加藤一二三九段と森下卓八段(当時)の文体を模写した日浦市郎七段(当時)の自戦記

将棋世界2001年12月号、日浦市郎七段(当時)の「自戦記・日浦市郎風」より。

 僕の好きな作家に清水義範という方がいる。たくさんのオモシロ小説を発表しているのだが、彼の得意としているものにパスティーシュ(文体模写)というのがある。

 いろんな有名作家の文体をマネているのだが、これを将棋の観戦記や自戦記に使ったら面白いのではないか、とわたくしは思ったのである。というわけで無謀だとは思いつつ将棋界初(だろうな。確かめたワケじゃないけど)のパスティーシュ自戦記をやってみるのだ。

 中には「オレ、こんなこと絶対書かんぞ」と抗議するヒトもいるかもしれないが、そういうヒトは僕に抗議せず僕に原稿を依頼した編集部に抗議してください。

(中略)

〔その1 加藤一二三九段風〕

 中川七段と私とは平成元年の新人王戦の決勝で顔を合わせた。このときの第1局で中川七段は角換わり棒銀できた。苦しい将棋だったが終盤で中川七段に見落としが出て私が勝った。第2局は相掛かりの将棋となり、私が快勝して優勝を決めた。

 これは私にとって非常に喜ばしいことであった。このときに中川七段は粘り強い将棋だという印象を受けた。

 本局は振り駒で中川七段の先手となり▲2六歩と突いてきた。私は△3四歩と角道を開けた。対して▲7六歩ときたので△4四歩と角道を止め振り飛車を目指した。

 数手後に△4二飛として四間飛車の戦型となった。最近私が多く用いる指し方である。

 中川七段は▲7七角として持久戦を目指してきた。棒銀でこられることを心配していた私はこれを見て少し安心した。

(中略)

1図以下の指し手
△9六歩▲同歩△9七歩▲同銀△6五歩▲8八銀△6六歩▲7七金△1三桂▲1七桂△1五歩▲4五銀△1六歩▲4三歩△同飛▲4四歩△4一飛▲3四銀△4七歩▲4三歩成△4八歩成▲5二と△6七歩成▲3三銀成△7七と▲同銀(2図)

〔その2 森下卓八段風〕

 実は1図の局面で4筋の位は取り返されたものの、自陣は銀冠の堅陣になったのでいい勝負だと思っていた。

 ところが読み直してみると、ここで思わしい手がなく、すでに形勢不明になっていることに気付き愕然とした。

 1図までの指し方に問題があったわけなのだが、序盤戦といえど一手一手慎重に指し進めなければいけないのに、漠然と指してしまっていた。これでは棋士として失格である。

 仕方がないので△9六歩と端にアヤを求めたが、△9七歩に対する▲同銀が全く読みになかった。▲同香の一手と思い込み、△8五桂と攻めて難しいと思っていたのだからヒドイ。▲同銀は指されてみれば当然の一手で、△6六歩と取り込めたものの、逆に自陣にも▲6四歩のタタキが残ることになってしまった。

 △1三桂と跳ねるときの30分の長考は読んでいたというより自分の大局観の悪さ、将棋に対する集中力のなさにア然とし、あきれ果てていた時間である。

(中略)

 実は対局中は▲5二とのところで先に▲3三銀成を中心に読んでいて、以下△4三銀▲4二歩△8一飛▲4三成銀△4七飛で難しいと思っていたのだが、▲5二とと指されてみるとハッキリ苦しいことに気づきボウ然。自分の読みの甘さにホトホトいやになってしまった。

 全くヒドイ将棋を指したものだ。自分自身に対して怒りがこみあげてくる。明日からは禁酒をして1日15時間将棋の研究をしなければ、と心に誓った。

〔その3 遊駒スカ太郎氏風〕

 オイラは2図の局面を眺めながら「もうダメかあ……。オイラにはやっぱり将棋は向いていないんだ。田舎で畑を耕していた方がよかったかにゃあ……」という世紀末人類絶望的悲観に陥っていた。

 何せ△4七飛成でも△3九飛でも▲6四歩がムチャクチャ厳しく、ハッキリ負けなのである。

 しかし、何かないかと読み直していると、あったのだ。

 それが△9七歩から△5八飛である。

(中略)

 本譜は△5六飛成と歩を取った手が味良く、今度こそ本当に勝ちになった。

(以下略)

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加藤一二三九段風も森下卓九段風もスカ太郎さん風も、みな特徴がよく出ていて、面白い。

加藤一二三九段の自戦記の特徴は、

  • その対戦相手と以前に戦った時の戦型に触れる
  • 「私は」が多く用いられる
  • 「私は▲3八飛と寄った。すると○○九段は△2二角と引いた。ここで私はいったん▲9六歩と様子を見た。これに対し○○九段はすぐに△9四歩と突いた」のように一手一手が丁寧に述べられる

橋本崇載八段も、 NHK将棋講座 2013年 01月号の自戦記(対 羽生善治三冠戦)で加藤一二三九段の文体模写をしている。

森下卓八段(当時)の自戦記は「自分に厳しい」ということが最大の特徴と言えるだろう。

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私が文体模写を初めて見たのは大学3年の時、和田誠さんの『倫敦巴里』という本でのことだった。(今年に入ってから、初版の『倫敦巴里』に未収録作を加えたものが発売されている)

いろいろな作家の文体模写による、川端康成の『雪国』の出だし。

パロディの一種になるのだろう。読んだことのない作家の文体模写までも笑って読めた思い出がある。

出だしの例としては、

  • 野坂昭如 「国境の長いトンネル抜ければまごう方なきそこは雪国。夜の底深くなり…」
  • 星新一  「国境の長いトンネル。そこを抜けると雪国の筈だった」
  • 井上ひさし「トンネルを抜けると雪国であった。ケンネルで寝るのは白犬であった」
  • 谷川俊太郎「トンネルでたら ゆきぐにだった ゆきのなかには うさぎがいてね」
  • 筒井康隆 「国境の長いトンネルを抜けると、そこは隣国だった。国境を超えたのだから隣国であることに間違いはない。この小さな国は四年前まで新潟県であったのだが、今では独立した新興国である」
  • 横溝正史 「金田一耕助のすすめで、私がこれから記述しようとするこの恐ろしい物語は、昭和十×年×月×日、国境の長いトンネルを汽車が通り抜けたところから始まった」

実際には1ページの半分に和田誠さんによるその作家の似顔絵イラスト、もう半分にその作家の文体模写の構成。作家によって、それぞれ途中からストーリーがそれらしく変わっていく。

『倫敦巴里』の紹介は国際基督教大学図書館のブログ、和田誠さんによる文体模写の中から数人の作家に焦点を当てて掘り下げた早稲田大学リポジトリに収録されている論文、がとても良い。

和田誠『倫敦巴里』(国際基督教大学Library Blog)

パロディーの楽しみ―「雪国」を用いた和田誠による文体模写―(水藤新子さん 早稲田大学リポジトリ)

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8年近く前になるが、私もブログの文体模写をしたことがある。

神奈川県三浦市で毎年12月に行われる「マグロ名人戦」について、船戸陽子女流二段、アカシヤ書店の星野さん、バトルロイヤル風間さんがブログで記事を書いたらどうなるだろうと作ってみたもの。

一つの記事に6~10時間かかった記憶があるので、文体模写をやり遂げるのは本当に大変だと感じた。

物真似(船戸陽子女流二段篇)

物真似(アカシヤ書店の星野さん篇)

物真似(バトルロイヤル風間さん篇)