近代将棋1988年2月号、吉田健さんの「詰将棋鑑賞室」より。
鶴田諸兄氏が亡くなった。昭和62年11月15日。胆道がん。75歳。
ツルタ・モロエなどと改まって呼ぶよりも、私たちには「主幹」で通っていた。
「詰将棋パラダイス」の編集主幹。といっても、実は執筆、編集、校正とも一人芸でこなす雑誌であった。昭和25年の創刊。数年前に病床で力尽きて、後継者に業務を委託するまで、文字通りのワンマン雑誌が続けられた。
個性の強い人格であった。壮年の頃は激しかった。敵も作ったが、信者も多かった。いずれにせよ、詰将棋を愛好する人間に、何らかの意味で影響を与えずにはおかなかった。
それでいて、鶴田諸兄作の詰将棋は一作も無い。見た者がいない。終生、雑誌作りに徹しておられた。おかしな表現だが、まさしく「パラダイスの鬼」であった。「非常持ち出し」の古ぼけたトランクに、ぎっしり詰め込まれた創刊号以来の「詰将棋パラダイス」。
「これがぼくのライフワークだ」という述懐を、しんみり聞いた憶えがある。
何だか、一つの時代が終わったような気がする。詰将棋界はマスコミに乗って、一層の繁栄を見せつつあるが、やはり何かが終わった。
謹んで、ご冥福を祈りたい。
(以下略)
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「個性の強い人格であった。壮年の頃は激しかった。敵も作ったが、信者も多かった」
このような強烈な個性だったからこそ、「詰将棋パラダイス」を創刊し、なおかつ永続的に刊行できたのだと思う。
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「それでいて、鶴田諸兄作の詰将棋は一作も無い。見た者がいない」
このようなところも、不思議で面白いところ。
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鶴田諸兄さんについては、門脇芳雄さんが書かれている。
写真を見ると、八王子将棋センター席主だった八木下征男さんに少し似た顔立ちのような感じがする。