将棋世界1990年7月号、「私のホリデー」より。
NHKの前の将棋担当ディレクターだった柿栖さん(昭和21年生)の発案で発足したのが「戌年の会」。
「将棋界に亥年生まれが多くいて有名になったことがあったよね。何か威張られているようでおもしろくなかったんだ、いつか見返してやろうってね(笑)。この所、若い棋士に私と同じ戌年生まれが多く出てきたんで、それじゃあ集まる機会を持とうっていうことになったんだ」
とは、戌年の会会長の加藤治郎名誉九段(明治34年生)。
幹事役の小野修一七段(昭和33年生)にお聞きしたところ、
「年1回、将棋大賞表彰式の日に集まりをもとう、ということで、昨年に第1回、今年も4月17日に第2回を開きました。ゆくゆく、この日だけでなく、年に1、2回集まって旅行会とか、何か催しとかやろうと思っています」
今のところメンバーは、棋士および棋界関係者だけとのことで、前述の3人の他に会員を紹介すると、
- 昭和9年生 北村八段、剱持七段、江上茂さん(テレビ東京)
- 昭和21年生 蛸島女流五段、山下女流五段、森九段、勝浦九段、弦巻勝さん(カメラマン)
- 昭和45年生 羽生竜王 先崎四段、森内四段、丸山四段
小野七段によると、催しをやるときは一般の戌年生まれのファンにも声をかけることも考えているとか。
ところで、干支は十二支、戌年だけでなく他の年の会もできないでしょうかねえ。
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加藤治郎名誉九段の「将棋界に亥年生まれが多くいて有名になったことがあったよね。何か威張られているようでおもしろくなかったんだ、いつか見返してやろうってね(笑)。この所、若い棋士に私と同じ戌年生まれが多く出てきたんで、それじゃあ集まる機会を持とうっていうことになったんだ」。
これ以前に「亥年会」があって、大山康晴十五世名人、中原誠十六世名人をはじめとする錚々たる顔ぶれだった。
一緒に旅行をしたりするのがメインだった。ただし、資格は八段以上の棋士。
→大山康晴十五世名人「ずいぶん方々へ旅するけど、自由で気儘な旅をしたことがないね。気のおけない棋士仲間で一年に二度か三度旅をしたいね。何かいい案を考えてよ」
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「戌年の会」は、NHKのそばにあったうなぎ屋「うな将」で行われていた。
加藤治郎名誉九段が亡くなる1996年頃まで続いていたようだ。
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「戌年の会」には、1958年生まれの毎日新聞の山村英樹記者も参加していた。
これを横目で見ていた読売新聞の小田尚英記者(1957年生まれ)は、いつの日か、「酉年の会」を発足させたいと考えていた。
月日は流れて一昨年、佐藤康光九段が「酉年の会」に非常に前向きになり、昨年、「酉年の会」が発足している。
佐藤康光九段も読売の小田さんも、今は休止中の「戌年の会」へ対する対抗心もあったのだと思う。
佐藤康光九段は勝負師として、小田さんは新聞記者として。