大山康晴十五世名人の石田流崩し対抗策

将棋世界1982年5月号、中原誠名人の第31期王将戦〔大山康晴王将-中原誠名人〕第5局自戦記「石田崩しがウラ目」より。

 例によって、居飛車対振飛車の対抗形。

 四間飛車は当然予想された戦法。

 振飛車には左美濃というのが、最近の私の傾向だ。こんどの王将戦も第3局を除いてすべて左美濃で戦った。去年の王位戦あたりから多用しているが、戦法の優秀性を認めているからにほかならない。

 だが本局は、序盤にやや趣向をこらした。変化を求めたといってもいい。▲7八銀がそれだ。第1局でも▲6八銀という手を考えたが、そのときは考えただけにとどまった。▲7八銀は玉の囲いをあとまわしにし、左翼の盛り上がりを意図している。

1図以下の指し手
△3五歩▲6八玉△3二飛▲7七玉△7二銀▲8七玉△6二玉▲2五歩△3四飛▲4六歩△7一玉▲4七銀△1四歩(2図)

 ▲8六歩と突いた時点では次に▲8七銀から▲7五歩のような手をねらっていたが、△3五歩をみて気が変わった。△6二玉なら▲8七銀と上がったろう。△3五歩は、▲8七銀なら、場合によっては「△6二玉を見合わせる」という大山王将の感想があった。

 私は▲6八玉から▲7七玉と上がった。△4五歩なら▲8七玉と寄ってなんでもない。本譜の進行は▲8六歩の一手にムダがなく、むしろ得した感さえある。

 後手が△6二玉と移動してはじめて▲2五歩と突いた。石田流がもしいやなら、△3五歩と突かれたところで、▲2五歩を決めればいい。それはそれで別の将棋だ。

 石田崩しにはある程度自信を持っていたので、私はむしろ歓迎している。

 結果的には左美濃になった。

2図以下の指し手
▲5八金右△3三桂▲1六歩△8二玉▲3八飛(途中1図)

 図から4手進んだところで昼食休憩。

 ▲3八飛がねらいの一手。

途中1図以下の指し手
△1三角▲1五歩△同歩▲3六歩(途中2図)

 <▲4七銀-▲3八飛>+<△3四飛-△3三桂>の形だけいえば、48年の王座戦、対大野九段戦や、今期王将リーグ、対森安八段戦で経験がある。密かにねらっていた順だ。

 大山王将は△1三角とのぞいた。△2五桂なら▲4五歩といくつもりだったが、これも難しい変化になる。

 私は▲1五歩と突き捨て、▲3六歩と突き出した。対大野戦はこの形で後手が居玉だったから大成功をおさめたが、そんなことを思い出し、内心シメタ、うまくいくんじゃないか、などと思ったりもした。

途中2図以下の指し手
△1四飛▲3五歩△3二金(3図)

 大長考の末、△1四飛。局後、大山王将は「ここが一番つらかった」と語った。

 この手で△3六同歩なら▲1五香と走り、△1四歩に▲3五歩△同飛▲3六銀と出、△6五飛▲1四香(A図)で先手十分。

 A図以下△2二角と引けば、▲1一香成△同角▲6六香がある。

 また△1四飛で△2五桂なら▲3五歩△同角(△同飛は▲同飛△同角▲3三飛の角銀両取りで先手勝勢)▲3六飛(B図)と浮き、次に▲4五歩と▲2六歩をみて、先手十分指せるというヨミ。

 △1四飛はありがたいとは思ったが、指されてみると実にいい辛抱であった。

 ▲3五歩に△3二金は当然。

3図以下の指し手
▲3四歩△同銀▲4四角△4五歩▲3五歩△3七歩▲同飛△4六歩▲同銀△4五銀(4図)

 3図では先手有利である。

 私は長考の末、▲3四歩と突き出した。決めにいった感じだが、これがよくなかった。優勢を意識しすぎたきらいがある。

 別段焦っていたつもりはないのだが、どこかに焦りがあったことも否定できない。大局を見る眼がちょっと曇っていたのも事実だ。

 ここは▲3六銀ぐらいで十分だった。

 それもちらっと考えたが、59分の長考中、読みの大半は▲3四歩と▲4五歩に絞られていた。▲3四歩で▲4五歩は、△同歩▲4四歩のとき、△同銀と取る手があるので驚いた。▲3四歩と突くと△4六歩(C図)と突き返される。

 銀の取り合いは再び△4六歩とたたかれるのでとても指しきれない。藪をつついて蛇を出す感がある。

 △3四同銀に▲4四角で一日目が終了。

 大山王将の封じ手は△4五歩。

 この合わせ歩を少し軽視していた。角成りを受けてくれるものとばかり思っていたのだ。△4三金なら▲7七角、または▲2六角、どちらでも先手が指せる。

 私は再び長考で、▲3五歩と打った。突き捨てたばかりで元の位置に歩を打つのは少し変調だが、ゆっくり指そうという読み筋であった。

 ▲4五同歩とあいさつするのは、△同銀▲3三角成△同金▲同飛成△2二角打▲2三竜△9九角成(D図)とされてつまらない。

 D図で▲1四竜と飛車を取れば、△2二角引がぴったりだ。

 大山王将の△3七歩が好手。続いて△4六歩も気合の充実した一手。▲4六同銀で▲3六銀とかわすのは、△4五銀▲5三角成のとき、△3一角とぶつけられ、▲同馬△同金となるが、先手の得はほとんどないといっていいだろう。

4図以下の指し手
▲3三角成△4六銀▲3二馬△3七銀成▲同桂△3五角▲3六歩△4四角▲5五銀△2六角▲2七金△4四角▲4三歩(5図)

 自信があって角を切ったわけではない。容易じゃないと思いながら、▲3三角成を決断した。が、ここは、いったん▲5五角と引き、△5四歩と突かせてから▲3三角成もあった。微妙なところである。

 △3三同金ならもちろん▲4五銀。後手は△4六銀と取り、勢い▲3二馬△3七銀成▲同桂となった。二枚替えで悪いはずはないのだが、先手有利とも言い難い。△3五角と出られて思わず長考となった。

 1時間あまり考えたところで二日目の昼食休憩となり、再開後も念を入れ、ようよう▲3六歩と打った。このままだと△3九飛と打たれる筋が早い。(△6九飛成▲同銀△7九角成)角のいちを変えたいのだ。

 △2六角なら▲4八金打の読みであった。

 いったん△4四角と引き、▲5五銀と使わせてから△2六角が巧妙。もっとも▲5五銀では▲5五桂もあった。

 次に▲1五香△同飛▲4三馬が一つのねらい筋となる。あるいはこの方がよかったかもしれない。

 ▲4三歩で▲4五桂は、△4九飛とおろされて自信が持てない。ここではつらい局面といえるだろう。

5図以下の指し手
△9五歩▲同歩△9八歩▲同玉△2九飛▲8八玉△2七飛成▲4四銀△同飛▲5五角△4九飛成▲4二歩成△2九竜上(6図)

 大山王将の端攻めが素晴らしい大局観。

 △2九飛なら▲4二歩成△2七飛成▲4四銀△同飛▲4五歩△1四飛▲4三馬で勝負になると思っていた。

 △9五歩がとにかく凄い手だ。まさか手抜きもできない。▲同歩に△9八歩が鋭い。▲同香は△9九銀でしびれる。

 飛打ちを防いで▲7九金なら△2九飛、▲7七銀も同じだ。▲8八桂と穴埋めするよりないが、駒を使ってくれれば銀打ちが悪手にはならない。やはり△2九飛と打って後手がよい。

 で、▲9八同玉。△2九飛に▲8八玉もしかたがない。急いで▲4二歩成は、△9六銀▲7九桂△2七飛成▲8八玉△9七歩と打たれて先手が悪い。桂馬を使わされると楽しみがないのだ。

 封じ手以降、だんだん苦しくなっていたが、△4四同飛の場面が唯一のチャンスだった。▲5五角が敗着に近い。

(以下略)

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ここまで中原誠名人の3勝1敗。

しかし、この七番勝負は大山康晴王将が4勝3敗で防衛を果たしてしまう。

形勢判断のあやまりも敗因の一つ。

3図、いいと思ったものが、思ったほど良くはなかったと中原名人は後に述べている。

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▲4七銀-▲3八飛~▲1五歩~▲3六歩の石田流崩しは、中原名人が1973年の王座戦三番勝負第2局、対 大野源一八段(当時)戦で初めて指した手順。

石田流の悲劇(後編)

この時は石田流側がまだ居玉の段階での急戦ということで、破壊力は抜群だった。

しかし、石田流側がきちんと美濃囲いに入っている時には、同じような話にはならないというのが本局。

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途中2図からの△1四飛が、これぞ大山流という一手。

このような手もあったのか、と感心させられる。

以下▲3五歩△3二金(3図)と進んで、本譜は▲3四歩から先手が変調になったが、中原名人が書いている通り▲3四歩ではなく▲3六銀なら、これはこれで一局だったのだろう。

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しかし、3図から▲3六銀とされて、石田流側は動きづらい辛抱の局面。

大山康晴十六世名人だから指しこなせる展開であり、私のような「忍」とは縁遠い人間にとっては局面を維持できない可能性が高い。

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ここ2~3年は少なくなったが、以前は石田流本組に対して、▲4七銀-▲3八飛~▲1五歩~▲3六歩で攻めてくる方が結構いた。

今度、この順で攻められたら、一度は途中2図のような局面から△1四飛と指してみて、どれほどの苦難が待っているのか試してみたいと思う。