森内俊之四段(当時)「いえ僕はお茶はどうも……」

近代将棋1989年1月号、武者野勝巳五段(当時)の「プロ棋界最前線」より。

「これはこれは武者野先生じゃないですか」

「おや滝先生、お久しぶりですねえ。どうですお茶でも」

「いいねえ、お茶。先崎先生、櫛田先生、森内先生たちもお茶をご一緒にいかがですか」

「いえ僕はお茶はどうも……」と森内四段。

「本当のお茶ですよ、行きましょう」

 すると今度は「本当のお茶だったら、僕はここで待っています」と不満気な櫛田四段。

 何やら不可思議な会話だが「お茶を飲みに行く」のは将棋界では「麻雀を打ちに行く」という意味もあることを紹介すれば、森内君が腰が引けた理由も分かるだろう。

 私とすれば、カモがネギを背負ってきたのを逃したくはないし、本欄の取材はしたいという訳で、「まあまあ、まず白馬あたりへ本当のお茶を飲みに行って、友好を深めた後、峰あたりで改めてお茶を飲みましょう」てな発案をする。

 まあ、お茶を飲みに行くメンバーは日によって違えど「○○✕段が世にも稀なトン死を喰らっちゃって……」とか「△△✕段の絶妙な寄せは感動的だった」なんて将棋の話から、「その○○✕段ね、株の暴落でここのところ、5千万円ほど損してるって嘆いていたよ。でもあくまで評価損だし、5千万円も損できるだけ僕らより幸せだよね」なんて棋士仲間の噂話。

(中略)

 こうして話が流れて行くと、いつしか鉾先がこちらに向いてきた。

「谷文晁の渓色功明ほか貴重な美術品が、飾るに飾れず倉庫に眠っているって、武者さん書いていたでしょう。あれを売って棋士のボーナスにするって案はいかがですか。約2億円として、一人頭160万円。あ~あ賞与ってのを一生に一度でいいから貰ってみたいなあ」

 年末にそれらしき支給はあるのだが、財源が棋譜使用料や扇子署名料。賞与とは書けず、袋の表に「餅代」と書かれる額であることを嘆いているのだ。

「不動産投資で有名なあのタイトル保持者ね、千駄ヶ谷の地価が坪約2千万円、連盟ほど広い土地なら2千5百万円でも売れるって言ってたよ」これは私。

「これを地上げ屋に売って、将棋会館を富士の裾野1万坪に移転するって案はどお?」「300坪として75億!ヒェー、今度はボーナスの税金を心配しなくちゃならない」「そうか、武者さんはこの計算をしてたのであの竜王戦で二手指ししちゃったんだ」

 思わぬ方向に飛び火してしまった。賞金額が最も高いあの竜王戦で、室岡五段を相手に二手指しの反則を犯したのだ。

(以下略)

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「お茶を飲みに行く」が、将棋界で今でも麻雀のことを意味しているのかどうかはわからないが、死語になっている可能性も高いと思う。

以前は千駄ヶ谷にも昭和風な喫茶店があったが、現在はコーヒーチェーンが出している店舗だけになっている。

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「谷文晁の渓色功明ほか貴重な美術品が、飾るに飾れず倉庫に眠っているって、武者さん書いていたでしょう」は、この直前の近代将棋で武者野勝巳五段(当時)が書いていたこと。

鑑定額はそれほど大きくならない可能性がある。

将棋会館なんでも鑑定団

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「これを地上げ屋に売って、将棋会館を富士の裾野1万坪に移転するって案はどお?」

時期的にはバブル景気が右肩上がりの頃。

当時よく行っていた銀座のはずれの餃子専門店(土地所有)の女将さんが、坪1億円で地上げにあっていると話していたのを思い出す。

どちらにしても、富士の裾野に将棋会館が移転しなくて良かった。