近代将棋1989年11月号、読売新聞の山田史生さんの「島か羽生か 第2期竜王戦始まる」より。
島朗竜王への挑戦者を決める第2期竜王戦、トーナメントの決勝三番勝負は、3組優勝・羽生善治五段(10月1日付きで六段に昇段)と、4組優勝の森下卓五段の顔合わせとなり羽生が2局とも苦しい将棋を逆転、2連勝で初のタイトル戦挑戦を決めた。
羽生は昨年度、勝率1位賞(8割)、最多勝利賞(64勝)、最多対局賞(80局)、連勝賞(18連勝)と記録4部門を独占、最優秀棋士賞に輝いたが、タイトル戦登場にはあと一歩届かず、羽生ファンをやきもきさせていた。
ようやくタイトル戦初出場を果たしたといっても、わずかに18歳(9月27日で19歳になった)10代でようやくと感じさせる棋士は空前、あるいは絶後かもしれない。10代の挑戦者は将棋界では初めて。中原誠が棋聖戦五番勝負に出た時は20歳、加藤一二三の名人挑戦も20歳、そして谷川浩司が名人挑戦(獲得)したのが21歳。羽生の天分がいかに優れているか、前途が洋々としているかが分かるだろう。
昨年勝率8割の羽生は、今年度それ以上のペースで飛ばしている(現在28勝4敗)。奇跡の9割の可能性すらある。
羽生は3月までは高校生だっただけに、学業との両立が難しく、肉体的にも大変だったようだが、4月には高校も終え、将棋に集中できるようになった。昨年にまして好調の大きな原因だろう。
また優勝賞金3千万円をはじめとして、対局料や途中賞金の高い竜王戦だが、まだ親元にいて生活の心配が全くない羽生には、対局料の高い安いは関係ない。一局数百万円といってもプレッシャーはなく平常心で戦える。むしろ生活のかかっている年配棋士の方に勝負の重圧感は高く、指し手が伸びないということもあったように思われる。
ところで羽生には弱点はないのだろうか。将棋会館にたむろする棋士たちは「序盤戦がいま一つではないか」と言う。その通り森下との三番勝負では、2局とも中盤まで圧倒されていた。それを終盤にかけてじりじり追い上げ、相手の疑問手もあって追い抜いてしまう。羽生に3連勝している唯一の棋士田中寅彦八段も「序盤から作戦勝ちしていても終盤追いつかれそうになる。よほど途中で大差にしておかないと危い」と言う。
序盤に難があるということは、棋士として未完成であることを示し、まだまだ羽生の力がアップすることをも意味しているわけだ。
挑戦者に決まった直後、羽生は「とてもうれしいけれど、初めてのタイトル戦、不安でもあります」と語った。羽生は学生だったため、タイトル戦の記録係は1回もやっていない。観戦したこともないそうだ。タイトル戦には独特の緊張感あふれた空気、重苦しい雰囲気がある。また2日制の将棋も初めて。
前夜には地元で歓迎会を兼ねた前夜祭などもある。その中心の一人となる羽生は、未知の人ばかりに囲まれ、それなりの応接もしなくてはならない。慣れない空気と、初めての地での行動が、対局に影響するのかどうか。
さて、羽生を迎え討つ島はどうか。昨年だれもが驚いた竜王獲得。自分自身も夢のようです、と語った七番勝負から1年たとうとしているが、その竜王戦以降は惨憺たる成績といっていい。王将戦七番勝負に出たものの、南にストレート負けを喫し、その後も黒星が先行、今年度に入っても7勝8敗と、負け越しでおせじにも好調とはいえない。
しかし考えてみれば、それも当然といえるのではなかろうか。竜王戦その他で年収4千万円を大幅に突破、この金額はこれまでの島の収入の6倍になる。
外車を買い、テレビに出、ファッション雑誌や一般誌にもとりあげられ、一躍寵児となった。竜王はできたばかりのタイトルだけに、自分のためにも、主催紙のためにも、竜王を売り出さねばとの義務感を持っていた。出演などの声がかかれば、ほとんど全てつきあった。
それにこれは名誉なことだが、免状の署名にも加わることになった。慣れぬ手付きで、しかし一枚一枚丁寧に、ぎこちなく筆を運ぶ。
対局では上座につくか、下座につくかでも葛藤があったようだ。私は「竜王の権威のために、相手が先輩であっても上座に座るようにしてほしい」と希望を伝えてあったが、先輩に先に上座に着かれてしまえば、替わってくださいというわけにもいくまい。もやもやした気分のまま対局に臨んだこともあったと推測される。このように落ち着かぬ状態では、将棋の勝率が上がらなくても無理はない。それが1年経過し、竜王としての義務は果たした。今度は防衛に全力をあげるのみ。
NHKの衛星放送で「囲碁将棋ウィークリー」という番組ができたが、ここで島と羽生に七番勝負を前にしての抱負を語ってもらうべく、出演を依頼した。この1年、つきあいのよかった島だが、これをきっぱり断った。七番勝負を直前に控え、集中力が欠けるのを恐れたのだ。羽生の方は、こういうものに出る義務があるのだろうと思って簡単に出演OK。
島は、羽生の300局近い実戦譜のコピーを将棋連盟手合課に依頼したとのことだ。だいたい島は、数年前から研究会(通称島研)を主宰しており、メンバーは羽生、佐藤康五段、森内四段の10代トリオ。島は彼らの才能、そして大成を予測、まだ二段ぐらいのうちから仲間に引き入れ、若い感覚の保持、そして吸収を目的として研究会を開いていたのだ。
そのメンバーである羽生と、これほど早く大舞台で対決することになろうとは、島自身も思っていなかっただろう。しかし、その研究会のおかげで、大器・羽生の手のうち、強さも弱点もわかっている。島研の数年間の成果を、7歳年上の島がどう生かし、どう勝ちにつなげていくか。才気は十分。しかも老獪さすら持ち合わせている島だけに興味深い。
(中略)
単に今年度の成績だけを比べたら羽生有利、勢いからいっても世間的には羽生乗りが多いだろう。しかしそれだけではとてもすみそうにない雰囲気が、島の言葉や行動に見ることができる。
島はタイトル保持者としてこの1年、さまざまな経験をし、人間として明らかに成長したはずだ。また成長していなければおかしい。その成長ぶりを、今回の勝負にどう生かすか。
羽生の抱負も聞こう。「島さんには研究会で教わっており、とてもいい先輩です。後輩に人望もある人です。でも今度は本当の勝負です。挑戦決定から七番勝負まであと1ヵ月ほどあるので、島将棋を改めてじっくり勉強したい。長丁場なので集中力をいかに持続させるかが問題です。島さんは最近昇り調子。竜王戦には仕上げてくるでしょう。ぼくは疲れ気味でしたが、これからさほど忙しくないと思うので、いい将棋が指せるような気がします」
具体的な勝敗予想は、接戦になりそうとしかいえないが、クールに、策をこらさず普段通りに指し進めるであろう羽生に対し、島の羽生対策、趣向が出るのかどうか見ものだ。
(以下略)
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この1年前、近代将棋1989年1月号、武者野勝巳五段(当時)の「プロ棋界最前線」より。
島朗がストレートで米長九段を破り、初の竜王位に就いた。また20代のタイトルホルダーの誕生だが、こう続くともう世間は驚かないようで、話題はやはり優勝賞金の2千6百万円。島君はこの他に予選からの対局料が加算されるからこの棋戦だけで実に3千万円強を稼ぎ出したことになる。
(中略)
今号は他で島君の特集となるだろうから、一つだけ、いかにも島君らしいなあと感じたエピソードをご紹介しよう。
島君の性格は新人類というより、一昔前の呼び名で「現代っ子」というのはピッタリしている感じで、計算が実にしっかりしているのだ。麻雀も好きだが、負けるのは嫌いだから、自分より若くて弱い者しか相手にしない。
その島君の恩師が奨励会級位者の頃からの羽生、森内、佐藤(康)この3人なのである。名人候補と見込んだこの3人を誘い島研究会を結成、このぶつかり稽古を定期的に数年間続けてきた。他の者が入会を申し込んでも「この宝の山は私のものです」とばかり断り続けたというのだから、いかにも島君らしい。
「その研究会で私は指し分け以上を取っています」と胸を張られると、やっぱり島君の作戦勝ちかなあと、笑いを誘われる。
「恩師は奨励会員」これなら10代の強豪からの恩返しの心配をしなくて良いのだった。
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「羽生は3月までは高校生だっただけに、学業との両立が難しく、肉体的にも大変だったようだが、4月には高校も終え、将棋に集中できるようになった。昨年にまして好調の大きな原因だろう」
学校を卒業してから活躍の加速度が上がるケースが多く、代表的な例としては、高校卒業後が中原誠十六世名人と羽生善治九段、大学卒業後が木村一基王位と中村太地七段。
これは、在学中は給与天引きの財形貯蓄をやっているようなもので、卒業後に利息がついてお金が戻ってくるといったイメージなのかもしれない。
あるいは、例えは古いが、在学期間中は大リーグ養成ギブスを身につけている状態か。
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「七番勝負から1年たとうとしているが、その竜王戦以降は惨憺たる成績といっていい」
羽生九段の場合もそうだったが、初タイトルを獲得した後、調子を崩すケースが多い。(もちろん、渡辺明三冠など、例外もある)
山田史生さんが書かれているような理由もあるのだろう。
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「羽生の方は、こういうものに出る義務があるのだろうと思って簡単に出演OK」
羽生九段らしい。
既にこの頃、帝王学が自然と身についていたとも考えることができる。
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「島は彼らの才能、そして大成を予測、まだ二段ぐらいのうちから仲間に引き入れ、若い感覚の保持、そして吸収を目的として研究会を開いていたのだ」と山田さんが、「やっぱり島君の作戦勝ちかなあ」と 武者野勝巳五段(当時)が書いている通り、よくよく考えてみると、島研は、もちろん羽生九段、森内俊之九段、佐藤康光九段にとって若い頃の大きな滋養となっているだろうが、最も大きな効果があったのは島朗九段だったのだと思う。