中原誠名人に圧勝した羽生善治四段(当時)

将棋世界1987年10月号、鈴木宏彦さんの「新人賞・羽生、タイトルホルダーに挑戦・最終局〔羽生善治四段-中原誠名人〕観戦記「羽生、名人も吹っとばして終了!」より。

将棋世界同じ号のグラビアより。撮影は中野英伴さん。

「負けました」

 午後3時32分、中原名人が投了を告げた。手数91手、目前には図の局面があった。羽生の圧勝、名人の惨敗である。

「銀逃げなくちゃいけなかったかね。しかし悪いね。桂得くらいじゃ合わないんだ。結構、大変かとも思ったけど…。▲2二歩の利かし、大きかったね」

 動揺を見せまいとするのか、名人の口から次々と言葉が出る。羽生は別に変わった様子もなく「ええ」とか「そうですね」とか適当に合わせている。まったくたまげた少年だ。

(中略)

「新人賞・羽生、タイトルホルダーに挑戦!」この企画は6月号から始まった。

 羽生の挑戦を受ける上位陣は、中村、桐山、高橋、福崎、中原の5人。米長と谷川の名前が入っていないのが残念だが、企画スタート時点でタイトルを持っていないのだから仕方ない。とにかく現在選びうる最高の上位陣である。

 編集部では当初、羽生が1勝でもしてくれればいいと考えていたそうだ。ずいぶん弱気なものだが、まあそれが常識的な見方ともいえるだろう。しかし、羽生はそんな編集部の予想をあざ笑うかのように勝ちまくった。羽生の実力は過去の常識でとらえられるようなものではなかったのだ。

 それにしてもプロ棋士になって、まだ2年足らずの少年がタイトルホルダーに対し4勝1敗とは、快挙を通り越して事件である。

 不思議なのは、これだけのことが起こりながら、棋士仲間やマスコミの反応がまったく冷静なことだが、これはみんな羽生がタイトルホルダーに勝つことなど当然と思っているためか、それとも本誌の宣伝や演出がよほど下手なためか、そのどちらかだろう。

 この対局の前、河口俊彦六段と話した時、河口六段は「負けた方が傷つかぬ対局など面白くない」ということをおっしゃっていた。「オレならこの勝負、一番手直りの指し込みでやらせたかった」というのが河口六段の説である。そこまではやれぬとしても、勝った方には幾らかの賞金を出すとか、そのくらいのことがあってもよかったと思う。中原-羽生という注目の対決にカメラマンが一人しか来ないというのは寂しかった。

 とまあ、そんなことには関係なく、羽生は名人に勝った。王将にも棋聖にも十段にも王座にも勝った。タイトルホルダーに五番勝負で4勝1敗。この数字、公式記録には残らぬが、羽生の棋士人生には大きな勲章として残ることだろう。何年か先、羽生がタイトル戦のひのき舞台を踏んだ時、この勲章は必ず物を言ってくるに違いない。

(中略)

 この羽生-中原戦が行われる前、羽生が福崎に勝って五番勝負を3勝1敗とした時に、それまでの4人と二上九段(羽生の師匠)に話を伺った。質問の内容は①に羽生将棋をどう見るか、②に中原-羽生戦の予想である。

中村「先日、三重の将棋祭りで彼と指しましてね、3度目の対戦で初めてゆるめてもらいまして非常に嬉しかった。若いせいか、とにかく攻守ともに非常にしつこい将棋ですよね。もうタイトルホルダーと互角?それはどうかなあ。対等の立場でやればまた違ってくるかもしれません。ボクだって王将戦でやる時は勝ちますよ。まあ、今年は挑戦してこれないから安心してそう言える(笑)。五番勝負は最初から羽生君の3勝2敗と予想してたから最終戦は名人の勝ち。ただ上位で勝つ人の予想を間違えました」

桐山「ボクは一方的にやられましたからあまり言うことも…。まあ攻めはきついし素質は大したもんですよ。対局態度は静かで落ち着いていて、谷川さんの若いころと似てますね。中原-羽生戦ですか。一番勝負だから分からんけど、常識的には名人の勝ちでしょう」

高橋「羽生君のことですか?出場させてもらってこんなこと言うのはなんだけど、羽生君、羽生君と周りがちやほやしすぎだと思う。同じ将棋世界で羽生君はタイトルホルダーと指してるけど、他の四段はA級に”角”落とされて指したりしているでしょう。あれじゃ他の四段が気の毒ですよ。ボクだってやらしてもらえるものならA級と十番勝負でも二十番勝負でもやりたい。今は周りが意識的に羽生君を強くしているような気がしますね。別に羽生君本人が悪いわけじゃありませんけど。羽生君の将棋?一番指しただけで人を評するようなことはできません」

福崎「完璧に指されて負けたという印象しかありませんわ。堂々としててなんとなく近よりがたい気品はかつての谷川さんと似てるような気がします。とにかくこれだけの結果見せられたら何も言えませんわ。中原-羽生戦ですか?そりゃどっちが勝ってもおかしくないんじゃないですか」

二上「(3勝1敗という結果は)夢中になってやってますからね。持ち時間とか勢いとか、相手がやりにくいとか、勝負についている面がありますよ。中原さんの四段時代と羽生君の今を比べると、棋風の違いもあるだろうけど、中原さんの方が内容的に安定していました。羽生君の将棋はまだ荒っぽいし無理も感じます。しかしいずれにしても5年か10年に一人という存在ではあると思いますね。奨励会時代に2局指したけど、急所での手の見え方は昔から抜群だった。今のクラスをうまく抜ければ、あとはトントン行くでしょう。最終局は中原さんも複雑な心境でしょうね。一度、鳥取でやられているし『今度はお父さんも強いというところを見せてやろう』と思っているはずですよ。しかし勝負はどうかな、羽生君が勝つ可能性も十分ある、そんな気がしますね」

 4人の対局者、そして師匠の二上九段、各人各様の反応である。中でも高橋王位の意見には、なるほどそういう見方もあるのかと感心した。そういえばこの対局の数日前、羽生がライバルと認めている佐藤康光四段が編集部から、角落ち戦の対局を依頼され「角落ちですか?」と露骨にイヤそうな顔をしていたのを思い出す。佐藤四段の気持ちは確かによく分かる。

 しかし、筆者だってそうだが、周りの人間だって、羽生四段だけを特別扱いして強くしてやろうなんて気持ちは持っていないはずだ。確かにマスコミはいつだって新しいヒーローの出現を待ち望んでいるが、それは羽生四段でなくとも、村山四段だって佐藤四段だって誰でも構わないのである。ただ、今現在は現実に羽生四段が抜群の成績を上げているからそれに注目するのが当然、というだけのことなのである。

(中略)

 中原名人は昭和40年、18歳で四段になったが、41年の順位戦初参加以来、ノンストップでA級入りという快記録を持っている。名人の四段時代の成績は39勝9敗(.813)。以下五段時代47勝8敗(.855),六段時代43勝12敗(.782)と続く。抜群に強い新鋭だったことは言うまでもない。(羽生のこの時点での通算成績は62勝18敗、勝率.775)

 この対局の前、中原名人にも羽生将棋に対する感想を伺っている。

中原「羽生君には一度お好みでやられてますからね。今度はしっかり指しますよ。もちろん強いことは間違いない。同じ16歳の時を比べたらボクより強いね。しかし四段の頃なら同じくらいでしょう。ボクはすぐ昇段したし、やっぱり順位戦が急所だからね。タイトル?いずれ当然取るでしょう。しかし、やはり八段になってからが本当の勝負ですよ」

「順位戦が急所」「八段になってからが勝負」この二つの言葉は、そっくりそのまま若手のタイトルホルダー達にも向けられているような気がする。

 名人は羽生の才能と力を認めた上で、「早く同じ土俵に上がって来い」と言っているわけだ。

 名人の作戦は中飛車。振り飛車もたまにやる名人だが、中ではこの中飛車が圧倒的に多い。近いところでは昨年暮の王将戦挑戦者決定戦(塚田泰明七段戦)でもこれをやっている。血気にはやる若手用の作戦なのだろうか。

1図以下の指し手
▲5七金△9四歩▲9六歩△8二玉▲4六金△3二飛▲5五歩△同歩▲同金△5四歩▲5六金△7二金▲4六歩△4二飛▲5七銀右△6四歩▲7九金△3二金(2図)

 中原ファンの読者なら、15年前の中原新名人誕生の一局が中原名人の中飛車だったことはご存知だろう。あの時、先手の大山名人が採った作戦が4六金戦法。その4六金戦法を大山より47歳も若い羽生が使って、今また中原名人に向かっていく、まさに”時代は巡る”である。

 4六金戦法に対する中飛車の指し方はいろいろあるが、名人の選んだのは恐らく一番穏やかな順。

(中略)

 中原名人・39歳。羽生四段・16歳。この年齢差について名人は「さすがにちょっとやりにくい」と言っている。名人の長男の淳一君はちょっとした子供将棋大会に出るほどの将棋ファンだが、実は羽生四段は小学校5年生の時にある将棋大会に出て、淳一君と対戦したという経歴を持っている。名人から見れば、息子さんのライバルだった少年が、たった6年後には自分の対戦相手として名乗りを上げてきたことになる。確かにあまりいい気持ちはしないだろう。

2図以下の指し手
▲1六歩△1四歩▲3七桂△4一飛▲6六銀△6三銀▲4五歩(3図)

 ▲3七桂に△4一飛と満を持され、これで先手からは仕掛けがない。いきなり▲4五歩は△同歩▲3三角成△同桂で攻めにも何にもならない。

 仕掛けが無理とすれば急戦調に構えた先手が困るはずなのだが、羽生は昼食休憩をはさむ13分の長考(急所で休憩にする要領のよさ!)で、不思議な順をひねり出した。まず▲6六銀でわざわざ自分の角道を止め、それから▲4五歩と仕掛けて行ったのだ。▲6六銀の意味は、あとで分かってくる。

3図以下の指し手
△同歩▲同桂△4四角▲5五歩△6二角▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲2七飛△4四歩(4図)

 △4五同歩に▲同桂!この上なく単純だが、度胸のいる攻め方である。この桂を跳んでしまうと、先手は遅かれ早かれ桂損になる。その桂損を、4筋5筋に厚みを築くことによってカバーしようというのが羽生の構想なのだ。

 ▲4五同桂に名人が△4二角でなく△4四角としたのは、本譜のように角を△6二角と引くため。△6二角に▲5四歩なら△同銀左として、これは振り飛車の理想的なさばけ形だ。

 ここで羽生がどうするかと見ているとなんと、じっと飛車先の歩交換である。

 △4四歩の桂殺しが見えている局面で飛車先の歩交換とは、さすがの名人も「驚いた」そうである。が、羽生の主張は「△4四歩と打たせれば後手の飛車先も重くなるから、そこで攻めて行けると思った。▲2四歩以下は最も有効な一手パス」となる。

 結果的に見て、ここで飛車先の歩を交換したのは絶好の順になった。局面はここから、羽生の思い描いていた通りの展開になる。

4図以下の指し手
▲5四歩△同銀左▲5五銀△4三銀▲5四歩△5二歩▲2二歩△同金▲6六歩(5図)

 4図から、名人がなかなか桂を取らないのを不思議に思う方もいらっしゃるだろう。が、後手としても4五の桂はそう気楽には取れないのである。

 ▲5四歩にすぐ△4五歩なら先手はじっと▲5五銀と出て、次に▲4四歩△5四銀左▲同銀△同銀▲4三銀を狙う。これが意外にうるさいのだ。羽生が▲4五歩と仕掛ける前に▲6六銀と上がったのは、他でもない、この▲5五銀を狙っていたのである。

 名人は▲5四歩に△同銀左と応じ、▲5五銀にも△4三銀とかわして、徹底して受けに回る。▲5四歩に△5二歩と受けたところでは、名人は「まだ十分楽しみがある」と思っていたそうである。

 だが、ここではすでに羽生の攻めが手になっていた。▲2二歩△同金▲6六歩。これがまた絶妙のコンビネーション。

5図以下の指し手
△5四銀右▲6五歩△同歩▲6四歩△5一角▲7七桂△4五銀▲同金△同歩▲6五桂(6図)

 ▲6六歩は後手陣の急所を突いた。この筋を攻められると、後手は6二の角がお荷物になってくるのである。

 5図で△4五歩なら▲6五歩△同歩▲6四歩△7四銀▲7五歩△8五銀▲6五金で先手がいい。

 △5四銀右は攻めてくる相手に駒を渡す手で、できればやりたくないのだが、事ここに至っては後手も攻め合わなければジリ貧になってしまう。

 ▲6四歩に△5一角としたのはつらい手だが△6二歩の受けを作った意味。羽生はここで▲7七桂とじっと力をためる。名人は△4五銀でようやく桂得を果たしたが、▲6五桂とさばかれ、自陣の悪形は覆うべくもない。

6図以下の指し手
△6二歩▲4四歩△同銀▲同銀△5六金▲8九玉△6六桂▲5七銀打(7図)

「将棋も強いが、精神力もけた違い」。この日の羽生の対局姿を見ていて、改めてそう思った。対局中、名人を前にして萎縮するとかとか、そんな様子はてんでないのである。

 一手指すたびに相手をにらみつけるクセはいつも通りだし、あぐらもかく。下を向いて隠しながらだけど、あくびすらする。ライバルで友人の佐藤四段や森内四段らと研究会で対局している時と全く様子が変わらないのだ。

 日本人は本来、プレッシャーには弱い人種のはずなのだが、羽生の世代はもう人種が違う。そんな気さえしてくる。

 △6二歩に▲4四歩。△3二銀と引けば▲5四銀△3三角▲6三銀打△6一金▲5七飛で先手勝勢。名人は△4四同銀と歩を取り▲同銀に△5六金と打って最後の望みをつなぐ。

 だが、羽生の反応の鋭いこと!すごい駒音を立てて▲8九玉と早逃げし、名人の△6六桂にまたもすごい駒音で▲5七銀と打つ。銀を打った羽生、名人の顔を何度もにらむ。5回、6回、7回、8回…。

7図以下の指し手
△同金▲同飛△2四角▲5二飛成△4四飛▲6三歩成△同歩▲6六角(投了図)  
 まで、91手で羽生四段の勝ち。

 7図は羽生のハードパンチが名人のあごにクリーンヒットした図である。名人は14分考えたが、結局何も手はなかった。

 △5七同金▲同飛と進み、これで次の▲5二飛成が必至である。4図の1手前、▲2七飛と引いた手がこんな形で生きてくるのだから恐ろしいものである。もちろん羽生だってこんなところまで呼んでいるはずはないが、前に指した手が自然に生きてくるところが、今の羽生の勢いなのだろう。

 ▲6三歩成△同歩に▲6六角と桂を取られたところで名人投了。シーンは冒頭へと続く。

羽生「全5局、あっという間に終わってしまった感じですね。自分では2勝できればいいと思っていたから4勝1敗は完全に予想外。内容的にも全局よく指せて満足しています。自信にも勉強にもなったし、この結果をこれからの公式戦に結びつけたいと思ってます」

 この企画、終わってみれば羽生の強さばかりが目立つという結果になったようである。タイトルホルダー達が雪辱に燃える再戦を今度は是非同じ土俵の上でやってみせてもらいたいと思う。

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それにしても、オーソドックス中飛車党の方が見たら絶望してしまうような羽生善治四段(当時)の勝ち方。

編集部は1勝、羽生四段は2勝できればいいと思っていた「新人賞・羽生、タイトルホルダーに挑戦」、結果は羽生四段の4勝1敗(1敗は対 高橋道雄王位戦)となった。

持ち時間は各2時間の対局。

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「タイトルホルダーに五番勝負で4勝1敗。この数字、公式記録には残らぬが、羽生の棋士人生には大きな勲章として残ることだろう」

たしかに勲章ではあるが、この時点では、その後、羽生四段が七冠、永世七冠、国民栄誉賞、さまざまな記録の更新など、もっと大きな勲章を得ることは、誰も想像をできていなかったわけで、逆に言えば、それほど羽生九段の実績は言葉で言い表せないくらい凄いということになる。

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多くの人が中原-羽生戦のタイトル戦を待ち望んでいたが、残念ながら一度も両者の組み合わせにはならなかった。