将棋世界1980年5月号、毎日新聞の井口昭夫さんの「第29期王将戦・4-2で終わる 大山、56歳の復活」より。
さて、加藤の穴熊に、大山はいかなる対策を用意していたか。それは40手目の△5一角ではっきりした。前回、天童の対局では、7七にいた角を加藤の飛で交換され、苦しくなった。その轍を踏まないように引き角で応じたのである。加藤の▲9九玉から大山は小きざみに時間を使っているが、それほどの長考もない。局後「第5局のあと対穴熊の研究をしたか」という問いに、大山は「盤を出して調べるような暇はない」と答えたが、大山の流儀は敗局のあと、原因だけが判明すればあとはきれいさっぱり忘れるというのである。
一昨年の名人戦のとき、挑戦者になった森雞二八段は中原誠名人の実戦譜数百局をコピーして全部研究した。そして自信満々で立ち向かったが敗れっ去った。つまり、トップに位する者は皆から目標にされ、研究の対象になる。その最たる例が大山であった。逆に大山から研究することは浜の真砂を一々裏返しするに等しいわざである。しかし、直接の敗因さえ分かればそれ以上はこだわらないというのは大山ならこそ言えるせりふである。
(中略)
開戦のきっかけをめぐって駆け引きがつづく。大山はよく控え室の顔を出す。「遊んでても仕方ないじゃないの。早く仕事をしなさい」と督促する。仕事とは麻雀のことである。麻雀をやらせておいて、頭をほぐしにのぞきにやってくるのが大山の好む所なのである。午後5時7分、記録係の山崎茂樹二段が「指されました。▲3七角です」と知らせにきた。大山は「次の手を封じるよ」と言い残して対局室へ。早速本社へ送る。「次の手を封じることは確実なので、3七角までの図面を作って出稿してください」大いに助かる。
それで大山が困ったことがある。第5局も同じようなケースで、すぐに封じるようなことを言って対局室へ戻ったが、意外にむずかしい局面になっていて、守りか、攻めて出るかの選択に迷った。「弱ったなあ、ここはむずかしいところだ。考えなくちゃね」と聞こえるように呟くのがおかしかった。その時は結局1時間9分考え、封じたのは手番封じ手宣言時刻の5時半を過ぎること52分の午後6時22分であった。
本局では、加藤の▲1五角出を牽制した△4四銀の手を封じ手にして午後5時41分、第一日を終わった。
(中略)
△7六金と打って大山は初めてチラと加藤の顔を見た。何度か形勢は変わったように思われるが、ここにきて大山の勝ちは動かないのか。
大山の△8六歩に加藤はヒョイと立ち上がってまた窓の外を眺める。「30秒、40秒」の声に手を見て、天井を見上げて、目をとじて、そして溜め息をついて▲同歩と取った。
(中略)
1分将棋はすでに30手を越えている。すごい。
加藤また立ち上がって歩く。
大山「あといくらある?」
記録係「あと36分です」
182手目△8六同銀に加藤が考えているとき、大山はチラと腕時計を見た。あとで考えると間もなく投了を感じたのだろう。
△7八角。「30秒」の声に加藤、駒台の駒を素早くそろえる。
「50秒」の声に「ハ、負けました」と投了した。
「どうも」と大山。
「4七角のあたりでは勝ちあった?」と大山。加藤はアグラに座り直して、腕時計をはめた。この間無言。
しばらく沈黙の時が流れた。
やがてドッと報道関係者が入ってきて騒然となった。
質問は大山に向けられた。
「何か夕食に入ってからうまくやられ、負けじゃないかと思ってました。5七桂成と食いついたあたりから勝負になった。二転三転したようだ」
その時、スポニチの松村記者が「返り咲きの感想を」と求めた。
大山は「1年でも、1回とれればと思っていたのでよかった。昔と違うからね、昔なら(勝つのは)当然と思っていたが」と答えた。
(中略)
午前2時すぎまで麻雀をした大山は、翌朝6時には起き出した。天気がよければ近くでゴルフをしたいと言っていたのだ。雨が晴れた。しかしメンバーがそろわず、あきらめた。3月12日、大山56歳の最後の日であった。去年の秋から4つの棋戦で優勝し、生涯優勝回数を118と一挙にのばした。そして昭和54年度の最多対局、最多勝利も確定した。恐るべき力である。
その2日あと、将棋会館でもう大山は対局していた。時折、理事室へおりてきて免状や色紙書きに精を出す。
こんな会話がある。
「大山さんの秘書をしたら大変だろうな」
「大山さんを秘書にすればいい」
「バカ!秘書にこき使われてヒドイ目にあう」
大山さん、おめでとうございました。
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日本将棋連盟会長時代の大山康晴十五世名人。
加藤一二三王将(当時)を破って王将位を奪還した一局。
56歳でのタイトル獲得は、タイトル獲得の最年長記録となっている。
さらに大山十五世名人は、この翌年は米長邦雄九段を、その次の年は中原誠名人の挑戦を退け、王将位を防衛している。
そういう訳なので、タイトル防衛の最年長記録は58歳ということになる。
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「遊んでても仕方ないじゃないの。早く仕事をしなさい」
その「遊んでても」というのが、継ぎ盤に現局面を並べて検討をしたりしている状況を指しているのだから、すごい。
日中から麻雀を場を立てておいて、封じ手後、夕食までの時間をも惜しんで麻雀をするのが大山流。
そして、対局相手を呆れさせるほど夕食を早く切り上げて、麻雀を再開する。
麻雀の抜け番の間に自室に戻り、色紙を揮毫するのも大山流だ。
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今の時代では100%近く無理なことだが、控え室で麻雀が行われている光景、それをニコニコしながら眺めるタイトル保持者(または挑戦者)、という写真が中継ブログに載ったら、それはそれで非常に盛り上がることだと思う。