高名な数学者が語った「将棋でポカが出る理由」

将棋世界2004年12月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。

 将棋にも造詣の深かった数学者の故・岡潔氏はこう云っている。

「たとえば大山さんが将棋を指すとする。そとに現れるのは指し手だけである。しかし一手の背後には多くの変化が読まれている。将棋が指し進むとともに、この変化の数は非常な数に上る。これがよって将棋の情勢を形成している。これは無形の総合像である。この総合像はもちろん、大山さんの前頭葉の画布に描かれるのであるが、これは大山さんがその将棋を指している間中消えず、絶えず成長しつづけるのである」

 ポカは集中の途切れた刹那に発生しやすい。

 こういうことがあった。苦戦の将棋を耐えに耐え、ようやく勝ち筋に入ったなと感じた直後、銀を只捨てるというポカを指してしまい、頭に血が上って投了してしまった。ところが終局後相手に投げた局面でもまだこちらが有利ではないかと指摘されて、呆れ返った覚えがある。

 これなどは有利になってふっと気が緩んだ瞬間に前頭葉に描かれてた映像が消えてしまい、眼に映った断片的な一手を指してしまったと云えるのではないだろうか。

 岡氏はこうも云っている。

「升田さんの将棋は天才型である。だからしばしば、胸のすくような攻めを見せて喜ばせてくれるが、ときどき天才にありがちなポカもやる。それも後一手か二手で勝ちという寸前によくやる。升田さんの棋譜からそんなのを捜し出すことは容易なことだと思う。それを並べてみてほしい。中略。もう勝ったと思って気を抜いた瞬間、その像(前頭葉の総合像)が消えたのであるが、升田さんはそれに気付かないで、同じつもりで指したから、こういう結果が出たのである」

(つづく)

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集中力は、クリップボードと同じようなものかもしれない。

電源が切れれば無くなるし。他のものをコピーや切り取りすると内容が置き換わってしまう。

体力がなくなれば集中力が途切れるし、勝ちが見えて終わったら飲みに行こうと考えた瞬間に、集中力がどこかへ行ってしまう。

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羽生善治竜王が「勝ちになったと思ったのはどの手からですか?」と問われて、終局数手前(ほとんど相手の玉の詰みが確定している)の局面を答えることが多いのも、自然と身についた、勝ちと思った瞬間にポカを出さない制御システムなのだと思う。

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外で遊んでいるうちに転んで怪我をした子供が、家に帰るまでの間は気丈に振る舞っていたのに家に着いた途端に泣き始める、といったことがある。これも緊張感が緩んだから起こる人間の感情の現われ。

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明日はこの続きで、升田幸三九段の実戦譜。

いかにも升田流の角打ちの名手が出て優勢になるが、勝ちを意識したであろう途端に悪手が複数出て、升田九段が敗れてしまうというもの。