山田久美女流三段(当時)の絶妙なエッセイ

将棋世界2000年10月号、山田久美女流三段(当時)の「待ったが許されるならば……」より。

「ここにサインをお願いします」

 山田久美と署名し捺印をする。イベント会場などではよくある事で、渡される筆記用具はできれば筆ペンがいい。そしてできたら色紙がいい。でもノートを破って鉛筆を差し出す子供や、会社の手帳とボールペンでも拒否はしない。きっとノートの切れ端は数日で机の奥へと隠れてしまうだろうし、会社の手帳も翌年には新しいものに変わるだろうけど、私の下手なサインで一時でも喜んでもらえるのなら、こちらも嬉しい。

 でも、この時ばかりは拒絶したい気持ちで一杯だった。どう見ても喜んでくれる相手とは思えない。

「ここにサインをお願いします」

 ニコリともせず事務的な口調で、渡されたのはボールペンと『青い紙』。場所はパトカーの中だった。

(中略)

挨拶というよりは感謝の気持ちだが、『いただきます』と『ごちそうさま』の言葉がある。子供の頃から食事をする時の習慣になっている「せりふ」だ。

 お店で食事をした場合、客のせりふの間に店の人の「有難うございました」という言葉が入る。大体、客が席を立った時かお金を支払う時が多い。

「有難うございました!」

 若い女の子が元気よく言った。多分高校生のバイトだろう。お金を払って、お釣りとレシートを財布に入れながら、

「ご馳走様でした」

と言い、袋を持った。…袋?…バイトの子は、外見はヤマンバだったけどなかなか良く出来た子で、客の前では笑わない。必死に笑いをこらえている。私は「袋」をつかみ、ダッシュでそのコンビニを後にした。その後大笑いされたのは見なくてもわかる。習慣とはいえコンビニで「ご馳走様でした」は…。

(中略)

 最後はちょっと泣き笑いの話。昨年父が亡くなり、葬儀で使う遺影に、後ろからライトアップすると浮き出て見える特殊な写真を使うことになった。写真のフィルムのようなものだ。葬儀社の人が、「ライトに当てるので何日も持ちませんが、葬儀の時にしか使いませんから」と言ったのを憶えている。

『何でこんな所に居るんだろう?何でお父さんがいないんだろう?』

 遺族の席でお焼香に来て下さった方々に頭を下げながらずっとそう思っていた。後で、家族全員が同じ事を思っていたと知った。

 翌日、葬儀社の人がライトに当てた遺影を持って来た。賞状を筒に入れる時のように、丸められた写真を受け取ったのは私だった。紐をはずし写真を広げると、カラーだったはずの父の顔は、もうすでに色あせて緑色にぼやけていた。

「ああ、もうこんなにぼやけちゃってるんですねえ」

と言いながら涙が溢れそうになった。そして葬儀社の人がしんみりと言った。

「あの~それ裏です…」

 待ったが許されるなら。もう一度、父に会って「馬鹿な娘だ」と言われたい。

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何か考え事をしている時など、コンビニのレジでお金だけ払って、買った物を持たずに店を出そうになってしまうことがある。

このケースは、レジで「ご馳走様」と言う人よりも多いと思う。

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自宅の近所に高校がある。

朝の出勤時など、その高校の生徒と道ですれ違うわけだが、ある時期(2000年頃)から急にガングロの女子生徒が増えてきた。

「ああ、もったいないなあ、普通にしていればもっと可愛く見えるのに」と思いながらも、好きでやっているのだから仕方がないと割り切って、道を急いでいたものだ。

ガングロも、今の女子高生から見れば前世紀の遺物のようなものに違いない。

流行の移り変わりは早いものだ、と一瞬思ったが、よく考えてみればあれから15年ほど経っているわけで、時の過ぎるのは早いと言い直すべきなのだろう。