羽生善治七冠(当時)「結婚式がこんなに緊張するものだとは思いませんでした」

NHK将棋講座1996年6月号、鈴木宏彦さんの「将棋マンスリー 東京」より。

 3月28日に行われた羽生七冠王と畠田理恵さんの結婚式。これは昨年の王将戦から延々と続いてきた七冠フィーバーに、最後のけじめをつけるイベントでもある。新聞やテレビで報道されたように、この日の式と披露宴には七冠王と理恵さんが考え抜いたであろう、さわやかでユニークな工夫がたくさんちりばめられていた。

 結婚式は将棋会館となりの鳩森神社で。鳩森神社は境内に「将棋堂」などがあり、昔から将棋連盟とは縁の深い神社である。式には200人を超す報道陣のほか、近所の人たちも沿道に詰めかけ、約50人の警察官やガードマンが整理にあたった。

 羽生七冠王は羽織・袴、理恵さんは黒地に金や朱、白の色鮮やかな振袖姿で式に臨む。

将棋マガジン1996年6月号より、撮影は弦巻勝さん。

「結婚は人生の中の大きな節目。その前とあとで変わるところもあるだろう。人間的にも成長していきたい。二人で話し合いながら、亭主関白でも、かかあ天下でもない、理想とする家庭を築いていきたいと思います」「(将棋界は)厳しい世界なので、温かく安らぎのある家庭を作りたい」

 挙式後の記者会見の二人の言葉だ。

 さらに披露宴は午後1時から、東京・中目黒の会員制レストラン「Q.E.D CLUB」にて。約1100坪の敷地内に池と茶室がある中庭がメイン会場。新郎は黒のタキシード。新婦は白のウエディングドレスにお色直しして会場に現れた。

 あいさつは媒酌人である二上達也将棋連盟会長が挙式報告と乾杯の音頭をとっただけで、あとは来賓の祝辞やあいさつなど一切なし。新郎新婦が約130人の招待客の間を回り、一人ひとり全員と言葉をかわすというアットホームな演出。料理も立食形式のフランス料理(ワインと肉が最高においしかった)。引き出物は理恵さんが出演したNHK朝のテレビ小説「京、ふたり」にちなむ京扇子。とにかく、どこまでも型破りで、そしてしゃれた式と披露宴だったのである。

「取材なし」という条件の披露宴。僕はコンパクトカメラを持参した。うちのおばさんが「羽生さんの写真を撮ってきて」とうるさいし、まあ、素人カメラマンが記念撮影を撮るくらいはいいでしょうという形勢判断である。会場に入ってふと見ると、大阪から駆けつけた池崎記者もコンパクトカメラを手にしている。以心伝心。早速、2人で新郎新婦の間に割り込んで記念写真を撮り合った。みんなが遠慮している中、こんなずうずうしい行動をした招待客は2人だけだったみたい。池崎さんは「これで胸を張って大阪に帰れる」と喜んでいた。

 披露宴の最後は新郎のあいさつ。

「結婚式がこんなに緊張するものだとは思いませんでした」と言って笑わせた七冠王は「自分の力だけで七冠王になれたわけではない。これからもご指導願います」と締めくくって、盛んな拍手を浴びた。

 披露宴のあと、佐藤康光八段と一緒に帰った。「フランクで、いい披露宴でしたね。でもこんな披露宴ができるのは羽生さんだけでしょうね」というのが佐藤の感想。たぶん、みんな同じことを考えていたと思う。

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新郎新婦は、披露宴が終わった後、伊豆に2泊3日の小旅行に出掛けたと報じられている。

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たまたまこの日の私は、仕事の関係で午前10時に日本将棋連盟へ行っていた。

報道陣が撤収している時だったので、この頃には式が終わっていたのだろう。

この日は、翌日までに別の所に提出しなければならない大事な資料の作成があり、徹夜は必至。

お昼頃に会社に戻って、資料の作成を続けていると、夕方、羽生七冠の披露宴に出席していた二人の棋士から「これから飲みに行きませんか。近くまで来ています」との電話が入る。

飲みに行きたい気持ち90%、行ってはいけないと思う気持ちが10%。

しかし、飲みに行ってしまっては明日以降無間地獄をさまようことになる。

ぐっと堪えて、会社の近所の洋食店「築地 蜂の子」で三人で夕食をとることにする。

ビールを一口でも飲んでしまえば、仕事をしようという気持ちが一気に無くなってしまうので、自分では飲まずに二人にビールを勧めるようにしていた。(私が食べたのは、ソーセージヤサイとオムライス)

二人の話では、「本当に良い披露宴だった」ということだった。

聞いているこちらも幸せな気分になることができた。

1時間半ほどで、非常に名残惜しいけれども二人と別れ、オフィスへと戻り、仕事を継続。

羽生七冠の結婚式の日、というと、午前中の将棋連盟と洋食店での食事と徹夜の3つを思い出す。

もちろん翌日(金曜日)は、解放感に満ち溢れながら、前日の二人の棋士と一緒に飲みに行ったと記憶している。