「ワシの戦法を使ってくれた」と感謝された谷川浩司五段(当時)

将棋世界1980年4月号、谷川浩司五段(当時)の新アマプロオープン戦〔田中雅典アマ-谷川浩司五段〕自戦記「敗者への想い」より。

 対局場所は関西本部。わざわざ広島から上阪される田中さんには、御気の毒なことであり、申し訳ないと思う。

 私の家から関西本部まで、たっぷり1時間40分はかかる。これは、対局数日前から気にかかっていたことだが、この長い車中でも、「穴熊」の二文字が、どうしても頭から離れなかった。

(中略)

 私は、どちらかというと対穴熊は苦手である。昨年4月~今年1月迄、公式戦は32勝9敗だが、対穴熊に限っては2勝3敗、普通なら嫌だと思うところだが、本局については、穴熊対策を用意していたので、ためらわず1四歩~1五歩と突き越した。

(中略)

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1図からの指し手
△8五歩▲7七角△4四角▲1九玉△2二銀▲2八銀△3三桂▲3八金△1三銀▲4六歩△2四銀▲5六銀△4二金直▲4八金左△2五銀(2図)

 1図。ここで私は5分程考えた。そして、8五歩を決めてから、ねらいの4四角を決行した。

 単純すぎてプロらしくない、と言われそうだが、単純で良ければそれに越したことはない。元来、一箇所に勢力を集中させる攻め方は、かわされるとまずいのだが、穴熊だけに玉の早逃げができないのである。

(中略)

 実はこの戦法、経験があるのだ。昇降級リーグ、Y七段との一戦がそれで、

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(B図)以下、
▲9四歩△同歩▲同銀△同香▲同香△9三歩▲同香成△同銀▲9八香△8二玉▲9三香成△同桂▲9四歩(C図)

と有利に展開したのである。

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 余談だが、この対局の後、この戦法の創始者である角田三男七段に、

「ワシの戦法を使ってくれた」

と、えらく感謝され、恐縮したものである。感謝しなければいけないのは、こちらの方なのだが……。

(中略)

 これは推測だが、田中さんは4四角と出られて、嫌な感じがしたのではないだろうか。実際、

「仕方がないな」

というつぶやきも聞かれた。

 それはそうである。穴熊というのは、玉を固めて攻め(さばき)に専念しよう、という作戦である。その穴熊が、玉頭にねらいをつけられ、いつ攻められるか、とビクビクしているのでは穴熊の意味がない。

 やや無責任な言い方だが、振り飛車穴熊で一方的に攻められている方には、是非この角田流を試して頂きたい。少なくとも、手つかずで負けることはありません……。

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(以下略)

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角田三男八段は木見金治郎九段門下で、大野源一九段の弟弟子、大山康晴十五世名人、升田幸三実力制第四代名人の兄弟子にあたる。

また、阿倍野区にあった当時の「関西将棋会館の主」としても知られている。

将棋会館今昔

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角田八段は角田流ひねり飛車の創始者として有名だが、振り飛車穴熊退治でも新戦法を編み出していたことを、この谷川浩司五段(当時)の自戦記を読んで初めて知った。

B図から▲9八香と上がり、飛車を9九に持って行った形が地下鉄飛車だが、地下鉄飛車の原型となっているのが角田流ということになるのだろう。(将棋世界最新号では、所司和晴七段が地下鉄飛車の紹介をしている)

角田流は地下鉄飛車に比べれば飛車1枚分攻撃力が劣るが、逆に手軽に組める利点がある。

穴熊の頭上に爆弾をぶら下げておいて、反対側から仕掛けるという方法もあるようだ。

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谷川五段が角田流を指したのが角田八段が70歳の時。

孫のような年齢の超天才棋士が自分が考えた戦法を指したのだから、角田八段も本当に嬉しかったことだろう。

「感謝しなければいけないのは、こちらの方なのだが」と書いている谷川五段も立派だ。

角田八段は75歳、現役のままで亡くなっている。