将棋世界2000年1月号、内藤國雄九段の巻頭随筆「淡い夢」より。

 私は4人兄弟の末弟だが、末っ子ではない。私の下に女の子が、つまり妹が一人いる。

 この妹には、子供のとき「お小遣い」の世話になった。小遣いがほしくなると、いつも彼女にそう言うのである。するとなんのためらいもなく、すぐに父親のところへ駆けていって貰ってきてくれる。父は女の子には極めて甘く「お金ちょうだい」と言われるといつも喜んで与えた。私がこの父から直接もらったものはと言えば、拳骨以外に記憶にない。病弱で泣き虫だったこともあるが(泣くなと言ってゴツンとやられる)、女の子を期待しているところへまた男の子が生まれたという、そもそもスタートからしてのハンディを私は背負っていたのである。

 兄達のことはこれまで幾度か書いてきたが、妹については一度も触れたことがない。今回初めての登場である。

 彼女が中学生になった頃だと思うが、学校から帰ると詰将棋の図面を示して「これを詰ましたよ」と目を輝かしている。見ると10手前後の、本誌でいえば詰将棋サロンの初級問題程度の作品である。ちなみにサロンの初級というのは程度が高く、プロの私でも手こずることがある。まさかと思ったが、手順を聞くと正解である。授業はそっちのけで、一日その詰将棋に取り組んでいたらしい。それにしてもである。それまで将棋を教えたこともないし将棋の話をしたこともない。しかし兄達を見ていて自然に覚えてしまったらしい。「えらいもんだ」と感心した気持ちは覚えているがそれだけで、妹と将棋の関係についてはその他になにも思い出すことがない。

 再び将棋との接点が生じたのはそれから幾十年もたってからである。私が還暦に達したくらいだから彼女も相当な年配になっていて孫がいても不思議でない。女の子の孫がいて、その子が早くから有段者である婿方の爺に教えてもらって将棋が大好きだという。私の身内の子や孫の中で将棋が好きという唯一の存在である。

 しかも女の子ときている。場合によっては女流棋士にと、自分の娘に果たせなかった夢をこの子につなぐ気持ちがなかったとは言えない。この子が小学生に上がって、はてどの程度まで上達したのか、妹に伺いを立ててみた。私が初めて師匠に指してもらったときのように六枚落ちで指してみよう。そう思うと心が弾んだ。ところが意外な答えが帰ってきた。婆(つまり妹)に勝てないから将棋に見向きもしなくなったというのである。将棋を教えてくれたお爺ちゃんが亡くなり、代わりにお婆ちゃんがお相手をするようになっていた。「どうして負けてやらないんだ」というと「だって私も必死だから」。考えてみれば彼女も将棋は知っているという程度で孫と同一レベル。手かげんする余裕などなかった。……私の心のなかで、流星が一筋走って消えていくのを感じた。

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ノスタルジックな気持ちにさせられる非常に印象的な随筆だ。

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将棋が嫌いになった小学生の女の子に内藤國雄九段が手ほどきすれば、将棋熱が復活する可能性があるのではないか、とも考えたが、子供がいったん嫌いになったものを復活させる困難さを内藤九段はお嬢さんで経験済みだったのだろう。

私はキュウリが昔から嫌いだったが、もし親戚に料理研究家がいて子供の私にキュウリを食べさせようとしても、食べたくないものは食べたくないということで拒絶し続けていたと思う。

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将棋を覚えようとしている子供には、負けてあげることが大事だ。

湯川恵子さんがお子さん(兄・妹)に将棋を教えているとき、指しているうちについつい本気モードになってしまい、何度もお子さんを泣かしたという逸話がある。もちろん、二人のお子さんは将棋を指さなくなった。

内藤九段の妹さんも勝負師の妹。手かげんする余裕などなかったというよりも、負けたくない気持ちがついつい出てしまったのかもしれない。