将棋世界1989年9月号、青島たつひこ(鈴木宏彦)さんの「駒ゴマスクランブル」より。
まず二上-小倉戦。延々189手におよぶ激戦の末、結局二上九段が勝ったのだが、その終盤がとにかくすさまじかった。
午後5時、手数は160手を越え、二上九段の残り1分、小倉四段の残り42分という状況。ここで詰将棋の名手二上九段が詰みを逃し(珍しい)、続いて時間がたっぷりある小倉四段も詰みを逃し(もっと珍しい)、最後の最後ではなんと、小倉四段が詰んでない王様を詰まされてしまったのだ。
(中略)
小倉が投了したとたん、別室のテレビで将棋を見ていた櫛田四段が飛び込んできて「△7五玉なら詰まないじゃない」といったから、「あっ」(二上)「ぎゃっ」(小倉)ということになった。小倉とはポン友の先崎も「時間があるんだからもっと慎重に考えればいいのに……」とかいってあきれ顔。
どうも小倉四段は相手に時間がないことを意識しすぎてミスを重ねてしまったようだ。
そして先崎四段のほうも、となりの熱戦に注目しすぎたため?終盤の急所で粘りをかき、夕食休憩前に投了というさえない展開。
2図。夕食休憩直前、先崎が▲2二成桂と2一からひっぱったところ。
ここではすでに先手の指し切りがはっきりしているが、指そうと思えばまだ10手や20手は指せるだろう。
「夕食休憩の時間になりました」。ここで記録係の声。ハイといって立ち上がりかけたのは青野八段。「あの」といったのは先崎四段。「金立たれたら、投了しますが……」
苦笑いの青野八段、「それじゃ」と△3三金。先崎「負けました」。
「ここで夕食休憩になったんじゃつらすぎますから」と先崎。
あきらめがいいというか、正直というか、この辺りが、「先崎は新人類の中の旧人類」といわれるところなのだろう。もっともその先崎も、後で「あの場合は『このまま指し継ぎませんか』というべきだったですね」なんて反省していたが……。
感想戦がとなりとぴったり同時に終わり、その部屋のメンバーが二上九段に誘われて寿司屋で一杯。ご存知のように二上九段といえば飲みだせば3軒や4軒は当たり前の酒豪である。だが、この日は翌日も朝から仕事があるからと、1軒だけでお開きに。会長職の忙しさはかえって健康のためにはいいんじゃないかと思ったりして……。
(以下略)
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非常に潔い投了。
たしかに、「ここで夕食休憩になったんじゃつらすぎますから」という気持ちは痛いほどわかる。
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先崎四段のケースとは全く違うが、森内俊之四段(当時)は、夕食休憩直前の秒読みの時、敵玉に詰みがあるのにもかかわらず詰まない手を指してしまい、結果的に辛すぎる夕食休憩を迎えている。
→森内俊之四段(当時)「ひどかったす。死にました。もう投げます」
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先崎四段と全く逆のケースもある。
まさしく古き良き時代。
芹沢博文九段の1987年の著書「指しつ刺されつ」より。
私は競輪が好きだ。それを教えてくれたのは花村先生である。随分とご一緒させて頂き、遊んだ。もう今や時効だろうから書くが、鉄火場にも連れて行かれた。私のことが気になるのか成績は、あまりよくなかったようである。
10年ほど前だったか、先生と将棋を指していた。早指しの先生が終盤になって考え始めた。もう大勢は決まっているのに何を今更考える、素人みたいな人だなと思った。
素人は悪くなってから考える、玄人は良くなった時、逃さんぞと考える。
”東海の鬼”と”真剣師”仲間から恐れられてプロ入りした人も、昔のクセが抜けぬのかと思った。
考えた末に端を突いた。少し読んで変におかしくなり、対局中にこんなことはめったにないのであるが、思わず笑いだしてしまった。
そして言った。
「先生、そんな程度ではゴマかされませんよ。私の読みを言います。それが正しかったらすぐ終わりにして、どっかへ遊びに行きましょう。間違っていたら負かしてくれて結構です」
先生は少し考え、
「そうか、読み切られていたか。その通り負けだね。だけど後の勘定は私だよ」
こんなこと、こんな会話、対局中にあるのはまことまれである。花村先生とは同郷という意味もあるが、ともに心を明かしあった仲間かと思う。
(以下略)