昨日の記事、1998年の第56期名人戦第4局(対 谷川浩司名人戦)、
1図での▲4五桂(2図)が佐藤康光九段のキレのある会心の一手だった。△同銀は▲4三竜、△同桂は▲4六角の王手飛車が厳しい。
実戦は2図から、△7七桂不成▲同金(6図)。
ここから、空前絶後の激しい斬り合いが始まる。
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将棋世界2001年11月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。(途中図はこの記事で加えたものです)
ここからが本局の見せ場となる。康光流の一手もゆるまぬ凄まじい終盤の始まりだ。
その手始めが▲4五桂(2図)、△同桂は▲4六角で先手勝ちだから後手も△7七桂不成と金を取る。
6図以下の指し手
△6七歩成▲4六角△5五金(途中6-1図)△6七歩成では△7三金打と息長く指す手も有力だが、もとより谷川とてひるむ男ではなく、得たりやおう、とばかり佐藤の激流に飛び込んだ。△5五金(途中6-1図)とは滅多に見られぬ物凄い一手だ。
途中6-1図以下の指し手
▲5五同歩△7七と▲5四歩(途中6-2図)△7七とに▲5四歩が康光流の真髄を表している。並に指せば▲7七同桂△4五銀▲6五歩と安全に指すだろうし、その方が終局も早かったと思われるが、最強の道を選ぶのが佐藤の自己表現なのだろう。とは云えそれはどうしても逆転負けというリスクも伴う。
途中6-2図以下の指し手
△8八と▲同銀△5五銀▲5六桂△6九飛成▲7九金△同竜(7図)▲7九金に竜を逃げていては大差になってしまうから△同竜と切る一手。
7図以下の指し手
▲同角△5六銀(途中7-1図)△5六銀と桂を取られ、先に先手玉に詰めよがかかった。勝ちとは読んでいても、こんな危ない道を選ぶのは佐藤康光以外にいるだろうか。
途中7-1図以下の指し手
▲4六角(途中7-2図)▲4六角では▲8七銀打と手を戻す方が優ったようだが、康光流は止まらない。
途中7-2図以下の指し手
△6四歩▲同角△7三金打▲8一飛△9三玉▲9一飛成△9二金▲7七香(途中7-3図)しかし△9二金と受けられて、そこで▲7七香と戻すのでは、指し手の流れに違和感を感じる。
途中7-3図以下の指し手
△6四金▲9六歩(8図)斬り合う棋風の両者だけに本局は実に見応えのある終盤が繰り広げられている。
角を見捨てて▲9六歩、果たしてどうなるのか。
8図以下の指し手
△9一金▲同竜△9二飛▲8一竜△8二金▲7一竜△9六歩▲9五銀(途中8-1図)竜を取ってその駒で△9二飛とハジく。
▲9五銀で絶体絶命に見えたが、
途中8-1図以下の指し手
△7七角成▲9四歩△同銀▲同銀△同玉▲9五歩△8三玉(9図)△7七角成がまた凄い。▲同桂は△9四香と粘られるので、▲9四歩と先打し形を決める。いよいよ大詰めだ。
9図以下の指し手
▲7七桂△9七香▲9四銀△同飛▲同歩△9八香成▲同玉△9四玉▲9五歩△同玉▲9七歩(最終図)
まで、135手で佐藤八段の勝ち△9七香が敗着となったようだ。ここは△9七歩成が軽手で▲同香△9八歩▲同玉△7八銀と絡んでおけば、まだ綾が残されていた。最終図からは△9七同歩成▲同銀で先手玉は詰まず、後手に回生の道はない。
佐藤はその個性を如何なく発揮し、最後はきっちりと勝ち切った。
このシリーズ、4勝3敗で佐藤は制し実力制になってから10人目の名人位に就位した。
第57期は谷川がリターンマッチに臨んだが、またもや4勝3敗で佐藤が初防衛に成功する。そして、第58期、丸山忠久八段が挑戦者として名乗りを挙げ、3年連続のフルセットの末にタイトル奪取を遂げたのは記憶に新しい。
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私が生まれて初めて乗ったジェットコースターは東京ディズニーランドのスペース・マウンテンだったが、まさにあの日、スペース・マウンテンで味わったような感覚が、この将棋を見ると甦ってくる。
真部一男八段(当時)も「凄い」という言葉を何度も使っているが、本当に凄い。
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「騎虎の勢い」や「勇猛果敢」などのような言葉では表現し切れない、佐藤康光八段(当時)の指し手から溢れ出る迫力。
1999年に先崎学七段(当時)は、「僕らの世代の将棋のタイプを端的にいうと、佐藤は野蛮、羽生は柔軟、郷田は筋が良くて華麗で、森内はターミネーター、丸山はエイリアンである」と書いているが、まさしく「野蛮」がピッタリとくる形容なのだと思う。良い意味での野蛮。
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途中6-2図の▲5四歩のところでは▲7七同桂、途中7-1図から▲4六角ではなく▲8七銀打であれば勝ちはもっと早かったということだが、この▲5四歩や▲4六角のような前へ前へ進む姿勢・気合いこそが、初の名人位を引き寄せた原動力にも思える。