今の時代では信じられない王位戦の風景

将棋世界1979年9月号、能智映さん(三社連合記者)の「王位戦はじまる」より。

 前年に引き続いて、中原誠王位が金沢で第1局をものにした。挑戦者は前期の大山康晴十五世名人に代わって米長邦雄棋王。手の解説は別にあるのでさけるが、7月17、18日の第20期王位戦七番勝負第1局は、中原の完勝譜であった。

 まず別表の「中原-米長の過去の戦績」を見てほしい。近年、米長が善戦しているが、やはり中原の堅城はいまだ崩し得ない。

 それは、春の名人戦を含めて、過去七度中原に挑戦しながら、一度としてタイトルを奪い取ったことがないことにも現れている。

 八度目の挑戦。米長は過去を忘れて「なにもかも白紙」といい、中原は「気分を新たにして”無心”で戦う」と宣言した。

(中略)

 対局の前日、立会人の加藤治郎名誉九段、芹沢博文八段を含めた一行は羽田空港で落ち合った。ほかに名古屋から大盤解説の板谷進む八段、記録係の中田章道四段がかけつけてくれるはずである。

▲…飛行機のダイヤの1時間前に、三社連合の大坪事務局長と私は羽田に着いたが、もうすでに加藤、芹沢、米長の三氏は顔をそろえている。45分前に中原王位が現れ「早すぎたので食事をしていました」という。用心深い人だ。でも、それでひとまず安心。

△…ちょうど王位戦と日程を合わせるように、金沢では坂東玉三郎の「天守物語」の公演がある。同じ北陸中日新聞の主催だ。「玉三郎、ヒマがあったら将棋を見にくればいいのに」と芹沢八段、「将棋できるのかね」と米長棋王。これに名解答が出た。駄ジャレの名人加藤名誉九段だ。「玉三郎は娼伎はできても、娼妓はできないよ!」

▲…前夜祭は江川昇金沢市長の音頭で乾杯したあと、なごやかに進んだが、潮時を見て芹沢、米長が消える。一方、加藤、中原もつらなって二次会。ともに「最後は250円のラーメンを食ってしめくくった」というのは、いかにも将棋指しらしくていい。

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 対局場は、日本海岸で一番高いビルという「金沢スカイホテル」の15階、孔雀の間である。床の間には京都・天龍寺の牧翁管長が揮毫した「別無工夫」(べつにくふうなし)の掛け軸がかかっている。―これがあとで話題となるので覚えておいていただきたい。盤と駒は板谷八段所蔵のもので、「盤駒合わせて350万円はする」と米長が値踏みする。振り駒で中原の先番、名人戦に続いて相矢倉である。

△…対局が始まってから1時間、午前10時には早くも32手が指されている。昼食時には41手。「もう封じ手にして遊びに出ようや」と芹沢八段がふざけるほど早い進行だ。

▲…昼食後再開、さっきまで羽織はかま姿だった米長が、ポロシャツ姿で登場する。「昼の食事が遅れたので―」と、すぐに着替えに部屋へ帰ったが、いつもながらハラハラさせる米長だ。

△…午後の進行は遅い。「もう、戦わずして封じ手か」と話していたら、5時過ぎに中原が4五歩と仕掛ける。「思い切って行った」と局後に中原、控え室の板谷八段は「中原は決然としているね」としきりに感心。

▲…指し掛ければ、あとはなごやか。まず芹沢八段が「おなかが痛い」とかいって宴席を抜け出せば、米長もすぐあとを追う。加藤名誉九段、板谷八段は「歌謡コンクールをやってくる」と席を立つ。残った中原、マージャンのメンバーもなく、記者たちとテレビの野球の観戦。「中原の静」「米長の動」はっきりとしている。

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 東に近く卯辰山、西に遠く白山が見渡せる。室内は冷房が効いているが、むし暑そうな曇り日だ。中原がスズメ刺しに出たのに対し、米長は勢いよく9筋に歩を連打する。局後に米長が「どこかで短気をおこしてしまった」と語っているのは、このあたりか。

△…11時過ぎ、突如女性の観戦者が現れる。案内してきた板谷八段「米長さんの知り合いの方です」、ところが米長「いや、芹沢さんの知っている人でしょ!」。中原は例によって「フッフフ」と笑っている。

▲…いま一人、女性が控え室の芹沢八段をたずねてきた。「富山の友人」という。「石田八段と結婚したらいいと思うが」というが、それは二人のお好み次第。昼食時に和食堂の「京たる」に行くと、あの百戦錬磨の芹沢八段が、二人の女性を相手に大汗をかいている。これを見て加藤名誉九段、なぐさめ顔に「能智さん、もてんほうがいい」。

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 サービス精神旺盛な米長は、大事な局面でも観戦者を喜ばせようと気を遣う。長考の最中、ぐっと私をにらんで「能智さんは、戦いがはじまると、楽しそうな顔になるなあ」とひとり愉快そう。しかし、局面は米長苦戦。米長の着物の胸ははだけ、髪はざんばらと額に落ちている。中原が2五歩とした時点で控え室では「中原有利」の声。

△…18階のホール「トップ・オブ・金沢」では、板谷が130人のお客さんを前に名解説。「米長は端を攻めたが、たいしたことなさそうですね」。

▲…3時のオヤツの時間が近づいてきた。中原は「ケーキと紅茶」、黙りこくっている米長に「どうします?」ときくと、「それどころじゃないよ」とつっけんどん。出されたおしぼりにすら手をのばそうとしない。

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 夕食時がきた。両対局者は自室での食事だ。中原は、舌平目のボンファムにサラダ、コンソメを注文して夜戦にそなえるが、米長は「終わったら何か食べられるんでしょ」といってエビ雑炊だけ。

 また控え室の面々はだれも「夕食はパスだね」と。早く終わると読んでいるのだ。話は自然と将棋へと進む。

板谷「ヨネさんらしくなく、珍しくわるい将棋だね」

加藤「中原は用心がいいねえ、盤の左下の自分の陣地ばっかり見ているよ」

板谷「中原側の駒で出動したのは桂と香だけ。逆に米長の桂と香はそっくり残っている形だ」

芹沢「斥候を出したら、大将の首を取ってきた、という感じだね」

 対局室の重苦しい空気とは逆に、控え室は言いたい放題、もう勝負の行方を決めてしまっているのだ。

△…7時再開、米長が何かうたっている。「ヘイ、ヘイ、ホー、与作よ―」ときいた。控え室のもどって、これを伝えると、芹沢八段「あれば、無策よ―、とうたっているんだよ」と冷淡だ。

▲…米長は、人が入ってくるとふざける。時に私の顔をにらんでは、ハナの下をグーンとのばして例のオランウータンの顔だ。しかし、それも束の間、思考に入ると袴の中の足の指が小きざみにふるえているのがわかる。

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 両者、少考が続く。米長の8八香に、中原は「ウン」といって天井の片すみを見やる。局後「一瞬、おかしくしたかと思った」という一手だ。だが、同銀、6九銀のあと、ほとんど時間を使わずに7七金寄、「これで勝ち将棋になった」という手だ。米長は扇子で頭をごしごしかいて最後の長考に入る。

△…中原が手洗いに立った間に、また米長の歌、「泣きたくなっちゃったー」。

▲…113手目、中原が4三角成とする。なんと、これが初めの大駒の成りだ。(中略)9時51分、米長が「負けましたね」と小さく頭をさげる。いつの間にか、控え室に入っていた芹沢八段が、「ひっくり返るかと思ったよ」と大声で語りかける。大差といわれていた将棋だが、米長は、いつの間にか”いま一歩”のところまで追い上げていたのだ。

△…中原の駒で動かなかったのは8七の歩だけ、米長の方は両方の桂だけという大乱戦だった。

▲…感想をきくと米長、じっと掛け軸をにらんで「”別に工夫なし”がいけなかった。アッハッハー」。

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 感想戦のあと、中華料理で打ち上げ。

 中原は浴衣に着替えて、すっかりくつろいでいるが、米長は背広姿でグラスをあける。その心、「さあさあ、夜の街へとび出そう」というわけだ。

 その気持を察した芹沢八段、「さあ、いきましょう」と何人かを誘って席を立つ。行く先は「片町」だ。

 その後、米長がいつ帰ってきたかは知らない。翌朝、目覚めると「米長さんの荷物は空港に運んでおいてください」という言伝てがあった。相変わらず忙しい男だ。

 小松発、11時50分。時間がつまってきて、加藤名誉九段が「ほんとにくるのかねえ」と心配しているところへ、「わり、わり、わり」と米長がとび込んできた。芹沢、板谷の両八段は、「棋士総会に出席する」といって、一番の便で帰ってしまった。

 帰りは両対局者に加藤名誉九段、そして私の小集団。機中、米長はずっと目をとじ続けている。西宮「はり半」での第2局の構想を練っているのか―。

 酷暑の中、この楽しい人たちとの旅はまだまだ続く。

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挑戦者が米長邦雄棋王(当時)、立会いの一人が芹沢博文八段(当時)という、超個性豊かな二人の組み合わせにより、昭和のタイトル戦の雰囲気が更に色濃く出ている。

一日目の夜に、対局者(米長棋王)が本格的に夜の街に遊びに出かけていること、二日目に訳ありの女性が控え室に訪ねてくるところ、二日目の午後でも対局室で対局者が会話をしていること、挑戦者がオランウータンの顔真似をしていること、挑戦者が終盤に歌を唄うこと、など、現在では想像もつかないようなことが普通にあった時代だ。

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「別無工夫」は、天龍寺を開山した夢窓疎石が書いた仮名法語『夢中問答』に出てくる禅の世界の言葉。

『夢中問答』は、夢窓疎石が足利尊氏の弟、足利直義の質問に答える形の禅問答集で、「別無工夫」は足利直義の「万事の中に工夫をなす人あり、工夫の中に万事をなす人ありと申すは、何とかはれることやらむ(「万事の中で工夫する人と、工夫の中で万事を行う人とはどう違うのですか?」)」の質問に一言で答えたものだという。

禅問答なので、私にとっては質問さえ解釈が難しく、詳しい解説は次のサイトに書かれている。

別無工夫『夢中問答』(實相寺 公式サイト)

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大駒や金駒が出動することなく、桂と香と歩だけ優勢となったことを、「斥候を出したら、大将の首を取ってきた、という感じだね」と語る芹沢博文八段の表現が上手い。