佐藤康光四段(当時)「ついに来たか、という感じで角落ち戦の依頼が編集部より来ました。本当の所やりたくありませんでした」

将棋世界1987年10月号、佐藤康光四段(当時)の「A級VS新鋭四段・角落戦自戦記〔対 内藤國雄九段〕「落ち着いて指せた一局」より。

将棋世界同じ号のグラビアより。

 ついに来たか、という感じで角落ち戦の依頼が編集部より来ました。本当の所やりたくありませんでした。理由はいろいろありますが、

  1. 角落ち戦の下手はアマチュア時代以来指していない。
  2. 負けた時は、良い試練になるかもしれないが、それ以上に精神的ダメージが大きいと考える。
  3. 今、ちょうど同じ将棋世界誌で羽生四段がタイトル保持者をビシビシ負かしている。

 などです。

 しかし、流れに流され易い?性格が災いして、引き受けてしまいました。

 引き受けたからには全力を尽くそうと思い、大阪に向かいましたが、この日はなぜか体調が悪く、この日の前に旅行に行っていたので旅行ボケもしていないかという不安もあり、最悪といっても良い状態でこの対局に臨むことになってしまいました。

(中略)

 僕は奨励会時代から、振り飛車をほとんど指したことがありません。だから、角落ち戦も、平手と同じように居飛車で指すつもりでした。早めに△8五歩と突かれたので、振り飛車もちらっと考えましたが、不安なのでやめました。

 今月までのこの角落ち戦の下手の戦型は、矢倉が5局、振り飛車が3局、急戦矢倉が1局、と矢倉が多いようです。

 僕も、矢倉にしましたが、ただ本局の内藤九段の陣形は、攻撃を重視した積極的な形なので、下手が受けの展開になりそうだと思っていました。

(中略)

 最後▲3一金で内藤先生は「ちょうどか」と言って投了されました。

 本局は、中盤で負けにしたかな、と思ったことが何度もありました。

 しかし、悪いと思っていた所でも、後になって考えてみると、そんなに悪くないようです。

 やはり、角落ちというハンディは僕の想像以上に大きいようです。

 ただ、内容的に受け身になったことと、万全の体調で臨めなかったのが、今残念に思っていることです。

 でも、その分落ち着いて指せました。

 とにかく、今は勝ててホッとしています。

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将棋世界1987年10月号、内藤國雄九段のA級棋士VS新鋭四段角落戦に寄せて「時代に逆行する企画」より。

 この企画がでたときにまず最初に感じたのは、時代に逆行するというか、無理だなということ。

 新進四段の実力向上がいわれている時代に角落ちというのはどうもね。果たして上手が内容も大差で負かされているでしょう。極端な言い方をすれば、上手と下手を逆にしてもこうは見事に勝てないという将棋もあったのでは。

 私の場合は、負かされるとは思ったが、まったく自信がなかった訳ではなく、矛盾するようだが大駒一枚の棋力の開きがあっても、平手で指して強いほうが負ける、というのが結構あるのが将棋であり、だから一枚落としてもこちらがていねいに指し、相手に少しの油断があれば上手が勝つこともありうると考えていた。

(中略)

 佐藤君とは初めて対戦したんだけれどもバランスがとれていて、反撃に転じるタイミングにうまさがあり、評判通りの強さだったね。

 将来の名人候補にあげられるだけのことはあると思った。

将棋世界同じ号のグラビアより。

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「A級VS新鋭四段・角落戦」は将棋世界1987年1月号から、「新人賞・羽生、タイトルホルダーに挑戦」は将棋世界1987年6月号から始まった企画。

羽生善治四段(当時)と同じ新鋭四段でありながら、A級棋士と角落ち下手で戦わなければならない佐藤康光四段(当時)の気持ちはとてもよくわかる。

新卒で第一志望の会社に入社できたのに、ライバルの羽生社員は仕事で早々に米国出張、かたや自分は新入社員振り返り研修で会社の研修施設にいる、というような雰囲気か。

そのような状況でも、あるいはそのような状況だからこそ、全力を尽くす佐藤社員。

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「この企画がでたときにまず最初に感じたのは、時代に逆行するというか、無理だなということ。新進四段の実力向上がいわれている時代に角落ちというのはどうもね」「極端な言い方をすれば、上手と下手を逆にしてもこうは見事に勝てないという将棋もあったのでは」という内藤國雄九段だが、「平手で指して強いほうが負ける、というのが結構あるのが将棋であり、だから一枚落としてもこちらがていねいに指し、相手に少しの油断があれば上手が勝つこともありうると考えていた」は、さすが勝負師の真骨頂。