プロジェクトS(プロジェクト瀬川)

将棋世界2005年8月号、角建逸編集長(当時)の「プロ棋士への挑戦 -プロジェクトS-」より。

トリビアの種から

 事の始まりは、2月3日発売の本誌3月号「盤上のトリビア」だった。山岸浩史氏がアマチュアの瀬川耕司さんを取り上げ、彼の「プロになりたいんです」という衝撃的な発言を載せたことが全ての発端である。

 奇しくも同日からアマ竜王の加藤幸男さんの竜王戦自戦記が読売新聞で掲載開始。加藤さんはその第3譜で「プロになる道」と題して瀬川さんについて触れ、「瀬川さんをプロ棋界に受け入れる―。そんな議論があってもいいのではないか」と提言された。

 これを受けて将棋連盟で行われた棋士会、瀬川さん本人からの嘆願書が理事会宛に届いたこと、棋士総会でプロ入り編入試験の実施が決議されたことまでの一連の流れは、野月七段の朝日オープン・プロアマ戦の文章に詳しい。

 瀬川晶司さんは、昭和45年3月23日生まれの35歳。佐藤棋聖、畠山兄弟、飯塚六段、中座五段、故・村山九段、中井女流六段らと同学年である。

 昭和58年、中学2年で安恵七段門下として奨励会を受験するが不合格。翌59年、中学3年のとき中学選抜戦で優勝。同年再度奨励会を受け、12月に6級で入会。

 同期入会でプロになっているのは、関東では深浦八段、松本五段、高野五段、関西では畠山鎮六段、増田五段の計5名。丸山九段や木村七段もこの年に受けたが不合格組。この前後数年の奨励会試験は受験者数も多くハイレベルだった。

 平成4年4月(22歳)から三段リーグに参加。第11回から第18回まで8期在籍。同8年3月26歳となり、年齢制限のため奨励会退会。三段リーグでの通算成績は、144戦72勝72敗のちょうど5割。

 アマ復帰規定による2年のブランクを経て、平成11年、第53回アマ名人戦優勝。同14年、第19回アマ王将戦優勝。こういった成績を引っさげて、プロ棋戦にアマチュア招待選手として参加、棋士総会での決定を見るまでの対プロ通算成績は24戦して17勝7敗。

 これはアマチュアでは突出した数字であることは間違いない。

夢の実現に向けて

 成績を残すにつれ、アマチュア強豪の仲間たちから瀬川さんがプロ入りする道はないのかという話が出始めたという。

 朝日オープンに応援でこられていた遠藤正樹さん、加藤幸男さん、それに奨励会経験者で元週刊将棋編集長の古作登さんにそのあたりを伺った。

遠藤「銀河戦で先崎八段と対戦したり、久保八段に勝ったりしたあたりからですかね。瀬川さんは年齢制限で止めたのであって、決して弱くて止めたわけではないんです」

加藤「こんな成績を残したのなら、年令に関係なくアマチュアがプロになれればいいなあと」

 そこで瀬川さんをプロ棋士にしようという”プロジェクトS”が昨年暮れに発足したという。Sは当然瀬川のSだ。

古作「朝日オープンで山田敦幹さんが屋敷九段をねじり合いの末破りましたよね。(平成12年9月)昔なら考えられなかったことです。あれでアマがプロにも勝つことができるんだという気持ちになった。今回のことは潜在的にみんなが思っていたことが、同時多発的に起こった気がします」

遠藤「僕らは誰でもプロにしろと言っているわけではないんです。瀬川さんは特別で、もうそんな人は現れないかもしれない」

加藤「どんなに難しくてもいいんですが、プロになる道ができることに意義があります。アマチュアに夢が広がります」

古作「嘆願書が出てからの連盟の動きが迅速だったのは、うれしい驚きでした。瀬川さんの件はスポーツマスコミの方からも尋ねられることがあります。将棋界にとっても非常に良かったのではないでしょうか」

遠藤「プロには強くあってほしい。瀬川さんには頑張ってもらいたいけど、アマチュアの挑戦を跳ね除けるくらいプロは厳然とプロでいてほしい気持ちもあるんです」

 山岸氏は”将棋バカ”と書かれていたが、確かにアマ強豪たちはどこまでも熱かった。

 また棋士総会での決議を導き出したのには、瀬川さんを積極的に応援するプロ棋士の存在も大きかった。同じ安恵門下の兄弟子である日浦七段がその筆頭だ。

日浦「彼が奨励会にいたときはほとんど交流はなかったんです。将棋世界の記事も読んでなかったので、最初プロになりたいという話を聞いたときはちょっと驚きました。奨励会を止めたときにきっぱり諦めたと思っていたので。3月上旬に彼と佐藤(紳哉五段)、上野(四段)の4人で食事しながら話でもしましょうということになったんです。何を考えているのか直接聞こうと思って」

―棋士会を含め、相当陰でサポートされたようですが。

日浦「誰かが動かないと何も決まらないと思ったので。棋士の間で話をしたり、説得したり。若手は感情的な部分で反対していましたから。自分たちはキツイところをちゃんと抜けて来たのにって」

―そんなに応援されたのは、やっぱり同門だからということですか?

日浦「もちろんそれもありますけど、収入が下がってもプロ棋士になりたいという彼の気持ちが嬉しかったんです。将棋界も今は大変なのに、それでもプロになろうとしている。将棋連盟はその気持ちを簡単に無視してはいけないと」

六番勝負

 試験将棋は六番勝負で行われ、瀬川さんが3勝すれば合格、4敗ならば失格ということになった。ただし最終局までもつれ込んでの2勝4敗の場合は、将棋の内容等を見た上で決定する含みがあるようだ。六番勝負の相手は次の通り。

第1局 佐藤天彦三段
第2局 神吉宏充六段
第3局 久保利明八段
第4局 中井広恵女流六段
第5局 熊坂学五段
第6局 長岡裕也四段

 持ち時間は1局目だけが各90分、2局目以降は全部各3時間と決まった。

 編入試験について、タイトルホルダー4名にコメントをもらった。

渡辺明竜王「編入試験には賛成でした。これだけ勝たれているんじゃ仕方ないですよね。相手の6人ですか?A級の久保八段は別ですけど、ここを突破するくらいじゃないとプロに入っても厳しいんじゃないですか?」

 さすが竜王。直球を投げ返してくる。

森内名人「編入試験の実施は良かったと思います。アマチュアが年齢にかかわらず、プロを目指すことができるのは大きいことです。ただこのやり方が最善かどうかはわかりませんけど。奨励会の方も時間をかけて(年齢制限とか)いろいろ検討してもらいたいと思います」

 タイトル戦の千日手問題のときもそうだが。森内名人はシステムの不備を嫌う。今回の件に併せて現状の奨励会制度に改善を求める意見は少なくない。

羽生四冠「このような試験が実施されることで(アマチュアに)幅広く門戸が開かれることを嬉しく思っています。瀬川さんにはベストを尽くしていい将棋を指してほしいです。(この6人は)結構大変だと思いますが、それを乗り越えればプロへの道が開かれるので価値があると思います」

佐藤棋聖「個人的にも、編入試験という形になって良かったと思っています。あれだけプロ相手に公式戦での実績があるのですから。ただこの6人の相手ではギリギリのところじゃないですか。まあ、将棋は誰とやっても厳しいんですが」

 他の棋士にもいろいろ聞いたが、編入試験の実施は将棋界のためには良かったという声が多かった。

第1局は公開対局

 奨励会同期にも登場してもらおう。

深浦八段「瀬川さんは非常に穏やかな性格の人です。今度のことで話す機会もあったんですが、将棋界全体のことを考えているのに感心しました。この6人なら将棋を知らない人からも注目されるからいいんじゃないでしょうか」

松本五段「フリークラスに入っても(規定の成績を上げないと)10年で引退ですよね。キツイです。フリークラスなら入らない方がいいと言っている棋士もいるくらいです。プロなんかならずに、ちゃんと勤めていた方がいいって。でも本人のプロになりたいという気持ちもわかりますから。瀬川さんとは研究会とかも含めてずいぶん指しましたが、どう見ても互角でした(笑)」

高野五段「画期的なことが起こったと思います。今回の件はファンの皆さんの後押しが大きく、将棋連盟の意識もだいぶ変わってきました。これによりプロとアマの関係がより深まるんじゃないでしょうか。瀬川さんとは奨励会でずいぶんやりましたが、正直言ってこの六番勝負は苦戦でしょう。集中して頑張ってもらいたいですね」

 瀬川さんの対プロ戦の勝ち星は全てテレビ対局である銀河戦のものであり、それ以外では全敗しているのも事実。持ち時間各3時間の将棋でどこまで結果が残せるのか。

瀬川「楽な相手はいないので厳しい六番勝負になりそうです。特に初戦の三段戦が大きな勝負ですが、全局ベストを尽くせば指し分けにはなると思っています。試験の持ち時間が長いので、今後はそれに重点を置いた勉強をするつもりです」

 六番勝負第1局は、7月18日新宿「紀伊国屋ホール」にて公開対局として行われる。結果は次号にて。

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もちろん瀬川晶司アマ(当時)の強い意志と実績があったから、プロ編入試験が実現されたわけだが、周りの仲間の支援・応援・後押しが非常に大きかったことがわかる。

それだけ瀬川晶司アマが皆に愛されていたということだろう。

何か事を成し遂げる時、何かを成功させる時、何か奇跡を起こす時、の理想的な姿なのだと思う。