将棋マガジン1993年7月号、深浦康市四段(当時)の第11回全日本プロ将棋トーナメント決勝五番勝負第5局〔対 米長邦雄九段〕自戦記「頭の中が真っ白に」より。
第4局は完敗だった。
この一局ほど、将棋の難しさを味わった事はない。
後手番ながらも攻める展開に満足していた。しかも先手の銀が遊び駒になっており、後はどう勝ちに結びつけるか、という局面になっていた。少なくとも自分はそう感じていた。
しかし将棋とはそんなに簡単なものではないらしい。局面は間違いなく優勢ではあるが、その意識に間違いがあった。
一手の緩手を境に、一手ごとに加速する先手の駒に、目標を失った後手の駒。
負けるべくして、負けた。
自分は未熟である。
敗戦の翌日、立ち直りは以外に早かった。今の状態が悪いな、と思うと昔から初心に戻る事を常としている。
早速、四段になった頃の棋譜をひっぱり出して並べてみた。一手一手並べるごとに、その当時の一瞬一瞬が思い出される。何もかもが新鮮だった。
そして驚く程に落ち着いている。終盤でもかなり余裕があった。慣れとは恐ろしいものである。1年半という年月がこれほど自分を変えてしまうとは……。ちょっとした発見だった。
そして5月7日を迎える。泣いても笑ってもこれが最終局。いつも通り花村先生にごあいさつ。感無量だった。
(中略)
第5局は改めて振り駒。前4局は先手番、後手番、ともに2勝2敗だったので、先後はあまり気にならなかった。
矢倉の予定で先手番だったら攻め、後手番だったら先手の動きについていく。これが対局前の基本方針。ただし、前と同じ戦型だけは避けたいと思っていた。でなければ初心に戻った意味がない。
また、本局はスーツで臨んだ。
和服は2着持っている。2着ともお祝いで頂いたもの。
1、2局目には埼玉の後援会から四段昇段の時に頂いたものを、3、4局には九州の後援会から今回用に頂いたものを、それぞれ着させて頂いた。それに袴は、花村先生の奥様から頂いたものが加わる。
この決勝戦で、この羽織袴にどれだけ励まされた事か。それだけに最終局はどちらの和服を着る事も憚られた。一方を着ると、その和服をひいきしてしまう事になるから。
(中略)
ゴールデンウイーク、両親が上京して来た。
佐世保から出て来て、早くも9年になる自分だが、東京で3人が会うのは初めての事である。自分のマンションを見に来る、というのが主な目的。
思えば小学校卒業の頃、奨励会に行きたい、という自分を、大きな心で上京させてくれた両親には感謝がつきない。今回の決勝進出で、ちょっとだけ親孝行ができたかな、と思っている。
1日だけだったが一緒に過ごした。とても楽しい時間だったし、最終局を戦う勇気も湧いてきた。
局面は△5五歩、開戦である。今回の5局とも、実は△5五歩からの開戦である。こんな事も珍しい。
第2、4局と似ているが、△1四歩と▲4六歩の交換がないだけで戦い方はちょっと異なる。
森下システムを選べば避けては通れない変化で、数年前に大流行した局面でもある。
数多くの実戦例を思い出しながら、△5五歩を着手した。
2図の先手番としては、いろんな対抗策がある。▲5五同歩、▲6五歩、▲5七銀、▲2五桂が実戦例。
どの手を選んでも樹形図の様に膨大な枝葉に分かれる。どの枝を選んでもその先に果実がなっている様な気がする局面でもある。
さて米長九段の選択は▲6五歩。
(中略)
昼食休憩。天ざるうどんをかきこむ様に食べ、再開40分前に対局室へ。
これも初心に戻る、という効果で、四段になりたての時は、昼食休憩中に盤に這いつくばって考えていたものである。最近はほとんどそんな事はしない。
(中略)
△5六銀、△8四角と気持ちのいい手が続く。後手優勢を意識した。
どうも時間の使い方がぎこちない。こんなに簡単に良くなっていいものか、と思っていたからである。
迷いが△6五歩の悪手を呼ぶ。単に△7三桂が正解。
▲5七銀引で何ともいかつい格好になったが、何とも米長九段らしい力の出そうな局面になってしまった。
しまったと思ったが後のまつり。
(中略)
本譜の順なら先手玉も薄いので勝負だと思っていた。が、△8七歩が決めすぎ。△9五桂ともたれておけば難しい終盤戦が続いていただろう。
▲7七玉を見て唖然とした。全く手がないのである。△4五歩と手を戻すようでは観念した。
7図。次の手は必然に見えたのだが……。
7図以下の指し手
▲2一角成△7六歩▲8七玉△6九角▲7九銀△8八歩▲2六歩△2四金引▲7六玉△8九歩成▲6五馬△8四桂▲8五玉△7三桂▲同成銀△同飛▲7四歩△8三飛▲7三歩成△同飛▲8四玉△7二歩▲7四歩△8三銀▲7五玉△8四金▲6六玉△7四銀(投了図…略)
まで、158手で深浦四段の勝ち。▲2一角成は自然な手だが、その前に△8四桂の筋を消して▲7四成銀がわかりやすかった(加藤一二三九段の指摘)。
とにかくこの辺はどう指しても先手勝勢に見えるだけあって、かえって迷ってしまうのかもしれない。
敗着は▲7九銀。この手を見て初めて「負けられない」と思った。△8八歩が決め手となる。
そして終局。終わった直後、頭の中は真白だった。
今思うと、どうして勝てたのか分からない。無我夢中の五番勝負だった。
そして充実した時間だった。今後もこんな時間があるのだろうか、という程に。最終局が終わるのが、本当に名残惜しかった。
また、米長九段には勝負のかけひきについて教わった。多少、悪くても平然としておられたし、中盤の力強い捌きは大変勉強になった。また教えて下さい、先生。
今後、この五番勝負を良き経験として精進したいと思っている。まだまだ基礎固めの時期である。
最後になりましたが、この決勝戦の中、応援して頂いた方々に誌上をお借りしてお礼申し上げます。
どうもありがとうございました。
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全編、深浦康市九段らしさ溢れる自戦記。
「今の状態が悪いな、と思うと昔から初心に戻る事を常としている」
「泣いても笑ってもこれが最終局。いつも通り花村先生にごあいさつ。感無量だった」
「それだけに最終局はどちらの和服を着る事も憚られた。一方を着ると、その和服をひいきしてしまう事になるから」
「今回の決勝進出で、ちょっとだけ親孝行ができたかな、と思っている」
「どの手を選んでも樹形図の様に膨大な枝葉に分かれる。どの枝を選んでもその先に果実がなっている様な気がする局面でもある」
「この手を見て初めて『負けられない』と思った」
「最終局が終わるのが、本当に名残惜しかった」
深浦四段(当時)の将棋に懸ける情熱、人柄、思いやり、がこれらの心を打つ言葉に凝縮されている。