佐藤康光棋聖(当時)「同期だから負けたくありません」

将棋世界2004年9月号、炬口勝弘さんの第75期棋聖戦〔佐藤康光棋聖-森内俊之三冠〕第2局「カメラマンが見た淡路対決」より。

 早いもので、もう9年になる。震災復興祈念イベントとして、淡路島で初めての将棋タイトル戦が開かれたのは、阪神淡路大震災の翌年、1996年の夏だった。

「羽生七冠を呼ぼう」。島の将棋ファンからそんな声があがり、それならいっそタイトル戦を誘致しよう!夢が膨らみ、そして叶ったのが、羽生七冠VS三浦五段の棋聖戦第1局だった。結果は、ご承知の通り、挑戦者三浦の先勝となり、最終局の第5局も制して、三浦五段は羽生七冠の一角を崩して棋聖になった。

 それから9年、しかも1度も途切れることなくタイトル戦は続いてきた。

 以来、「あわじを制するものは棋聖を制す」がジンクスになった。屋敷の棋聖返り咲き、羽生、谷川の100番対決など名対局が続いたが、なぜかタイトルホルダーは毎年変わった。その流れを変えたのが、佐藤(康)棋聖。郷田から奪取して、昨年は丸山の挑戦を3-0で退け防衛。そして今年の淡路対決を迎えた。

 挑戦者は、絶好調の森内三冠(竜王・名人・王将)である。羽生からことごとくタイトルを奪い、あの羽生を一冠にしてしまった棋士番号183番の男だ。ちなみに、棋聖は182番。奨励会入会も同じなら、プロになったのも同じ年のまさに同期対決。勢いに乗る森内が棋聖も取って四冠になれば、棋界はまさに森内時代を迎えることになる。

 前夜祭での、両雄のあいさつが面白かった。「森内さんとは20年のお付き合いになります。充実の三冠ですが、同期だから負けたくありません。素晴らしいところを吸収しながら戦いたい。幸い1局目は、自分で言うのもなんですが、いい内容でした(笑)」と棋聖が語れば、「第1局は負けましたが、私にとってもいい将棋でした(笑)。第2局もがんばります」と挑戦者も応えた。

 翌朝9時、緑が映える梅雨の晴れ間の6月29日。佐藤先手で始まった将棋は、相穴熊戦となったが、午後3時15分に千日手が成立。30分後に始まった指し直し局は、佐藤の後手番一手損角換わり戦法となった。

 淡路対決。結果は1局目に続き佐藤が勝って2連勝。早くも3連覇に王手である。

 8月1日に結婚を控えた佐藤棋聖。まさに愛は強し。婚約パワーは三冠パワーをもしのぐ勢いである。

(以下略)

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佐藤康光九段と森内俊之九段は、当初は東西に分かれていたものの奨励会入会が同日、四段になったのが49日違い(佐藤四段→森内四段の順)ということで、全くの同期。

普段は非常に仲が良いが、奨励会時代からお互いを強く意識し合うライバル関係だった。

ライバル物語

「同期だから負けたくありません」は全くの本音だったのだろう。

「幸い1局目は、自分で言うのもなんですが、いい内容でした(笑)」も、相手が気のおけない森内三冠(当時)だからこそ言ったのだと思う。

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三冠パワーに勝った婚約パワー。

やはり、森内三冠も棋聖戦後にあった夏の将棋まつりのトークショーで「結婚を前にした人には勝てませんでした」と語っている。

森内俊之竜王・名人(当時)「結婚を前にした人には勝てませんでした(笑)」