杯まで投げないつもりなのだ。

 郷田対高橋戦はペースが上がった。一回高橋九段に長考があったが、それ以外は両者淡々と指しているように見えた。大差がついていたからである。

 では、郷田棋聖が昇級を決めた場面。

郷田高橋1

14図以下の指し手
▲2三歩△3三銀左▲4五馬△同歩▲2一銀△3六角▲2二歩成△同銀▲3二銀成△同玉▲2二飛成△同玉▲2三歩△同玉▲2四歩(15図)まで、郷田棋聖の勝ち。

 見事なものである。いつも書くことだが、14図から勝ち方はいく通りもある。そういう局面で、どういう手を選ぶかに私は興味がある。そこに才能があらわれるからである。また、棋風とか考え方の違いもわかる。佐藤名人や羽生四冠なら、どのようにして勝つだろうか。

 私だったら、飛車の利きを通したままで、▲4四桂と跳ぶ筋を考える。そして△4六銀▲3二桂成△同玉となり、意外に寄らないので慌ててしまう、ということだってあるだろう。すくなくとも、▲2三歩は思い付かない。だから感心するのである。

 ▲4五馬から▲2一銀が▲2三歩と関連した寄せ手順。△3六角をうながし、▲2二歩成から完璧の手順で寄せ切った。▲3二銀成と取ってからは詰みで、15図以下は説明するまでもない。

郷田高橋2

 感想戦も短く終わり、郷田棋聖が控え室に引き上げて来た。そこで勝利インタビューが行われたが、特に記すようなこともなかった。昇って当たり前の人が昇ったからだろう。気が付くと控え室は閑散としていた。継ぎ盤はとっくの昔に放置されている。しかし、田中、森両君は粘っていた。私も帰ろうかなと思ったが、意地になって残ることにした。

 ぼんやり座っていると、毎日の山村記者がまめに対局室と控え室を往復しているのに気が付く。細やかな気遣いである。もし、決定していたからと放ったらかしにすれば、対局者は、決定していることに気付く。それが、同じように棋譜を取りに出入りしていれば、大阪の方はまだ終わっていないか、あるいは、南と田丸が勝ち、東京の進行を気にしている、というように対局者は読む。投げるに投げられなくなるわけだ。

 午前零時を過ぎたころ、まず森対中村戦が終わり、すこしたって、田中対神谷戦が終わった。森九段と田中九段が負けた。

 残っていた5、6人といっしょに控え室を出るとき、私が「おもしろいから、寅ちゃんに、残念だったね、と言ってやろうか」と呟いた。これをうしろにいた田中誠君が聞きつけ「それはいい。ぜひ言って下さい。お願いします」やけにきっぱりと言った。みんなくすくす笑っている。誰かが「この親にしてこの子ありだ」なんて言っていた。

 ぞろぞろと対局室に入るが、一同無言で感想戦を見ている。室内は凍っていた。私は、田中君の所を覗き、それから森君の所に移った。数分黙っている間、「ひどいや」など森君はしきりに泣きを入れている。頃合いを見て「君はね、とっくに助かっていたんだ」と言った。とたんに「なんだ!早く教えてくれよ」泣き笑いみたいな顔になった。間をおかず、遠くから「寅ちゃん、君も上がっていたんだよ」。「なんだって!」二人とも同じことを言った。声がオクターブ上がったのも同じだ。雰囲気がガラリ一変し、みんなニコニコしている。

 勝負の世界でありながら、敗者の悲哀がない、なんていう場面をはじめて見た。

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将棋世界1999年5月号、田中寅彦九段の「昇級者喜びの声(B級1組→A級)より。

 3月13日午前零時32分、「負けました」と作業を終えた私の体は、重く、熱く、引きつっていた。

 反対に頭の中は、64分の1を引き当てた予感で凍りついている。

 何かしないと息が止まりそうなイヤな気分になってきたので懸命に感想戦を始めた。

 勝負がついた事を知った担当記者や取材記者、そして奨励会員の息子らが入室し盤側に座った。

 だまったままで……。

 私は、あんなに熱いと感じていた体のあちこちが、氷山のように冷たく固まり出してくる様を覚える。

 そんな最中、皆に緘口令を敷いていた河口六段が口を開く。

「大阪は早くに福崎が勝ったよ、控え室の盛り上がらない事ったらなかったよ」

 ちょっとした演出で私を喜ばせようとしたのだろうが、凍りついた頭は反応しなかった。

「なんだ、意味ない、意味ない、飲みに行きましょう」と言う神谷七段に、

「もう少し」と言って感想戦を続けてもらった。

 体がすぐに動かなかったからである。

 今期は出だしから調子が良かった。

 中盤で競争相手を順番に負かせたのが楽なレース展開に持ち込めた原因だが、最後の2局は自分に負けた。

 図は10局目の対福崎八段戦の投了図、指せる将棋を寄せ間違え、自玉の詰みを承知して形作りにいった将棋。

田中福崎

 福崎八段は私の読み筋にない華麗な王手で迫ってきた。

(そうかこんな旨い手もあるのか、読めてないなあ、しょうがない次頑張ろう)

 と考え投了したのだが、相手を信用しすぎた。△1三同桂▲同桂成△2五金で自玉は詰まず、勝ちだった。

 4回目のA級昇級。

 幸運とともに得難い体験ができた。

 もうなにも怖くない。

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「残念だったね」と言って驚かせようという計画

室内は凍っていた

言葉を発するような雰囲気ではなかった

黙っていたら、(やはり駄目だったのか)と思われた

という展開。

黙っていることが「残念だったね」と言うことと同じ効果になってしまうのだから、他の世界ではほとんど見ることのできない劇的な空間だ。

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この後、残留を決めた森雞二九段は、A級昇級を決めた弟弟子の郷田真隆棋聖(当時)と一緒に夜の街へ向かう。

その模様は、明日をお楽しみに。

 

 

「木村さんの方によりフレッシュさを感じざるをえないところがあります」

将棋世界1999年6月号、「第26回将棋大賞」より。

選考委員は(順不同、敬称略)、

古作登(週刊将棋)、風間博美(NHK)、高林譲司(三社連合)、渡辺久和(スポニチ)、東公平(日刊ゲンダイ)、黒済正義(山陽)、小田尚英(読売)、松本治人(日経)、山村英樹(毎日)、佐々木賢介(朝日)、奥田裕(産経)、橘孝幸(共同通信)、島田良夫(テレビ東京)、田中英明(赤旗)。司会は大崎善生編集長(当時)。

新人賞

司会 続いて新人賞の選考に入ります。

古作 私は三浦さん。申し分ない実績です。現代の青年とは違った親身あふれる人間性で、将棋も魅力的です。

風間 NHK杯のベスト4にフレッシュなトリオが残ったんですが、いろいろな棋戦で活躍して14連勝も記録しているのが、久保さん。三浦さんとどっちかなと思いますが、久保さんを推薦します。

高林 木村一基さん。1年間コンスタントに勝っていて、順位戦でも昇級、王位リーグにも連続して入っています。

渡辺 対局数・勝ち数・勝率と平均して上位にいるので、三浦さんを推します。

東 三浦さんは元棋聖なので敢えて外して、木村さん。勝ち抜き戦で羽生、北浜、屋敷、森下に連勝したのも価値があると思いますし、棋聖リーグにも入っています。何か大物という感じがするので。

黒住 三浦さんは七冠の一つをとったことがあるので、イメージ的にどうかなと思います。今年は敢えて該当者ナシではどうかと、議論のために発言します。

小田 候補は大勢いて悩みましたが、木村さん。理由は東さんと同じです。

松本 私は野月さん。新人賞は、将来性とともに、その年の旬の人を推すべきだと思います。野月さんは、早指し戦でもベスト8進出。新戦法の横歩取り△8五飛の使い手で、高勝率を挙げて印象度が高い。それと、1年間に6回ヘアースタイルを変えて、DA PUMPを思わせるような鮮烈な印象を与えて、これからのビジュアル系棋士の先駆けということで。

山村 私は木村さん。最後まで勝率1位を争う活躍で、将来有望と思います。

佐々木 私は杉本さんを挙げます。振り飛車一筋で、「相振り革命」という本も書いています。この間、朝日アマの全国大会に行ったら、相振り飛車が大流行なんです。影響力があったということで。

奥田 私は三浦さん。棋聖をとられた後不調だったんですが、努力してよく立ち直ったのを認めてあげたい。

橘 三浦さんか、木村さんと思ったんですが、記録面の僅差で木村さんに。

島田 一昨年殊勲賞をとっている三浦さんは、新人賞という感じではない気がします。さっき該当者ナシという声があって、私も悩みましたが、なるべき賞を差し上げた方がいいというこれまでの趣旨から、敢えて候補を挙げれば、野月さんか、木村さんかなと。

田中 私は三浦さん。去年の藤井さんもそうでしたが、今年が最後のチャンスじゃないかと。三浦さんの将棋は野性味があるというか、フレッシュな感じがするんです。もう一人、テレビで活躍して人気のある堀口さんも浮かんだんですが、将棋の中身で三浦さんかなと。

司会 4名が三浦さん、5.5名が木村さん、1.5名が野月さんを挙げています。島田さんが0.5票ということで。あとは久保さん、杉本さんを挙げた方が1人ずつです。三浦さんと木村さんに絞った討論になると思いますが。

松本 三賞をとってから新人賞を受けた方はいないんですか。

司会 今まではいません。

古作 それがひっかかるんですが、三浦さんは最後のチャンスかもしれないので。

小田 逆に、最後のチャンスという方は、もう新人賞じゃないような気がしますね。実績的には何の異存もないんですが。

風間 三浦さんと木村さんに絞るなら、僕は三浦さんを推します。今まで新人賞をもらってないのが不思議でしょう。

佐々木 新人王戦に優勝したから新人賞にはピッタリな感じですね。ただ、私が三浦さんの観戦をした時に千日手が非常に多くて、千日手王はフレッシュなのかなと、少し疑問に思いますが(一同笑)。

松本 私は、野月さんがダメなら、木村さんが一番相応しいと思います。

司会 では、三浦さんか木村さんかで、決選投票を行います。

東 アイドル賞を作って野月さんや堀口さんにあげるのはどうですか(一同笑)。

奥田 ビジュル賞も(笑)。

司会 開票の結果は、三浦さんが7票、木村さん7票の同数ですので、私が一票投じることになりますが、木村さんに。三浦さんは、成績的にも性格的にも(笑)新人賞に相応しいんですが、木村さんの方によりフレッシュさを感じざるをえないところがあります。それでは新人賞は木村一基五段に決定します。

特別賞

司会 続いて特別賞です。

松本 女流棋界25周年ということで、蛸島彰子さんを推薦します。

風間 亡くなった方でも、いいんですか。村山さんに何か差し上げたいと思っているんです。特別賞でも東京将棋記者会賞でもいいんですけど。

島田 記者会賞の方は追贈の例があるんです。渡辺東一さんと花村元司さん。

高林 特別賞の方がいいでしょう。

小田 私も賛成です。

司会 それは、ちょっと胸を打つものがありますね。それでは、村山聖九段に特別賞を追贈することに賛成の方は挙手をお願いします。満場一致で、故・村山聖九段に特別賞を追贈することが決まりました。

(以下略)

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伯仲する討議、最終投票で7票対7票になるのだから、ものすごい激戦。

大崎善生さんの、「三浦さんは、成績的にも性格的にも(笑)新人賞に相応しいんですが、木村さんの方によりフレッシュさを感じざるをえないところがあります」が、面白い表現だ。

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新人賞。獲得していそうでしていないのが、村山聖九段、藤井猛九段、、三浦弘行九段、広瀬章人八段。

怒涛の勢いでタイトル戦挑戦やタイトル獲得をして、新人賞以外の賞となっているケース。

最近では、A級昇級した稲葉陽八段、複数回タイトル戦挑戦の中村太地六段、新人王戦優勝の阿部健治郎七段、阿部光瑠六段が、受賞していそうで受賞していない。

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伯仲した投票結果ということでいうと、現地時間6月23日のEU残留か離脱かの英国の国民投票。

個人的には、英国がEUに残留するかわりに、英国にとって更に有利な条件をEUから引き出すやり方だってあったのではないかと思うのだが、0か1かの選択肢。

いろいろと、なかなか厳しい。

 

 

河口俊彦六段(当時)「屋敷君は頭をツルツルに剃って現れた」

将棋世界1999年8月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

 棋士総会のとき、屋敷君は頭をツルツルに剃って現れた。碁の武宮九段も頭を剃ったが、坊門の棋士みたいで、とっても似合う。屋敷君の方は、昔の棋士というより、一休さんみたいに可愛らしい。大野八一雄六段は「あの頭を見ると、どうしてもさわらずにはいられない」とか言って、頭をなでていた。

 しかしである。実在の一休和尚は頓智坊主などではなく、仏教の腐敗を激烈に批判した高僧であったと同じく、屋敷七段も内面は激しく頑固一途なのである。それは将棋にあらわれている。

 今は髪も伸びて、二分刈りか三分刈りになっているが、これも似合っている。

(以下略)

屋敷
将棋世界1999年8月号「新・対局日誌」に掲載の写真。

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この「新・対局日誌」の記事は、1999年6月18日の出来事として書かれている。

当時の棋士総会は5月20日前後の頃に行われていたので、写真の屋敷伸之七段(当時)の髪型は、ツルツルに剃られた状態から3週間以上経ったときのもの。

あるいは、3週間なら髪の毛もかなり伸びると思うので、棋士総会のあった日から6月18日までの間の日に、もう一度、剃り直しているのかもしれない。

頭をなでたくなる気持ちがよくわかる。

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屋敷九段が初めて坊主頭になったのは1994年のこと。何かの賭けに敗れてしまったのが原因のようだ。

しかし、「でも、もう坊主にはしたくない。くだらない賭けはやめようと思った」と書いているので、本格的な坊主頭になったのはその時以来と考えられる。

屋敷伸之六段(当時)の髪型

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坊主頭は涼しげに感じるが、決してそうではないという。

将棋世界1984年10月号、芹沢博文九段の「棋士近況」より。

 ”休酒”して早や3ヵ月。約束の3年まで残すところ33ヵ月になりました。

 ”休酒”の証に丸めし頭、少し生えるたびに刈ってしまうので当然ながら丸坊主です。

 坊主頭は涼しいと思ったが、これはとんだ読み違いで直射日光を浴び暑くてかないません。加藤治郎、花村元司両先生が帽子愛用の意が漸く判りました。

 ”休酒”開けには大パーティーを開く予定です。

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坊主頭は、本人ではなく周りの人を涼しげに感じさせてくれる髪型のようだ。

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屋敷七段が奥様と知り合ったのは、この年の夏のリコー将棋部夏合宿でのこと。

奥様と知り合ったことが髪型を変えるきっかけだったならドラマチックなのだが、頭を剃ったのはその2~3ヵ月前。

なかなかテレビドラマのような順序の展開にならないところが、この世の中なのかもしれない。

屋敷伸之七段(当時)「左足で指しても勝てる」

 

 

初代・封じ手事件

将棋世界1979年2月号、船記者の第28期王将戦第1局〔加藤一二三棋王-中原誠王将〕観戦記「中原、駿足の寄せで先勝」より。

 誰が挑戦者になると中原はいやな気がするだろうか。どうも中原を打ち破るには、技量だけをぶっつけたのでは駄目なようなので、リーグ戦中、あれこれ考えた。まず、筆頭は森八段だろう。名人戦では、ずい分いやな目にあっている。頭を剃ってびっくりさせたり、悪罵の数々。次に加藤棋王。終盤のカラ咳、ちょっと席を立つと回りこんできて、相手の方から盤面をのぞく。千日手はへっちゃら……。大内八段も、こと勝負に関しては好きになれないだろう。打倒中原をむき出しにしている。

「私も人の子ですから、カッとすることはありますよ」。名人戦が終わってだいぶ経ってから、中原は当時を思い出して、笑いながら言ったことがある。”憤兵は勝たず”である。中原がカッカッしているときは、すごく追い込まれた。ところが中原は精神的に立ち直った。「森さんは強い」と思ってからは本来の自分を取り戻し、危機を切り抜けた。

 さて、今度の王将戦だが、挑戦者はすんなり加藤に決まった。これは面白いと思った。一時は中原にどうしても勝てない時期があったが最近は違う。一番はっきりしたデータは棋王戦で3-0の圧倒的スコアのもとに中原の挑戦をしりぞけたことだ。その直後のNHK杯決勝では中原が加藤を破って優勝しているが、タイトル戦では中原五冠、加藤一冠と六冠を分け合っている。

(中略)

 中原の△2二銀はカベ銀の悪形だが、こうしないと端が受からない。加藤が▲3七桂~▲1七香~▲1八飛の連続3手に3時間近く使ったので、日はとっくに暮れて△2二銀に加藤がまたまた考えているうちに、5時半の封じ手時間が近くなった。さあ、これで次の一手が封じ手で、きょうはおしまい、と皆が支度していると、何と数分前に加藤はピシッと▲7六銀。一瞬、異常波が対局室に飛びかった。封じ手ギリギリに指すことは実際上、珍しい。これで、きょうはおしまいと思っている所へ指されて、さあ、考えて指しなさいと言われたのだから、中原が一瞬、動揺したであろうことは想像にかたくない。加藤としては、意識的にやったのではないかもしれないが、それは静かな水面に投じられた一石に似て、波紋が広がった。

 中原加藤

 中原は、おしぼりを歯痛患者がするように頬にあて、首をかしげながら、考えこんでしまった。電灯のせいか、顔色もますます青白い。一種凄惨なムードである。

 一向に中原は指さない。トイレへ一度立ち、約1時間過ぎた6時半頃、席を立って帰ってこない。午後7時になっても封じ手をしないときは、いったん8時まで休憩して再開するのが規則である。それはたまらないなあ、というのが盤側の、言っちゃいけない心の内で、みんなハラハラしている。7時10分前、中原は席に戻り、座布団の前に置いた腕時計を眺め、盤側をチラと見て、ニヤリとした。私には(指しますよ、心配しないでください)と言っているように聞こえた。中原はしばらくして「封じましょう」と言った。6時54分であった。

 中原は部屋へ戻って気を鎮めたのではないかと私は思う。名人戦の苦い経験をかみしめ、冷静に冷静にと、自分に言い聞かせて戻ってきたのだろう。封じ手としては決して難しいところではなかった。スポーツニッポンから特派された東大将棋部の幹事長、谷川俊昭君が「私ならこう指す」と紙上に書いた手と、まったく同じであった。

 二日目の朝、寒気は一段ときびしい。

 立ち会いの山本武雄八段が開いた封じ手は△8六歩。

 ほかにこれといった手は見当たらない。

(以下略)

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1996年の名人戦第1局〔羽生善治名人-森内俊之八段〕でも、森内八段が封じ手時刻直前に指して、関係者が凍りつくということがあったが、この時は羽生名人が短時間で封じている。

「封じ手事件」の真相

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3図から△8六歩ではなく△7五歩は、▲6五銀△同銀▲同歩のあと、▲4六角を狙われて後手が良くないという。

封じ手の△8六歩は、「ほかにこれといった手は見当たらない」と書かれているように、3図は後手にとってそれほど長考が必要ではない局面。

そこを中原誠名人は87分の時間をかけて封じている。

やはり、気を鎮めるには時間が必要だったのだと思う。

合理的に考えれば、そのような理由で持ち時間を減らすのは勿体無いので封じた後に気を鎮めれば良いのでは、とも思えるが、盤上で起きたことは盤上に向かっているうちに気持ちの整理をつけなければ解決にならないということなのだろう。

あるいは、平常心で指さなければ悪手を指す可能性があるので、平常心に戻るまで時間をかけたとも考えられる。

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大山康晴十五世名人全盛の時代(1971年以前)は、封じ手時刻直前に指すというようなことは起こり得なかった。

2003年竜王戦挑戦者決定戦第2局の打ち上げの席で、中原誠十六世名人が楽しそうに話してくれたこと。

「大山先生とのタイトル戦のときは参っちゃったよねえ。1日目の午後4時頃、封じ手にしようと言うんだよね。どうせ1日目なんだから、早くやめて麻雀にしましょうよって。記録係の子に時間は適当に計算して加えておいてって。そりゃ大山先生は1日目は美濃囲いに囲うだけだからいいんだけど、僕は居飛車だから1日目からもの凄く考えなきゃいけないんだよね」