自分の筋肉に見とれているT川六段(当時)

将棋世界2002年10月号、野村隆さんの「編集後記」より。

 我が家の近くには行きつけの銭湯が数件ある。原田九段邸の近くにあり、棋士も時々見かけるR泉湯。脱衣所の鏡で自分の筋肉に見とれているT川六段が常連。M尾五段はおやじのように長々と湯船に漬かっているのが特徴。午前2時まで営業。サウナあり。薬草湯もよい。来月に続く。

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来月に続く、とあるが、次号は銭湯の話ではなく、昨日の記事の中田功六段(当時)のことだった。

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脱衣所の鏡で自分の筋肉に見とれているT川六段とは、もちろん豊川孝弘六段(当時)のこと。

控え室で繰り広げられた肉体の競演

長々と湯船に入っているM尾五段は、松尾歩五段(当時)のこと。

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原田泰夫九段邸は阿佐ヶ谷なので、この銭湯は阿佐ヶ谷近辺の銭湯と思われる。

調べてみると、現在は残念ながら、阿佐ヶ谷近辺に「R泉湯」に該当する銭湯が見つからない。

更に調べてみると、「R泉湯」は杉並区にあった「林泉湯」で、2011年以降に廃業していることがわかった。

このような感じの銭湯だった。→【銭湯】杉並区 林泉湯(なるとの銭湯ブログ)

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阿佐ヶ谷の原田泰夫九段(当時・将棋ペンクラブ名誉会長)邸で将棋ペンクラブ大賞最終選考会や新年会が開かれていた頃、宴席でよくいただいたのが、鰻重と寿司だった。

最終選考会が終わった後の打ち上げの終盤では鰻重、新年会では中盤から寿司というように、交互の布陣だった。

鰻重は、食べながら更に食欲が湧いてくるような美味しさ、寿司は、ものすごく分厚いネタが使われていた。

私はこの鰻重に魅了されて、その後店(阿づ満や)の場所を調べて、個人的に何度か通ったほどだった。

鰻重を食べ歩いたわけではないが、築地「宮川本廛」の鰻重とともに、私が大好きな二大鰻重だ。

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原田九段邸での寿司を追求しなかったのは、もともと私は寿司とは縁遠い生活パターンであったため。

高校を卒業するまでは刺し身が大の苦手だったので、食べられる寿司は稲荷寿司とかんぴょう巻と玉子と火の通った海老くらいだった。

酒を飲むようになってからは刺し身も食べるようになったものの、能動的に食べたいと思うまでには至ってなく、寿司店に誘われれば拒まないけれども、自ら寿司店へ行こうとは言わないという図式。

とは言え、原田九段邸で出された寿司は、ネタの厚さが通常の2~3倍。「原田は終戦直後の食糧事情の苦しい時代を経験しているので、どうしても厚い刺し身だと嬉しくなる」と話をされていた原田九段。

私ではなく寿司好きな方なら、やはり店を探し出して阿佐ヶ谷に通ってしまうほどの寿司だと思う。