「昭和の大名人 木村義雄の足跡を辿る」

将棋マガジン1987年2月号、陣太鼓(山本武雄九段)の「昭和の大名人 木村義雄の足跡を辿る」より。

 木村十四世名人が亡くなられた。明治、大正、昭和と三時代を将棋一筋で駆け抜けた大偉人である。

 生前に残された数知れない大名人の足跡は、将棋界の昭和史そのものであり、昭和の文化史といっても決して過言ではあるまい。

 まるで、随分昔からその年、その日、と決意していたかのような81歳、11月17日の大往生であった。

 人の死は、いつも哀しい。

 大名人への追悼の意を込めて、昭和の棋界に深々と刻みこまれた、その足跡を辿ってみよう。

寂莫の念

 生者必滅、会者定離のことわりあるとはいえ、ここ二年ばかりの間に志沢春吉八段、奥野基芳八段、永沢勝雄八段、花村元司九段、渡辺東一名誉九段、高島一岐代九段と続く、相次ぐ悲報に接し、折にふれて寂莫の念を禁じ得ない昨今ですが、またまた、戦前、戦中、戦後の将棋界を双肩に支えた偉大なリーダーであり実力で勝ち取った初めての名人でもあった、木村義雄十四世名人がこの世におさらばをされた。

 入院されていることを露知らず、寝耳に水の訃報を受けたのは、米長邦雄十段と福崎文吾七段がタイトル争奪の激闘を展開している、十段戦の第三局で北海道へ向かう機中でした。思わず”えっ”と言って絶句した私ですが、以来もろもろの想い出が走馬燈のように頭の中をかけめぐって、いまだに尽きるところがありません。

 行年は、奇しくも将棋盤の目数、盤寿の八十一歳。永遠の眠りについたその日は、江戸時代、御城将棋が行われた日にちなんで、日本将棋連盟が制定した十一月十七日の「将棋の日」。こうと心に決めていた、読み筋通りともいえる、大棋士の最後を飾るにふさわしい大往生でした。いまはただただめい福を祈るばかりです。

勝負の世界の三福神

 若くして本部の幹事長(現在の専務理事)、副会長、会長の要職を歴任し、縄のれん、赤提灯組の棋士がほとんどだったころ、「将棋は先哲が残してくれた世界に誇る文化である。これを後世に伝えるのが私どもの責務である」の誇りと自覚の上に立って、ちゃんとしたお座敷で各界の人たちと親しく交際し、広く知識を吸収して、ともすれば軽視されがちだった、将棋界の社会的な地位向上に務め、将棋指しがいつしか棋士と呼ばれるようになったのも、木村名人の人知れぬ努力があったればこそ。

 戦中、幹事(現在の理事職)の末席に名を連ねていた私が招待をうけて、将棋の木村名人、囲碁の呉清源と並ぶ、勝負の世界の三福神とうたわれていた名横綱、双葉山が前頭の小兵力士、桜錦の肩すかしに土俵へはうのを両国の国技館で見たのも、木村名人が二枡も持っていた桟敷席のうちの一つでした。

無敵、木村

 棋士のだれもが畏敬する大棋士であり、終戦直後、新機軸の名人戦、段位を二の次とした実力本位の順位戦を創案。これを実行に移して、一寸先も真っ暗だった困窮の将棋界を、今日の隆盛に導いた大功労者でもありました。

 また塚田正夫、梶一郎など、新進気鋭の五、六段を角落ちで負かし、戦前から戦中にかけて読売新聞が主催した、指し込み五番勝負では、一段差の八段連を二段差の香落ちに指し込むなど、負ければニュースになるほどの無敵ぶりでした。

 局後の感想戦では、負けた相手に花を持たせるのが通例ですが、木村名人だけは例外。どんな場合にも自分の信ずる主張を通して、頑として譲らず、「木村さんはひどい人だ。一度じゃ足りなくて二度も三度も負かすんだからね」と、負かされた人がぼやいているのを、よく耳にしたものです。

 また観戦記者の草分け、菅谷北斗星さんから面と向かって、「木村さん、あんたは困った人だね。相手を土俵の真ん中でぶん投げてばかりいる。たまにはハラハラドキドキさせるような将棋を指してくれなきゃ面白くないよ」と言われて返答に窮し苦笑で返したという、ウソのようなエピソードも残されています。

 たんに強いばかりではなく、対局態度も実に立派でした。対局が深夜に及んでも正座を崩すことはなく、秒読みに追われても、慌てず乱れず、右手でセンスをまさぐりながら、さっと左手をのばし、的確に急所をついて着手するポーズは、すっかり板についていて、見とれるばかりの鮮やかさ。その見事さに魅入られて、真似する人もいたほどでした。

責任感の人

  明解にして要を得たベストセラー中のベストセラー、「将棋大観」の名著で新しいファン層を開拓し、戦前、戦中を通して二十年近く、報知新聞の将棋欄で独自の文体で健筆をふるい、私が観戦記を書いている読売新聞では長らく総評を担当された名人ですが、その間使いをよこすことも、取りにきてほしいといわれたこともなく、コツコツと調べて書きあげた原稿を、ころ合いを見はからって自身で届けられ、私どもに気をもませるようなことは、ただの一度もなかったほど律義で、責任感の強い人でもありました。

数々のエピソード

 昭和十二年、厳寒二月の五日から十一日までの七日間にかけて、手あぶりの火鉢も遠ざけ、文字通りの死闘を演じ、一日一手で日が暮れたこともあった、坂田三吉翁との「南禅寺決戦」で、会心の勝利を飾った。その日の夕刻、記録係を務めた高柳君(敏夫八段)と私の労をねぎらって、鴨川べりの宿へひょっこり訪ねて、三条寺町の「三島亭」へ案内され、南禅寺で「瓢亭」の料理を朝、昼、晩、一週間食べ続けてきたばかりというのに、当時珍しかった水炊きとすき焼の食べ比べして、食べ盛りの私たちにひけをとらなかった、健吹ぶりに驚いたこと。

 昭和二十四年、名人へ復位する世紀の大偉業をなしとげた、塚田名人との皇居内「済寧館」の決戦。同年、豆腐の木綿と絹ごしではどっちがうまいかが発端となって、ケンカ腰の激調となり、

「名人なんてゴミ見たいなもんだ」

「名人がゴミなら君はなんだ」

「ゴミにたかるハエのようなもんだ」

 とまでエスカレートした、升田八段との「金沢決戦」など、数多くの大勝負に記録系として盤側へ待したことなど、懐かしく思い出されます。

 また私の恩師、金先生(故・易二郎名誉九段)と兄弟弟子ということもあって、ずいぶん目をかけてもらいました。

満州での思い出

 一か月近い北海道一円、各半月以上にわたる北九州、北陸地区の巡回教室にお伴して、教えられる点が多々ありましたが、一番印象に深く刻まれているのは、戦中の十八年十月初旬から十二月中ごろまでの二か月余にわたって、団長の木村名人が佐官待遇。松下力六段、原田泰夫三段、四段だった私の三人が尉官待遇で随行して、中支、北支、モンゴルの各地へ、傷病兵の慰問に行ったときのこと。

 下関から乗船するはずだった、関釜連絡船のコンロン丸が撃沈されて最初の目的地、南京への到着が大幅におくれる、思いもよらぬハプニング。徐州で紙幣の交換に行くと、たくさんのドル札が返ってきてビックリしたり、北京の駅で大盤の駒を盗まれ、張家口でボール紙を切り抜いて徹夜で駒作りをしたりするなど、いろんなことがありましたが、全員が最高にごきげんだったのは、軍から休暇をもらって過ごした上海での二週間。

 ガーデンブリッヂ畔の宿舎。アスターハウスから日本人クラブへ通って、待ちわびているファンの指導に当たり、夜は内地ではめったに手に入らぬものを、飲んだり、食べたりたらふくご馳走になって、ほろ酔い気分で帰るのが日課でした。

 ある日、大穴が出れば一生安楽に暮らせるほどの大金が入る、競馬場へ案内されました。

 一同にとって生まれて初めてのことでしたが、そこは勝負師。勝手はわからなくてもきらいな道ではありません。

 全国的に顔を名を知られている内地では、第一人者としての有形無形の束縛をうけ、うかつなことは許されぬ名人も、たとえ気付かれても上海へ木村名人がきているはずがない、他人の空似として見過ごされる気安さもあってか、このときばかりは全くの別人。

 日本の馬がビールの大ビンなら、あちらの馬はビールの中ビン。どっぷりと解放感につかって、中ビンが走るのを一喜一憂しながら、それはそれは楽しそうでした。

 口元をちょっぴりゆがめたそのときの笑顔は、いまも私の脳裏に焼きついています。

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山本武雄九段は陣太鼓の筆名で十段戦の観戦記を執筆、「交喙(いすか)の嘴(はし)の食い違い、なかなか思うようにはまいりません」「取ることかなわぬ魚屋の猫」などの名調子と独特の文体で、多くの将棋ファンがその観戦記を楽しみにしていた。

故・山口瞳さんは「血涙十番勝負」の中で、陣太鼓の観戦記を大絶賛している。

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私が将棋に興味を持ち始めた小学生の頃、母が「将棋には木村名人と大山名人という偉い人がいる」と教えてくれた。

母は将棋を全く知らなかったにもかかわらず、一般の主婦がその名前を知っていたわけなので、木村義雄十四世名人の名前がいかに日本中に浸透していたかがわかる。

棋士の社会的な地位向上に木村十四世名人が果たした役割は非常に大きかった。

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山本武雄九段は、木村義雄八段-阪田三吉八段の「南禅寺決戦」の時の記録係。

「その日の夕刻、記録係を務めた高柳君(敏夫八段)と私の労をねぎらって、鴨川べりの宿へひょっこり訪ねて、三条寺町の「三島亭」へ案内され、南禅寺で「瓢亭」の料理を朝、昼、晩、一週間食べ続けてきたばかりというのに、当時珍しかった水炊きとすき焼の食べ比べして、食べ盛りの私たちにひけをとらなかった、健吹ぶりに驚いたこと」

南禅寺決戦が終わった直後のこのような出来事はほとんど知られていないので、貴重な記録と言えるだろう。

三嶋亭も瓢亭も高級料亭。

三嶋亭

瓢亭

 

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