先崎学五段(当時)「羽生君に勝ったのはちょっと嬉しかった。羽生君は前にこの棋戦で優勝しているので僕も優勝したい」

将棋世界1991年5月号、中野隆義さんの第40回NHK杯争奪戦決勝〔先崎学五段-南芳一棋王〕観戦記「やったね!先ちゃん」より。

将棋世界同じ号より。撮影は中野英伴さん。

 南は谷川を、先崎は羽生を、と準決勝でともに同世代のライバルをほふっての決勝戦進出だ。

 口八丁手八丁、本業の棋士稼業だけでなく、筆も立つし、酒も博打も強いという棋界の人気者先崎。今日は20歳代前半の代表選手として決勝の舞台に乗りこんできた。

 試合開始前のインタビューで先崎は「羽生君に勝ったのはちょっと嬉しかった。羽生君は前にこの棋戦で優勝しているので僕も優勝したい」と、優勝をはっきり口に出した。先崎としては、しばらく羽生に水をあけられていたのは面白くなかったに違いない。天才・先崎ここに在り、を顕示する絶好のチャンスとあれば燃えるのも当然というところだ。

 一方、寡黙をもって鳴る南は、先崎の景気のいい口上を横に、動じる風もなく静かに対局の開始を待つの態度。しゃべりではかなわないが、将棋が始まればこっちのものと思っていたか。

 記録の藤森奈津子女流二段の振り駒の結果は、南の振り歩先でと金が4枚出て、先崎の先番となった。この瞬間、スタッフの中から「やった」の声。これは先崎を応援しているのではもちろんなく、彼の得意?とする初手のパフォーマンスを期待してのものだ。▲5六歩(対羽生戦)か▲3六歩(前々回の対谷川戦)か、はたまた別の筋の歩を突くか、盤側は固唾を飲んだ。

 先崎はきっぱりとした手付きで初手▲7六歩。なあんだ、と一同肩を落としたけれど、通常の対局ならさほどの興奮もない初手に、ギャラリーを楽しませてくれるのだから、先崎という棋士は貴重な存在だ。

(中略)

 2図は、先崎が▲4五銀と打った手に、南が6三にいた金を△6四金と上がったところだ。

 △6四金は、先手の次の狙いである▲5四銀の突進から身をかわしたもので、それでも▲5四銀なら△5六歩とふんわり先手の進軍を止めてしまう用意がある。以下、▲5三銀成は△3一角と引かれて銀を助けるために▲5四歩と打つ一手では先手おかしいし、といって▲4五銀のバックは情けない上に△7六銀成とされて先手困る。

 第一、▲5四銀と出る手が成立しないのではせっかく投資した4五銀が泣いてしまうことになって、手の流れとしては先手最悪だ。先崎の快進撃もここまでか。と思えた時だ。

「ハアアーッ」

 スタジオの一隅で息を潜めて、盤面に映っているモニター画面を見つめていた記者は、突然聞こえてきた音声に驚いた。顔を上げて音源地を見やると、声の主は先崎だった。軽い咳払い一つはばかられる本番中のスタジオ内で、台本にないこれだけの声を出せるのは、今まで加藤一二三九段の他はありえないと思っていた。

 先崎は、南陣の5四歩をつまみ上げると自陣深くすえてあった5九の飛車をひっつかみ、それを5四の地点にたたきつけた。これには、ものに動じない地蔵流の南もさすがにビックリしたに違いない。突然、何かわめいたと思ったら、お次は一目無理筋と見える飛車切りが飛んで来たのだ。

「これは……。意表の勝負手ですね」と、二上九段もたまげていた。

(中略)

「ずうっと攻められっぱなしで、全然面白くありませんでした」と南。打ち上げの席での本音感想だ。一方の先崎は、「今まで、大した活躍ができなかった頃は、やはり少し辛かった。今回の優勝はほんとに嬉しい」とこれも本音を吐露。

 宴たけなわとなり、お酒も回ってすっかりご機嫌になった先ちゃんは、優勝カップでビールを飲んでみろという無茶苦茶な注文にあっさり乗って、ドクドクと3、4本のビールをついでガボリガボリ。先崎絶好調の晴れ姿につられて、こちらの方もメートルが上がってきた。

 やったね!先ちゃん。これで勲章も取ったし、これからは大手を振って大口が叩けるゼ。

* * * * *

「羽生君は前にこの棋戦で優勝しているので僕も優勝したい」

羽生善治前竜王(当時)がNHK杯戦で優勝したのは、この2年前の1988年度(NHK杯戦での1回目の優勝)。

1989年度は櫛田陽一四段(当時)が優勝している。

* * * * *

2図からの▲5四飛は決して無理筋ではなく、以下△同金▲同銀△1三角▲6四歩△5七飛▲5三金と進み、その後は6四の歩がと金になり、6三→5二→4一→4二→3二と迫っていくことになる。

* * * * *

「優勝カップでビールを飲んでみろという無茶苦茶な注文にあっさり乗って、ドクドクと3、4本のビールをついでガボリガボリ」

NHK杯戦の優勝カップには歴代優勝者の名前が彫られている。(台になっている銀色の部分)

結構な重さだと思うのだが、それに3、4本分のビールが入ったのだから、相当な重さになったはずだ。

カップの重さが気にならないほど、あるいはカップの重さが心地よく感じられるほどの優勝の喜びだったに違いない。

* * * * *

とはいえ、優勝カップは1年間倉庫で眠っていたわけで、表彰式の前に布で拭いていたにしても、細かいホコリなどが入っていたはず。

そのような意味では、カップの衛生状態も気にならないほどの優勝の喜びだった、と言うこともできるだろう。