読む 「もしかしたら先生は優勝するつもりで来られたのですか」 将棋マガジン1984年3月号、日本将棋連盟囲碁部幹事の大野八一雄四段(当時)の「年の瀬は駒持つ指で石を打ち」より。 12月23日、東京・市ヶ谷の日本棋院で「日本将棋連盟囲碁部忘年囲碁大会」という長くて舌を噛みそうな会(参加資格は連盟関係者... 2018.02.28 読む
読む 摂生、養生と無縁の棋士 将棋マガジン1984年4月号、川口篤さん(河口俊彦五段・当時)の「対局日誌」より。 将棋関係の記事に、バカな理事とか、クソったれ奴とか、くだらん理事どもめが、といった過激な活字がおどり、水面下にもさまざまな不満がうずまいて、なにやら物情騒... 2018.02.27 読む
読む 「森さんは死ねっ!死ねッ!ていっていたけど負けたら、死んだ!死んだ!とわめいていました」 将棋マガジン1984年4月号、川口篤さん(河口俊彦五段・当時)の「対局日誌」より。 神谷が婚約したと聞いていたので、たしかめたら「本当です」という。それじゃお祝いをしようと大島と三人で会館を出た。 (中略) まず近くの焼肉屋から始まり、... 2018.02.26 読む
読む 棋士たちの天動説 将棋マガジン1984年4月号、川口篤さん(河口俊彦五段・当時)の「対局日誌」より。 ところで、この日は事件が起こった。大内-小林戦で、大内が不戦敗となったのである。なんでも、大内は対局場が大阪なのに、東京と勘違いして、こちらへ来てしまった... 2018.02.25 読む