将棋世界1987年1月号、大崎善生さんの「攻めようとする心 ―攻め100%・塚田将棋のすべて―」より。サブタイトルで「連勝新記録の塚田六段に聞く」と記されている。
一本の扇子
どういうわけで、ここにあるのかは解らない。それを買った記憶はないし、人に貰ったという覚えもない。どういう経路で、この部屋に辿りついたのか、まるで見当がつかない。
ただ、気がついた時には部屋の片隅にあった。たいていの人の家には、きっとそういった風なものが、必ず一つ二つ転がっているものなのだろう。
ボロボロになった一本の扇子。この部屋の場合は、これがそうだった。
昇段の一局より、と題し、あまり馴れていない、たどたどしい筆運びで1図の局面が誌されている。
1986年の夏の間、クーラーが故障してしまった暑苦しい部屋の中で、その扇子をあおぎ、そして幾度となくその局面に目をやったものだ。その局面に描かれた▲3三香という一手は、見れば見る程、痛快な気分を味あわせてくれた。
いつもエンジンをレッドゾーンにぶちこんで、少しでも速く、自分の肉体の限界に向かって突っ走っていく。そんな、覇気が、攻めようとする心、少しでも前に進もうとする意志が図面から伝わってくるようだ。
扇子の左端には、四段塚田泰明と、これまた初々しい署名がある。
それは、暑苦しく、あわただしく扇子をあおいでいたこの夏の間、ただの一度も負けなかった男。22度も将棋をひたすら勝ち続けた塚田泰明という棋士が誕生した、記念すべき局面を誌した扇子なのだ。
ピンクの服
11月9日、日曜日。塚田六段には3つの仕事があった。一つは、雑誌フォーカスのインタビュー。もう一つは、この将棋世界インタビューと写真撮影。そして、一番のメインの仕事が、もう彼が2年以上もの間続けている子供将棋スクールの講師である。
子供が100人近くも一堂に会すと、それはもう想像を絶する騒ぎとなる。動物園の二乗。うるせえなんてもんじゃない。
その子供達のほぼ中央で、塚田はいつも笑顔を絶やさず、決して怒らず、将棋を教えている。
「かじられちゃいました」と見せる塚田の手には、子供の歯型とよだれがべっとり。それでも塚田はニコニコとしている。筆者なら、ほとんど殺してますね。
「カッコいい」「やさしい」「ツヨいのだ」「いつもピンクの服きてる」。スクールの子供達に聞いてみたら、ほとんどからこのような塚田評が返ってきた。塚田を語る子供達は、まるで自分の自慢をするように鼻をピクピクさせる。驚いたことに、この4つの形容は塚田のことを簡潔に、そして十分にいいあてている。
「小学校2年ぐらいの時、父に将棋を教わりました。駒落ちから始めたのですが、負けてくやしくてくやしくて」とピンクの服を着た塚田。原宿の喫茶店で、ビールを飲みながら語ってくれた。
「あまり勝てないので、雑誌を買って貰うようになりました。それから少しずつ勝てるようになったのですが、平手ではとても勝てなくて、その頃、父が平手で一番でも勝ち越したら桂の五寸盤を買ってやると約束してくれたのです。それから、俄然やる気を出しましたね」と塚田は笑う。例の、顔全体がブッこわれちゃうような笑顔である。
(中略)
塚田流
「いるよね、そういうタイプ」塚田が10数連勝したとき、そんな会話を交わしたことがあった。
「いるいる」と会話の相手はいたずらっぽく笑う。「そうそう」と筆者。
「勝ち出したら、火い吹いたように止まらなくなっちゃう奴」「そう、唐辛子食べたみたいにね」。
そんな話をしながら一杯飲んでいるうちは良かったが、もう二度と再び破れないとさえ言われていた、有吉九段の20連勝を破った頃は冗談では済ませなくなった。塚田が指す一番一番に、熱い視線が集まり、塚田は期待に応え、一歩一歩足を踏み入れていった。
4図は16連勝目の将棋の最終盤。まだ唐辛子を食べたと目されていた頃の将棋だ。
塚田流とさえ呼ばれるようになった大流行の相掛かり戦(3図)に羽生は正面からとびこんでいった。そして、塚田は木っ端微塵にスーパールーキーを打ち砕く。
4図から塚田は5分考えて、ぽんと▲8五角と打った。瞬時の収束である。4図は色々な勝ち方がある。が、塚田の選んだ▲8五角は何とも厳しい。合駒がない。
▲8五角に△5一玉ならば▲5七香~▲4一角打。羽生はやむなく△3一玉と逃げたが、▲5七香△同飛成▲1三角△2一玉▲4一角成まで。粘りを身上とするルーキーを、その隙を与えずに、バッサリと切って落とした。
(中略)
22連勝中の、会心の一局はと聞くと、森九段との王将リーグの将棋をあげてくれた。わずか、59手で終わってしまった将棋である。
5図は、横歩取りの定跡書に現れそうな局面だ。5図から▲2一角△4二玉▲3二角成△同玉▲4二金と進み、いくばくもなく塚田は攻め倒した。
▲2一角に△2三歩は▲3二角成が詰めろになる。△2三銀は▲同飛成△同金▲4三角成が詰めろ飛車取り。△3一金も▲2二飛成△同金▲4三角成がある。
局後、森九段は12手目の△6二銀が敗着だったと語っていたという。そして、序盤の疑問手を積極的にとがめたところが、会心の一局たる所以なのだ。序盤からでも、常にポイントを積極的に上げることを意識する。そして、それを維持したまま押し切る。それが塚田の考える理想形であり、そんな発想から塚田流と言われる▲2四歩が生まれたのだ。
塚田はスプリンターだ。少しでも速く全速力で100mを駆け抜けることを目標とする。それが、塚田の根底に流れている思想なのである。
(以下略)
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将棋世界同じ号の「将棋パトロール」より。
塚田、新記録達成!
塚田六段が、22連勝というウルトラ新記録を達成した。一昨年に有吉九段がマークした20連勝を、更新するもので、次に紹介するように内容も満点。素晴らしい記録だ。
(中略)
連勝中に、対A級・タイトル保持者7勝、順位戦5勝、新人王戦決勝の2勝を含んでいて、まさに、空前絶後の大記録といえる。
ただ、惜しむらくは、連勝ストップの相手が、過去一度も勝ったことのない(4連敗)谷川棋王だったことで、絶好調で当たった今回の対戦でも勝てず、連勝にケチをつけるとすれば、唯一、この点だろう。
塚田は対中原(3-2)、対米長(2-1)には健闘しているのだから谷川にだけ、これほど分が悪いのは、ちょっと不思議な気がする。近い将来タイトル戦でも好敵手となるであろう二人だけに、塚田には、なんとか谷川を克服してもらいたいものだ。
(以下略)
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塚田泰明六段(当時)の個性が十二分に表現されている記事。
「顔全体がブッこわれちゃうような笑顔」が最高だ。
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将棋世界の同じ号に載っている、この当時の歴代連勝記録を見ると、連勝新記録の推移は次のようになる。
升田幸三八段 14連勝(1956年)
大内延介六段 17連勝(1966年)
有吉道夫九段 20連勝(1984年)
塚田泰明六段 22連勝(1986年)
神谷広志五段(当時)の28連勝は、この翌年、1987年のこととなる。
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インタビューが行われたのは21連勝中の時。
3図は「塚田スペシャル」そのものの序盤。
この頃はまだ「塚田スペシャル」という名前が付けられていないようだ。