羽生善治四冠(当時)「まあ見てくださいよ」

将棋マガジン1993年10月号、鹿野圭生女流初段(当時)の「タマの目」より。

羽生善治四冠(当時)の100面指し。将棋世界1993年10月号より、撮影は弦巻勝さん。

王位戦の打ち上げ(有馬温泉)

タマ「あ、そういえば100面指ししたんだって?」

羽生竜王「エエ」

タマ「最後まで?」

羽生「エエ、途中まで指して、後は手分けして皆で指してもらうつもりだったんですけど、何か、指しているうちに、終わりそうになったんで」

タマ「すごーい。どの位かかった?腰痛かったでしょう」

羽生「痛かったですよ。でも3時間半ぐらいだったんで、エエ、まあなんとか」

観戦記者・池崎「でも、かなりインチキがありましたよね。2手指しとか、3手指しまで」

カメラマン・弦巻「俺も、見てたんだけど、子供でしょ。後ろに親がいるのよ。負けたら親に叱られそうなのよ。だから注意もしづらいんだよねェー」

羽生「あんまりひどいのは注意しましたけどね。まあ見てくださいよ。(1図)

羽生「飛車が取れてる筈なのに1周してきたらこうなってるんですよ。(2図)

羽生「で、2二と(3図)と引いたんですよ」

羽生「でまた1周してきたら」(4図)

羽生「さすがにおこって▲2四金(5図)と打ちましたけど」

羽生「…それと、(6図)詰んでる筈なのに」

羽生「1周してきたら△8一玉と落ちている上に、△9三香と銀を取ってあるんですよ。これはさすがに”詰んでたでしょ”って注意しましたけど。あと、王手に気がつかなくて、王様を駒台に乗せられてたのもありましたよ」

 一同大爆笑。本当に本当にご苦労さまでした。

羽生善治四冠(当時)の100面指し。将棋世界1993年10月号より、撮影は弦巻勝さん。

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この100面指しは、富山市で行われたもので、指導対局を受けたのは小・中学生の100人。

戦績は羽生善治四冠(当時)の64勝36敗だった。

やってはいけないことだが、1図~5図はネタにしたくなるような可笑しさがある。

次の指し手まで5分ほど待つとなると、100人いれば、このような2手指し、3手指しをする子が一定の割合で出てくるものなのだろう。

ここでも書かれている通り、親御さんの無言・有言のプレッシャーもそうする原因の一つだったかもしれない。

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しかし、これらは笑い話。

将棋世界1993年10月号、大崎善生編集長(当時)の「夢をのせて 羽生善治、小中学生と百面指し!!」より。

 竜王はまるで何かが乗り移ったようにひたすら指してゆく。グルグル、グルグル。「休みませんか」と聞いても「結構です」。途中腰に手をあてだした竜王に「逆まわりするといいですよ」。あとで羽生は「あれは本当に楽になりました」とニッコリしていた。エッヘン。

 約4分の休憩を入れただけで、3時間。バタバタと片づけていく。そして、この頃になって羽生は全員と一人でやる気だと気がつき、背筋がゾクッとした。

 見学人の指導を終えた奨励会員は走るように指していく羽生をボー然と見つめる。「本当に凄い人だ……」と一言。

 終局した盤面が増え、動きにロスが生じる。皆で力を合わせ取り囲む机の円をせばめていく。子供達も報道者も父母も関係者も皆、驚きと感激の静寂を守り、羽生を見つめる。

 静まり返る体育館。

 その中に一瞬、大きな歓声と拍手が湧いた。開始して約4時間―。

 羽生がたった一人で、100人を相手に最後の最後まで指し切ったのだった。

 悔しくて泣いている子もいる。嬉しくて泣いている子もいる。奨励会員が涙ぐんでいる。

「なぜ、できたのか解りません。僕の計算でも不可能だったのですが」

 そんな疲れも見せずに羽生は語った。なぜできたのか、それは100人の子供と羽生の気持ちが、そしてそれを見守る父母たち関係者の気持ちが、この大きなイベントを何としても成功させたいと、一体になったからではないかと私は思う。

 何よりも羽生の100面を完走することに徹した頭のクレバーさと、子供に全員に最後までという熱意が最大の決め手だった。

 子供達は四冠王の指先から何を感じただろうか。それは夏の思い出として彼等の中で一生、生き生きと息づいているだろう。そして、羽生は子供達から新しいエネルギーを一杯に指先から送り込まれたのではないだろうか。

 100人の子供と羽生竜王。幸せな夏の日の一コマは皆の胸にしっかりと刻みこまれていることと思う。

 100面指しは大成功だった。

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100面指し翌日の羽生四冠の素晴らしい笑顔。

100面指し翌日の羽生善治四冠(当時)。将棋世界1993年10月号より、撮影は弦巻勝さん。

それにしても、100面指しでも、それぞれの局面を覚えているのだから、想像を絶するほどの羽生四冠の思考回路だ。

羽生善治竜王(当時)の100面指し
近代将棋1993年10月号、池崎和記さんの「福島村日記」より。 某月某日  森信雄六段(関西本部の新理事)と一緒に雷鳥23号で富山へ。明日、星井町小学校体育館で羽生竜王の「100面指し」があるのだ。羽生さんは当日、飛行機で来るそうだ。  こ...