行方尚史三段(当時)「明日はクリスマスなのに、ここで何やってるんですか」

将棋マガジン1993年3月号、小野修一七段(当時)の第5期竜王戦七番勝負第6局〔羽生善治二冠-谷川浩司竜王〕観戦記「大胆な踏み込み」より。

 本誌3月号が出る頃には、竜王戦第7局の決着がつき、その結果の片隅に埋もれがちな本局、第6局であるが、一つのシリーズの流れには連続性があるもので、それぞれの対局の流れを引き継いだ本局における両対局者の戦型に対する洞察が、最終局における序盤戦の駆け引き、あるいはひょっとしたら結果にまで影響を与えるかもしれない。本局でそこのところを読者の方に汲み取って頂ければ幸いである。

 さて1992年、12月24・25日のクリスマス決戦となった本局。世が世なら女の子と楽しい時を過ごしたのになんて因果は顔にも出さず、羽生王座と関係者は、東京から新幹線で熱海へ向かう。

 車中雑談をしながら自分が四段になりたての頃を思い出す。そういえば十段戦で2局記録を取ったっけ。名担当の山田記者の姿は変わらないけれど、棋戦名が変わり、対局者はいつのまにか谷川-羽生戦になっている。

 私も記録係から副立会に昇格、我ながら偉くなったものだ。これなら冷蔵庫(旅館の)の中の物を全部食べても文句はいわれまい(次の立会がこないかもしれないが)と思っていると突然行方三段が、

「小野先生。明日はクリスマスなのに、30過ぎてここで何やってるんですか」

 立会人やりに行くんだよ。見りゃわかるだろーに。

 将棋界でも最近先輩・後輩の関係はフランクだけども、その点、昔の先輩は偉かった。後輩をよく指導していたものだ。例えばこんな具合である。

 芹沢九段(たいがい酒を飲みながら)「君達から見てダメな先輩だと思ってもな、経験を積んでいるから年の功ってものがあるんだ」

 だから先輩の言うことには耳を傾けろよ、という話。ところがその上の大先輩に聞いたら、芹沢九段はあまり先輩の言うことは聞かなかったそうである。

 森雞二九段「こら記録(私)はちゃんと立会人の言うことを聞きなさい。な、将棋指しっていうとカッコ悪いから、俺カメラマン。君助手ね」

 黙っていたらいつのまにか助手になっている。

「はい君ちょっと向こうの女の子に声を掛けてきなさい。俺はカメラマンだよ、わかってるね」。森さんは昔から面白い。ざっとこんな感じ。先輩は偉いのだ。

 車中そんなこんなで熱海で谷川竜王に合流し、対局場の起雲閣へ向かう。到着は午後5時。

(中略)

 後手番の勝ち星を計算していると、本当のカメラマンの弦巻さんが見えたので本誌編集長とコーヒーラウンジへ。庭園が一望できよい眺め。仲居さんに聞いてみた。

「ここの庭園が3,000坪と書いてありましたがすごいですね」

 仲居さん小声で、

「いえ建物の敷地も入れて3,000坪なんです」

 建物込みだろうと、熱海の高級地でこの敷地の使い方は贅を尽くしている。その広い敷地内で猫が日光浴。

「ウチで飼っているのではないのですが、どこからか入ってきて御客様が餌をお与えになるので居ついてしまいました」

 そういえば先ほど対局者も猫を見てたっけ。

(中略)

 3図の局面、谷川竜王の手番で封じ手。夕食も終わって控え室は麻雀。

 佐瀬八段は牌を握っていれば笑顔で今日も好調。

「きのうは私が強かった。今日は皆が弱かった」とご機嫌。

「フセイン閣下は寝てるのかい」

 どうやら髭をはやしている武者野五段のことらしい。

 支配人の方が「写ルンです」で写真を撮っている。谷川竜王はいつの間にか姿を消す。イブの夜。お電話でもしてるんでしょう。

(中略)

 ▲4三歩成で▲7六銀打なら難しいといっても、△6九馬の着手には諸々の勝負の綾を拒否する迫力があり、この大胆さが後手の勝因。最善手のみが勝負の結果を決める要因でない証明のような結末となった。

 対局後、私の隣の羽生君は割に快活だった。これから400枚の年賀状を書くという。

 団鬼六先生のお声掛りでカラオケで打ち上げ。羽生君が陽水を歌った後、皆でクリスマスメドレーを歌い散会となる。さて振り駒の最終局であるが、先手を握った方が局面をリード出来るかがポイント。

竜王戦第6局。立会人は佐瀬勇次八段(当時)、記録は行方尚史三段(当時)。将棋マガジン同じ号より、撮影は弦巻勝さん。

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この頃は、今に比べるとクリスマスイブに非常に重きが置かれていた時代。

ハロウィンは見る影もなく、クリスマスイブの翌日のクリスマスは、やや気が抜けた感じの日だった。

そういった意味では、行方尚史三段(当時)の「小野先生。明日はクリスマスなのに、30過ぎてここで何やってるんですか」は、対局前日の12月23日に交わされた会話と考えられるので、正確には「明日はクリスマスイブなのに」だったのだと思う。

文字で見るとややキツい言葉に感じられるが、行方九段の話し方を思い浮かべると、とても愛嬌のあるツッコミであることがわかる。

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「きのうは私が強かった。今日は皆が弱かった」

飛ぶ鳥を落とす勢いが感じられる言葉だ。

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「対局後、私の隣の羽生君は割に快活だった。これから400枚の年賀状を書くという」

この第6局は、羽生善治二冠(当時)が敗れている。

「団鬼六先生のお声掛りでカラオケで打ち上げ。羽生君が陽水を歌った後、皆でクリスマスメドレーを歌い散会となる」

団鬼六さんは行方三段を非常に可愛がっていたので、行方三段が記録係を務めるこの対局を見に来たのだと思われる。

東北の桃太郎、行方尚史二段(当時)

団鬼六さんと行方尚史四段(当時)

熱海なので、クリスマスに相応しい、女性がいる華やかな雰囲気の店でのカラオケだったのだろう。