「小池重明氏に何が起こったか?」

将棋ジャーナル1984年1月号、湯川博士編集長(当時)の「小池氏に何が起こったか?」より。

事件の前ぶれ

 本誌は以前にも小池問題でレポートを書いた。(58年5月号)前回はプロ入りをめぐる内幕を書いたが、今回は借金問題だ。そしてこの二つは微妙な関係にあるようだ。

 以下は簡単に事の経過を記してみる。

 筆者が「小池チャンが荒れてるよ、なんかあちこちに借金もあるみたい」という話を聞いたのは、今年の春くらいと記憶している。しかしこの時は「プロに入れなかったんで荒れているのかな」くらいに思っていた。

 ところがその後(夏のちょっと前)関西のアマ強豪から電話があり、「道場をやるということで借金を申し込まれたけど、あの話はアマ連と関係あるのか」と確められ、「いやありません」と答えた。「アマ連でも小池氏に多少の貸しがあり、解説原稿などで返してもらっている状態なので、とてもいっしょに何かをやるなんてありえません」とも話した。

 この時点では小池氏の借金は、少なくともいわゆる将棋仲間や、だんな的な人の範囲だったようだ。

 しかし8月に入るやその手の噂がひんぴんと入ってきて、アマ将棋関係者の間では大分知られてきた。

 本誌でも内々に、「八段VSアマ最強」の予定メンバーから降すことにしていた。
 そして読売大会に出場した時は「アレッ」という感じを持ったくらい。

「賞金で借金を返そうというのかな」と言う人もいたが、さすがにこんな状態では将棋が指せず予戦で敗退。

 大会後、本誌にサラ金やら債権者から「居所を知らんか」という問い合せが入るようになった。

「小池さんと連絡したいんですが」

「こちらではわかりません」

「いやお宅ならわかるでしょう」

「こっちも探しているくらいなんですよ」

「本当に知らないんですか。だってジャーナルの一員なんでしょ」

 こんな電話が入るようになったので、11月号編集室の筆者文となったわけだ。この時点(8月末日)ではまだ一般には知られておらず個人の問題内だったため、一般読者にはわからない表現をとった。

マスコミが追う

 そして9月に入るや、「将棋世界」に桑原氏の投書が載るという情報。プロの連盟内でも話に出ているという状況。そして10月6日発売の将世誌読者欄に桑原氏の文章が掲載された。

 その後開かれた記者会の定例会(10月4日)でも、担当理事に質問が出た。

「小池氏の話が本当だとしたら、連盟で、アマ大会出場停止とか、アマ名人称号を返上とかの処置をとるんですか」

「いや告訴されたとか刑事事件になったという訳ではないので、そういった事は考えていません」

「そうですねェ。考えてみれば、告訴されて、しかも有罪判決が出ているのに辞めない人だっているんだから。(笑)」

 折からの10.12田中判決まで話題に登って、しばし座はにぎやか になった。

 その後週刊現代の記者が取材に来る。朝日、読売からも取材にくるようになって、いよいよ事態は煮詰ってきた。

 小池氏とはまったく連絡がとれなくなった。どこか、知人宅にひそんでいるらしいという噂だが、わからない。

 そして、「週刊現代」が最終取材をして帰ってすぐの、10月27日(木)の読売夕刊一面に、ドカンと記事が出た。これにはびっくり仰天した。

 なにしろ、一面中央の「中曽根首相が田中と会談へ」というトップ記事のすぐ左に出たのだから。

 タイトルは「アマ将棋の星”黒い棋譜”」「子供道場エサに借金」「設立は幻、負債額500万円を越す」というもの。

 記事は桑原氏の投書を元に、小池氏のプロ入り問題もからめてまとめてあった。

 オチの文章は―「金」の扱いをしくじった”名人”に妙手はあるか―。

 この記事を見て一番飛び上ったのは小池その人であろう。なにしろ一面に八段組の大きな記事である。その写真は、中曽根、田中よりも大きかったくらい。

 告訴もされていないのに、なんでこんな大きな扱いにしたんだろうとちょっと不愉快に思った人が多かったようだ。

 アマ将棋の関係者である我々も「困ったものだ」というのが実感。

 この欄は”イブニング・スペシャル”というもので、週刊誌の感覚を導入した新しい試みという。ちょっと可笑しかったのは、小池氏の肩書きが、アマ名人二回だけで、読売日本一が消えていたことだった。

 10月31日(月)には週刊現代が発売された。

 タイトルは「元アマ名人小池重明全国寸借詐欺騒動の思わぬ顛末」というもの。

 こちらでは、「プロ入り却下で破滅に拍車、背景にはプロ連盟とアマ連盟との確執も」というとらえ方をしている。

イメージダウン

 小池氏は無名時代に本誌が発掘し、その抜群の才能と強さで無冠の帝王と目されていた。

 受けが強く、終盤が滅法強い棋風で、アマ界のスター棋士となった。

 そのあと、仕事は不動産屋の営業をやったりしていたが長く続かず、将棋スナックや道場の師範をしていた。本誌でも一度営業をやりたいという話があったが、ほとんど仕事をしない内にやめた。

 そして55年にアマ名人をとってからは、完全に将棋一本の生活になった。その後56年にもアマ名人になり、57年には読売日本一で優勝し百万円を獲得。この時の噂話では、この百万が二ヶ月と持たなかったという。恐らくこのころから浪費癖と借金癖が進んでいたのだろう。

 小池氏が新宿から日暮里へ移ってから(56年)筆者らとはつきあいがなくなった。新宿界隈にいたころは、回りは年上の、先輩が多く、酒を飲むにしても、

「小池チャンも一杯飲ろうよ」

 という具合に誘われ、あまり金を使わなくてすんでいた。そして何かあっても忠告する人もいた。

 ところが日暮里に移ってからは年上の人も少なく、自分が兄貴分となって飲み歩くようになり、生来のギャンブル癖にも、歯止めが利かなくなったようだ。

 小池氏は陽気で人当りがよく一緒に飲んでいてもとても面白い人だ。ところが、自分を管理する能力が少々足りなかったようで、強力な保護者を失なうと、自分を見失なうような所がある。

 浪費の内容は麻雀、競馬などの賭けごとや酒だと見られている。

 しかし数ある将棋指しの中には賭け事や酒が好きな人はいくらもいる。(筆者だとて似たようなところがある)しかし、ふつうはバランスよく遊んでいる。ところが心にスキ間ができてくると、それを埋めるべく、遊びに拍車がかかることがある。小池氏の場合、プロ入り問題挫折がヒキガネになったと見る向きもある。しかし小池氏の心の中はわからないし、本人に会えないのだから、なにが彼をヤケにし、悪循環の泥沼に追いやったかわからない。この事件については小池氏本人の口からぜひとも語ってもらおうと思っている。(現在居所を探査中)

 なんといっても、この事件は将棋界のイメージダウンであり、せっかく盛り上ってきたアマ棋界に泥をかけるようなことであった。小池重明氏が無名から日本一の有名なアマ棋士に成長するまで、見守ってきた筆者としても、大変残念でならない。

 アマ連盟としては今後アマ大会 には出場を遠慮してもらう方針だ。

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「新宿の殺し屋」「プロ殺し」と呼ばれた真剣師・小池重明氏は、その全盛期においても私生活は苦境の連続だったが、公私ともに苦境に陥るのは、将棋世界1983年11月号の読者欄に、「許せないアマ名人 K池氏の素行」という桑原辰雄さん(著名な詰将棋作家で、当時は日本将棋連盟群馬支部連合会相談役も務めていた)の投稿があってから。

  • 1982年10月頃、小池氏が群馬県にやって来たときに『子供将棋育成道場設立』の趣旨を訴え50万円を借用していったこと。
  • しかし、1983年4月頃から月5万円ずつ10回払い(利息分は時折指導に来る)だった約束が、1回だけ5万円が支払われただけで、その後は再三再四の電話連絡にも何ら誠意の一片すらない。
  • 他にも同様の被害にあっている人が確認できている。自分たちに続く被害者を出さないためにも、K池氏をこれまで持ち上げてきた人達に猛省を促すためにも苦渋の決断ではあったが、この投稿を行った。

が桑原さんの投稿の主旨。

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このほぼ2年後、小池重明氏が将棋ジャーナルに3号にわたって「すべてを告白します」という非常に長文の謝罪を載せている。

それについては、明日以降に。