タイトル戦打ち上げでの芸者衆の踊り

将棋世界1995年7月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

 たまには番将棋を見たいものだと思い、ある人に誘われた機会に、熱海の「石亭」へ出かけた。

 「石亭」は私にとって思い出の対局場で、大山対升田の名人戦の記録係を務めたことがある。たしか四段になる直前だから、昭和41年のことで、思えばずいぶん昔の話だ。

  着いてみると、対局室は違う部屋だったが、感じが似ていて懐かしさがこみあげてくる。控え室に落ち着き、しばらくして対局室に行くと、小ぶりの純和風の部屋に、和服の対局者二人の姿がぴったりだ。庭ごしに能の舞台が見える。こうなると、伝統芸能の世界である。将棋も、かつては幸福な少数のもの、の時代があったのだ。

 観戦記担当の東公平さんが「いいねえ」と感心している。対局姿を褒めているのだが、私と同じ感慨も含まれていただろう。

 そこから話は急に現実的になる。控え室で誰かが「谷川さんが王将戦で勝ったのは大きかったね。換算すればざっと2億円くらいになったのじゃないか」と言っている。大方は同意見であろう。しかし、ヘソ曲がりはどこにもいるもので、「いや、あそこで負け、無冠になってしまった方が、将来の大勝ちのためにはいいのだ。大山名人が升田に全部負け、全部取り返したのがよい例だ」の説もある。

 私の感じでは、谷川の真の才能はまだ発揮されていないと思われる。それはもっと強くなる、ということではない。最良のものを出せば、すくなくとも羽生と互角のはずである。要は、そのきっかけをどうつかむかで、いっそ無冠になっての、の荒治療も一理あろう。

 余談になるが、前回紹介した渡邊明君は、谷川将棋が好きなのだそうである。これまたセンスの良さを証明している。なお、最近4連敗したが、奨励会の星は悪い所を切り捨てればよいから、どってことない。昇級が1ヵ月遅れただけである。

 渡邊2級にせよ、谷川王将にせよ、話題になるところがスター性というものである。ただ、王将位を守ったのなら、ついでに名人戦にも出てもらいたかったが、これは言ってもしょうがない。

 さて、谷川対深浦戦である。

(中略)

 結果は、次の第4局も深浦五段が負け、谷川王将が優勝した。

 深浦君は残念だったが、実力は証明された。ただ一つ苦言めいたことを言えば、「受けに徹したのがまずかった」と反省していたが、そういった楽な指し方になれてしまうと伸び悩むことになるだろう。

 終わったあと、7時ごろから小宴になった。もちろん対局者二人は中央にくつろいでいる。全部で20人ばかりが思い思いに雑談をはじめた。主人公の谷川、深浦は、ニコニコ聞いているだけである。

 升田、大山の全盛期は違った。二人そろっての会食はあまりなかったが(升田は負けると自室から出てこなかった)、どちらかがいれば、座の空気を独り占めにした。升田がしゃべれば全員謹聴だっつぃ、大山はああしろこうしろと指図が多かった。

 そんな場面を思い出していると、能舞台で芸者衆の踊りがはじまった。照明に照らされた舞台をガラス戸越しに見物するのだが、すべてに元手がかかっているのは判っても、おもしろく見ることは出来なかった。粋な遊びはとてもとても。もし木村名人か芹沢でもいれば、さりげなくチップをはずみ、能書きの一つや二つは言って、さすが判っている、と感心させただろう。

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静岡県熱海市の「石亭桜岡茶寮」で行われた第13回全日本プロトーナメント決勝五番勝負第3局、谷川浩司王将-深浦康市五段戦。

能舞台での芸者衆の踊りなので、芸者さんが打ち上げ会場に入って来てくれたわけではないものの、タイトル戦の打ち上げとしてはなかなか珍しいことだ。

これは主催者側が芸者衆を呼んだわけでは決してなく、「石亭桜岡茶寮」が宿泊客向けに行っている催し。

熱海は古くから温泉郷であったため、花柳界が発展した。

芸妓について(熱海 石亭)

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料亭や旅館で芸者衆を呼んで、お座敷遊びを本当に楽しむには、客の方に小唄や踊りに関する知識が必要とされる。

それ故に、銀座や六本木や北新地などの高級クラブへ飲みに行くのとは、似ているようで全く違う世界と言って良いだろう。

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小唄や三味線とは異なるが、琴の話。

私は大学生時代、和楽器店のアルバイトをしていて、琴の演奏会で琴を運んだり、琴の組み立てをやったりしたことがある。(チューニングは師範格の人が行う)

琴の演奏会は都内のホールで朝9時か10時に始まり、夜の8時頃に終わる。

年に2~3回、4年間やったので、10回以上は演奏会へ行っていたわけだが、琴で演奏される曲を一つも覚えることができなかった。(耳で聞いて、あっ、これは前に聞いたことがある曲だ、というレベルにさえ達しなかった)

そういう訳なので、私にとってだけかもしれないが、古来の邦楽を覚えるのは本当に大変であることを身をもって知った。

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ちなみに、この演奏会では、昼食、夕食が出て、折り詰め入りの上品な弁当であることが多かった。茶巾寿司を初めて見たのも、この演奏会の弁当でのことだった。

今でも茶巾寿司を見ると、”品が良い”という形容詞と”琴の演奏会”という名詞を頭の中で連想してしまうほどだ。

 

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