近代将棋1993年3月号、「竜王を得て三冠に ―竜王戦第7局」より。
解説は羽生善治三冠(当時)、聞き手は永井英明さん。
―大激戦でお疲れになったでしょう。竜王に復活おめでとうございます。
羽生 ありがとうございます。
―3期ぶり、2度目の竜王、史上最年少の三冠王ということですが……。
羽生 二冠はかなりいらっしゃいますが、三冠というのは少ないんですね。
―そう、5人ですか。大山、升田、中原、米長、谷川……。
(駒を並べながら、お話を続ける)
羽生 3手目の▲7八金は珍しいんですが、最初は青野先生が指されたのです(王座戦、対南戦)
―本局と同じような形で指したことはありますか。
羽生 去年、将棋の日の席上対局で、谷川先生と指しています。
―百石町のですか。
羽生 はい。先手側を谷川先生が持ちまして、同じ出だしでした。
(中略)
―竜王戦が年を越したのは初めてでしたね。
羽生 はい。
―この季節はカゼが流行るのですが、いかがでした。
羽生 第1局目のときはひどかったです。12月にはいってから3週間ぐらいカゼにやられて参りました。
―うーん、カゼは強敵ですね。
羽生 それでも疲れが出てきたのは真ん中の第4、5局ぐらいのときです。終わりには元気をとりもどしていました。
(中略)
―対局場の東洋ホテルは昭和61年以来ということですから、羽生さんは初めてでしょう。
羽生 はい。大山先生が好まれたホテルと聞いていました。
―はい。対局もそうですが、大山先生の祝賀会などもよく行われました。ところで、振り駒は気になりますか。先手になったらいいなとか……。
羽生 こんどの竜王戦は不思議と後手番の勝ちが多かったんです。そういうこともあって第7局はどちらでもと思っていました。後手番なら、自分で決めなくてもいい、という気楽さもありますし。
(中略)
―指し掛けの日は何時頃、眠られますか。早すぎると朝、目がさめて困るでしょうし、あまり遅いと眠いでしょうし…。
羽生 11時か12時頃です。一局一局バラバラです。
―谷川さんの場合はタイトル戦が重なって、この竜王戦の第7局のあとも、移動日の1日しかなくて、1月8日には棋聖戦の第3局でした。羽生さんもずいぶん対局過多でしたが、どうやって対策を立てていますか。
羽生 私はタイトル戦のダブルはやっていないんです。うまい具合にタイトル戦が離れていまして。谷川先生は大変ですね。このあとも棋聖戦、王将戦、棋王戦と連続ですから。私もたしかに対局は多いですけれど、何とか消化しています。
―衛星放送をみてましたら、この第7局のあと、
「こんどの対局で、自分の欠点がみえてきた」
と言われてましたが、具体的に”欠点”とは何でしょう。
羽生 ええ、具体的には言えないんですが(笑)、抽象的なものです。何となくわかってきたような…。
―(笑)そうでしょうね。しかし、ますます磨きがかかりそうで頼もしく思いました。さて、9図へ参りましょう。
羽生 谷川先生が△5四桂と打たれたのが直接の敗因になりました。ノータイムだけに惜しいと思いました。
(中略)
―投了図からはたくさん駒がありますから、平凡に王手王手で詰みますね。さて、谷川さんとは引き続き、棋王戦五番勝負が待っっています。どうか、健康に気をつけて頑張ってください。
羽生 ありがとうございます。
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永井英明さんのソフトな語り口、雰囲気がそのまま伝わってくるようなインタビュー。
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東洋ホテルは、ロイヤルホテル(現・リーガロイヤルホテル)、ホテルプラザ(1999年閉業)とともに、大阪のホテル御三家と呼ばれていた。
東洋ホテルは2006年にラマダホテル大阪に改称、2013年に閉業している。
跡地には大型マンションが建設されている。
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「3期ぶり、2度目の竜王、史上最年少の三冠王ということですが」
なるほど、史上最年少の◯冠王という切り口の記録もあるのか。
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「二冠はかなりいらっしゃいますが、三冠というのは少ないんですね」
羽生善治三冠(当時)がこのほぼ3年後に七冠になることを考えると、非常に感慨深く感じられる言葉だ。
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「私はタイトル戦のダブルはやっていないんです」
このような用語もあるのかと、初めて知る。
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「『こんどの対局で、自分の欠点がみえてきた』、と言われてましたが、具体的に”欠点”とは何でしょう」
「ええ、具体的には言えないんですが(笑)、抽象的なものです。何となくわかってきたような…」
抽象的にイメージされる欠点とは、どのようなものなのだろう。
なかなか想像ができない。
少なくとも、数年の間にその欠点を克服したことは間違いなさそうだ。