中井広恵女流名人(当時)「え?何言ってるの?何のことか分かんない」

将棋世界1989年6月号、炬口勝弘さんの「棋士の女房・お袋さん 中井洋子さん(中井広恵女流名人の母)」より。

将棋世界同じ号のグラビアより。第15期女流名人位戦表彰式にて。撮影は中野英伴さん。

「アッ、今日が名人戦の第一局目でしたか。米長先生もね、五回目のチャレンジで闘志燃やされてるんじゃないですか。うちのお姉ちゃんも五度目だったかな女流王将戦は。

 道新(共催の北海道新聞)さんに悪いんですよね。北海道の一局目っていうのは、必ずいつも勝つんです。でも二局目負けて、その余波で三局目も負けて。だからね、皆んなに一局目は強いけど、二局目は弱くて、とか言って。オジイちゃんなんかも、いつも御先祖さんにお参りするんですが、負けたときはもう、御先祖さんが駄目だとか言って……」

 三冠全制覇なるかどうか。女流名人の母・洋子さん(42)には、たまたま仕事と第十五期女流名人表彰式の出席を兼ねて上京された折、愛娘の新居、埼玉県浦和市のマンションに滞在中のところを訪ねてインタビューに応じてもらった。

 三月末で、四年間住んでいた東京の高田馬場・大正製薬の寮を引き払い転居したばかり。結婚も近いという噂だから、多分ここがスイート・ホームになるのだろう。まだ家具も少ない新築の部屋の壁には、数日前に行われた女流名人表彰式で、中学時代の同級生から贈られた花束がぶら下げられていた。聞けばドライフラワーにするのだとか。

 四月十日の表彰式では母親の洋子さんも挨拶でマイクの前に立った。

「へえー。とても親子と思えない。お姉さんと言ってもいいんじゃない」

 列席の男どもは、皆感嘆の声をあげたものだった。確かに若々しく、明るく聡明、そして美しい母親である。

その日

「たまたま外から私が仕事して帰ってきたら、そうね、六時ちょっと前でしたかね、主人がムッとした顔してるんですよね。それで、どうしたの?負けたの?って聞いたら、負けた、って。連盟に電話かけたの?って言ったらかけたっていうんですよね。

 主人が出かけちゃった後に、もう新聞社とか親戚関係とか将棋道場の人たちとか、みんなから電話きましてね、スイマセン、実は負けまして、ホント、また来年も頑張るように言いますので、ホントに申し訳ございませんとか、それこそみんなに謝りましてね。でまあ一時間ぐらいはボーとしてましたけども、そのうち仕事して気を紛らわせて、忘れかけてた時に、お姉ちゃんから電話きましてね。

 お姉ちゃん残念だったね、まあ来年もあるし、めげずに一生懸命頑張って来年取りなさいよって。そしたら、え?何言ってるの?何のことか分かんない。それでも、まあ頑張んなさいよ、って言ったら、お姉ちゃんが、ええ?私勝ったわよ。 そう?だってお父さん連盟に電話したら負けたって言ってたよ。  誰にかけたの?まさか連盟の人、間違って教えるわけないでしょう。じゃお父さん面倒臭くってそう言ったのかね。ホントにもう、本人が勝ったって言うんだから間違いない!って。

 それから、改めて連盟に電話かけて、どちらが勝ちましたか?中井勝ちです、その聞いて納得しましてね。じゃ勝ったんだ。それからが大変、また皆んなに電話のかけ直しですよ。

 主人のところにも電話しましてね、お父さん広恵勝ったって言ってきてるけど誰に負けたって聞いたの?連盟の人もいい加減だね、って言ったらオレ、電話してないもん。じゃなんで負けたって言ったの? いやもうそうでも思わなかったら、そのなんとも……って。

 なまじ私は将棋を知らないばかりに、そんなに気にしないんですけどね、主人の方はもう長引いて、こんなに長い将棋はあまりないんで、おそらくもう負けたんだろうと、自分自身に納得させたわけなんですね。それを人に言わなければいいのに。まあまあエライ目にあいました」

 第十五期女流名人戦で、中井の名人奪還なった夜の、郷里・稚内の様子がありありと浮かんでくる。嬉しい誤解ではあったが、やはり勝負師の親というのは、子供の勝ち負けに一喜一憂せざるを得ない。大変である。

母さんが勝った

 稚内市は北海道最北端、宗谷海峡に面する我が国最北の都市。人口五万、北海道一の水揚げを誇る北方漁業基地だ。

 先祖代々から薬局を営む中井家。かつて父親の義直さん(46)に貰った名刺には「カブトヤ薬品」取締役社長とあったから、夫人はさしずめ副社長か??入植はヒヒ祖父の代に奈良からという。祖父母も、やはり市内の別のところで薬局を営んでいる。

 広恵女流名人は、完全な道産子だ。三人姉妹の長女。次女の知恵さんは現在、高三(17)。三女の恵さんは高二(16)。19、17、16とほとんど年子の三人姉妹だ。

「広恵が五歳ぐらいのとき、たまたまお父さんが将棋始めましてね。初段ぐらいでしたかね。それで相手が欲しくて(男の子がいなかったから―と側から女流プ口名人。以下カッコ内は広恵名人談)。

 初めは回り将棋とか、将棋崩し、山崩しって言うんですか、そういうのから始めて。そのうち動かし方とか紙に書いて壁に貼って、見ながら広恵は指してました。一時は私の方が勝ったんですよね。小学校一年ぐらいのときは、お母さんの方が勝ったんだよね(……返事なし)ねえ(ウーン)そいで、お父さんが、たまに負けてやらないとヤル気なくするから負けてあげなさいって。お姉ちゃんが聞くから、私もああそうなのか、金はこういうふうに動くのかな、その程度で。それに商売してるし、下にも乳呑児がいましたから、二人して将棋指してたら困るからね。

 小一の時、もう本将棋指してた。でも一時、厭になって、二年か三年のときだったかい?お父さん厳しくてね。もう凄いんですよ。キチンとお座りしないと怒られますし、もう礼儀から大切だといってね、テレビ見ながらとか、もの食べたらダメだとかね、それで二年ぐらいしなかった。

 その後、大会とかに父親にチョチョッと地方の方に連れて行ってもらって、それで将棋をすると地方に連れて行ってもらえるんだっていうんで。札幌とか、旭川とか洞爺とか……(単純だった)小学校五年で小学生名人戦で準優勝した頃は、お父さんの方がいくらか良かったんじゃないですか、今は三段なんですけど、広恵が東京へ来て、名人取った時はもう、全然敵わなくなりましたからね。それでもまだ本気出せば絶対負けないとか言って。でも今は娘が帰って来ると、一万円やるから勝たせてくれとか」

連盟の子

「内弟子に出したことですか。初め師匠の方からお話があった時、まだ早いってことでね、返事はしてなかったんです。小学生でしたしね。長女ということもありましたしね。父親も、そんなに真剣に女流で身を立てるように仕込んだわけじゃないんで……。中学卒業してからでもいいんじゃないかと。でも今だから伸びる要素を持ってる、中学卒業してからだと、まだ伸びるでしょうが、その頃になると色んなことも覚えてきますし、今望まれているうちに出した方がいいんじゃないかということで。

 私も仕事してますし、お姉ちゃんはワリと放任主義といいますか、あまり子供にはかまってあげられない方でしたのでね。本人もワリと親離れしてる方だし。それに師匠も上手だったんでしょうね。東京へ連れて来ては、いろんなところへ連れて行くもんだから。

 そうなんです。入門前は、父親に怒られると、もう、すぐ師匠のところに電話かけるって、迎えに来てって。夏休みだったかな、とりあえず遊びに来ないかってお誘いがあって親が駄目だっていったら、飛行機の切符送って下さい、なんてね、図々しいんですょね。

 まあ長女でも下に妹がいたからでしょうね。いなかったら出しません。下が男だとかね、そんなんだってもやはり出しません。女の子が二人いたから出したようなもの、それが良かったのかどうかフツーの娘の方がよかったのか。

 もう出て行った時点から家業を継がせることなんか諦めましたからね。広恵はいないものと思わなくては駄目だと。本人も私はカブトヤの娘でなく、将棋連盟の子だとか言ってましたからね、小さいときから(私が言ったワケじゃないでしょう!お父さんが……)お父さんが言ったのか、ああそうか。お小遣いが欲しいって言ったら、将棋連盟から貰え!

 まあ母親としては、やっぱり娘を出した後、ちょうどお姉ちゃんの同級生なんかが、たまに母親と一緒に買物なんかしてるのを見ると、いいなあ、と思いましたよね」

名人を支える人々

「お姉ちゃんは、めったに帰りたいというのはなかったんじゃない?ねえ。帰るのは年に一、二回かな。お正月もホテルでお仕事があったりして帰ってこれない。

 ただ一回、どこかのお仕事で行った為、たまたま熱出して、旅館で一人寝てて、お医者さんに来てもらったんだって電話かかってきた時には、あの時にはなんとなくこうねえ、側にいれば……。心細そうな声出してね、中学一年ぐらいの時だったかい?

 親としては高校へも行かせたかった。でも師匠は行っちゃ駄目だって感じでした。最終的には本人に任せましたが……。師匠にすれば、すぐにまあ名人にもなれたんで、やっぱり正解だと思ってるんじゃないですか。

 小さいときには、稚内の支部の方々に教えていただきましたし、浜森市長さんも一生懸命応援してくれてますしね。皆さんに頭があがりません。

 結婚相手も、お姉ちゃんの場合は、たまたま、ご存知でしょうけど、棋士の方ですからね。あの子も東京へ出て来て、側に誰もいなかったですからね。

 ホントに一生懸命教えていただいたり、お友達たくさん連れてきて実戦不足にならないようしていただいたりね、ここまでこれたのも彼の支えがあったからこそ。我々遠くに離れてるんじゃ、研究しなさい、努力しなさいよって口ではいくらででもそう言えますけどね。感謝してます」

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「オジイちゃんなんかも、いつも御先祖さんにお参りするんですが、負けたときはもう、御先祖さんが駄目だとか言って……」

中井広恵女流六段のお父さんとお祖父さんが、やはり父子ということもあるのだろう、似たキャラクターなのが微笑ましい。

方向性は異なるものの、お母さんも面白いキャラクターだと思う。

棋士あるいは女流棋士の家族は、このように勝敗を気にかけていることがわかる。

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内藤國雄九段の実家も薬局だった。

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小学生だった中井女流六段の、稚内で行われた上京壮行会で、お父さんは泣いている。

棋士として女性として輝き続けたい

 

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