将棋世界2000年3月号、中座真四段(当時)の「横歩取り△8五飛戦法」より。
将棋には、実際に踏み込んでみなければ分からない、という局面が数多く存在します。森下八段は、以前自戦記の中で、「将棋の実戦を大海とすれば、机上の研究は小川のようなものである」と書かれていました。△8五飛戦法が出始めてから約2年半、指された将棋は既に二百数十局に及びますが、解明されたと思える形はまだほとんどないのが現状です。
1図。この局面での「△7三桂」も研究課題の内の一つ。
この手は、少し前までは、誰もが知ってはいながら、怖くて指せなかった一手でした。
「この変化は誰かが犠牲になってくれなきゃ分からないね」。巷ではそんなことまで囁かれていましたが、この局面に敢然と踏み込んで行ったのが中原永世十段(1999年8月31日対阿部七段戦)。その日はたまたま連盟に居合わせたのですが、その将棋の中身が面白く、私は職業も忘れすっかりファンの一人になって楽しんでしまいました。
今月はこの「△7三桂」がテーマ。
(中略)
「△7三桂」この手を指すにはまず、幾つかの条件があります。
- 完璧に研究している
- 受けには滅法自信がある
- 裸の玉が好き
- 王手飛車を掛ければ負けても満足
一つでも該当する方はぜひ実戦で試してみてください。当てはまらない方(正常です)は、△8八角成と交換してから△7三桂と跳ねましょう。こちらの変化は先月号の講座を参照してください。
冗談はさて置き、なぜ「△7三桂」が激しい手なのか、まずはその説明から入っていきましょう。
先手の▲3五歩は「私は次に▲3三角成△同桂▲3四歩と攻めますよ」ということを意思表示した手です。それに対し後手は「あなたの攻めは全然怖くありません」と、構わず桂馬を跳ねてしまうのです。次に△3五飛と取られると、先手は何のために歩を突いたのか分かりません。
(中略)
後手が受けないのですから、ここで先手が攻めなければ男が廃るというものです。
1図以下の指し手
▲3三角成△同桂▲3四歩△4五桂▲3三歩成△5七桂成(途中図)▲同玉△3五角▲5八玉△2六角▲3二と△同玉▲6六角△4四角(2図)▲3三角成からは熾烈な攻め合いに入ります。途中図△5七桂成に対し▲6九玉と引く手も考えられますが、以下△3三銀▲2一飛成△3一歩となり後手がやや指せる局面です。
△3五角で早くも王手飛車が掛かりました。▲5八玉もこの一手、他の手では△6五桂が王手になるので先手が持ちません。▲6六角が急所の一着、攻めと同時に△5五飛の筋を消す等、受けにも利いています。△2六角と▲6六角では角の働きが違うので、後手の△4四角もこの一手。但し角交換になると玉のコビンが開いてしまうので後手も気持ちの悪い所です。2図から枝分かれして行きます。
実戦譜を参考にして、まずは阿部-中原戦から。
2図以下の指し手
▲2四桂△3三玉▲4四角△同歩▲3二金△2四玉▲2二金△3三玉▲1一金△6五桂▲5七歩△4五桂▲6八銀△5四歩(3図)阿部七段はここから▲2四桂と激しく攻めていきます。中原永世十段の玉の動きはまさに「神業」。玉で相手の攻め駒を攻めています。このように玉をうまく使うことができたら将棋は楽しいでしょうね。それにしても自玉を放って置いて、さらに両桂をぴょんぴょん跳ねて攻撃して行くのにはたまげてしまいます。
最後の△5四歩が絶妙の間合い。玉の懐を広げると同時に、次に△5五歩を見せ先手を焦らせる狙いがあります。
(中略)
2図での▲2四桂の所では、現在は▲4四同角△同歩▲6八銀が主流となっています。これは、先手陣は何れ一手受けが必要になるので、手を決めない方が得という判断です。この例の参考棋譜は、王座戦第1局、羽生-丸山戦(1999年9月3日)から。
2図以下の指し手
▲4四同角△同歩▲6八銀△3六歩(4図)羽生王座の▲6八銀に対して、丸山八段はじっと△3六歩。この手は私の「昨年驚いた手ベスト3」に入る一着です。結果的には疑問手になりましたが、羽生王座相手に、堂々とこの手を指せるのは、丸山八段ぐらいでしょう。この手は、お腹を空かした羆の目の前でニコニコ笑いながらお弁当を食べているようなもので、もの凄く大胆な一着です。実戦は4図から▲3四金△6一角▲4四金△2八歩▲2三歩△3三銀▲同金△同玉▲2二角△4二玉▲1一角成で先手良しとなっています。
その後△3六歩では△2八歩が後手の有力手段となりました。次はその将棋を研究してみましょう。
(以下略)
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中座真四段(当時)の絶妙の解説。
このような面白くて理解しやすい解説なら、難しい△8五飛戦法も勉強してみたくなるというものだ。
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羆(ヒグマ)は体長1.8~3.0mで体重は100~500kg程度。
基本的には雑食で、鹿、猪、ネズミなどの哺乳類やサケやマスなどの魚類、果実を主に食べるが、一度でも人を食べるとどんどん人を襲うようになるという。
弁当の中身も当然ヒグマの食べ物になってしまう。
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1図の△7三桂に端を発する、実戦が繰り返されることによる試行錯誤と定跡の発達。
この過程と、その中から繰り出されるその棋士の個性に溢れる指し手。こういったところが人間同士の対局の面白いところであり醍醐味だ。
これが仮にコンピュータソフトによる研究が大勢を占める世の中になったら、ここに現れているような過程は全て水面下で研究しつくされ、そもそも1図の△7三桂という手自体が実戦に現れる前に却下されたものになっているかもしれない。
それはそれで良いのかもしれないが、個人的には少し寂しいような気持ちにもなってくる。
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日本将棋連盟のホームページがリニューアルされたが、英語版がGoogle翻訳そのままになっている部分があって、例えば、中座真七段の名前は「Excuse true」になっていた。(現在は修正済み)
ネット上で話題になっていたようだが、結構本人は気に入っていたと、奥様の中倉彰子女流初段がtwitterで明かしている。
Excused true 本人はけっこう気にいっているようです(笑)。
— 中倉彰子 いつつ (@AKIKOPDG) September 14, 2016
私の名前もGoogle翻訳で試してみたが、読みは違っているものの、まともな翻訳のされ方だった。
Google翻訳にかかると加藤一二三九段が「Kato, one hundred twenty-three」になるなど、いろいろな新しい発見ができるようだが、普通に出てきてしまうと、少しガッカリしてしまうことに気がついた。